黒を纏い、主人の命ならば人を殺すことも厭わない、そんな従者がいた。人々は、彼を恐れ、こう呼んだ。


血舞の騎士


「魔王、覚悟」
 暗い城の中は、兵士で満ち溢れていた。血の匂いと、異様な躍動感。城は、狂っていた。
 その最深部の玉座の間では、まだその城の主がいた。
「兄上、大丈夫?」
 黒いフードから、銀色の髪を覗かせている少年は、大きな瞳で、同じく銀髪の青年を見上げた。青い瞳は、暗闇の中で光っていた。
「エフ、スフィーを連れて逃げて下さい」
 銀髪の青年が何かを言う前に、黒ずくめの青年は言った。女のように細い体に黒衣を纏う青年である。黒く薄いマントが、静かに揺れている。
 銀髪の青年は頷くと、少年を抱き上げた。
 急に扉が開く音がした。大きな物音を立てて、男が入って来る。
 茶色の髪に、透き通った空色の瞳をした青年だ。茶髪の青年は剣を抜き、叫んだ。
「魔王、ここまでだ。よくも仲間を……ストアライトキングダムの王、ロイ・ストアライトの名において、貴様を倒す」
 茶髪の青年は剣を構え、銀髪の青年に向かって走っていく。その瞳には、強い意志と憎しみが溢れ出ていた。
 大きな金属音が響き渡る。
 茶髪の青年の大剣は、黒衣の片手剣に止められていた。
「邪魔をするな」
 茶髪の青年は吠えた。黒衣は、表情を変えず、冷たい黒眼で澄んだ空色の瞳を見た。
「我が主を守るのが私の務め」
 黒衣は、そう言って茶髪の青年の足を蹴った。青年は倒れる。その間に黒衣は、銀髪の青年と少年が消えたであろう、闇の中へ入っていった。
「血舞の騎士がっ」
 誰もいない城の玉座の間で、青年は吐き捨てる。
「魔王だけじゃない。ラン・ブラッドアイも、絶対……絶対、倒す」



 深い森の巨木の洞に、三人はいた。
 その最深部に置かれた小さな蝋燭だけが、唯一の光だ。暖かな光は、洞中に行き渡ることはなかったが、そこで休息を取る人間達が、それぞれの表情を読むには十分であった。
 黒衣の青年、ランシアは入り口の近くの壁に凭れかかっていた。
「兄上、もう、あの人たち来ないよね」
 銀髪の少年、スフィアは、その一番奥に座り込んでいた。細くなった大きな目で、自らの兄を見上げる。銀髪の青年、エフィアは、黙ってスフィアの頭を撫でた。しかし、深い緑の瞳は、地面に伏せられていた。
「スフィー、大丈夫です。ここまで、追いかけてくることはないでしょう」
 ランシアは、スフィアに優しく微笑んだ。幼いながら、人の気持ちに敏感な少年が、不器用な兄の心の雲に気付かないはずがない、とランシアは思ったのだ。
 スフィアは、ランシアを心配そうに見上げたが、エフィアが優しくマントをかけた。
 ランシアは、この弟思いの兄と、兄思いの弟が好きだった。その様子を見て、僅かに顔を緩ませる。
「ランシア、いつも悪いな」
 スフィアを寝かせたエフィアは、ランシアに話し掛けた。透き通った緑の光は、やはり地面を見ている。
「お気になさらないで下さい。私の願いは、エフとスフィーの平穏な生活です」
 ふわりとランシアは笑う。それは紛れのない事実だったこともあり、穏やかな笑顔だった。
 エフィアも僅かに口元を綻ばせた。
「母上が亡くなってからは、スフィーには辛い思いをさせてばかりだ」
 エフィアは予備のマントを枕にして、静かに寝息を立てている幼い少年を見た。エフィアが目に掛かっている長い銀の髪を分けると、スフィアは幸せそうに微笑んだ。
「ええ、ハリア様がお亡くなりになってから、一度もスフィアの笑い声を聞いていませんね」
 ランシアは手元に置いてある、レイピアを撫でた。蝋燭の光に目を向ければ、ぼやりと幾十にも重なった見えた。
 エフィアは黙ってスフィアの顔を見ていた。
「そう言えば『勇者殿』はどうした?」
 緑の光がランシアに向けられる。
「ロイ・ストアライトは殺し損ねました。申し訳ございません」
 ランシアは頭を下げる。エフィアは、一瞬怪訝そうにランシアを見た。
「構わない。私の望みは、スフィーとお前の安全だ。それ以外に何もない」
 ぶっきらぼうに言い放たれた言葉。ランシアは微笑む。
「勿体無きお言葉。私はお二人の従者なのに関わらず……」
 エフィアは、再び深い緑の鏡にランシアを映す。
「当然のことだ。お前は、私たちの従者ではない。もう、家族だ」



「エフ、逃げて下さい」
 薄暗い空が垣間見える中、ランシアはスフィアに寄り添って眠るエフィアに囁いた。
 エフィアは瞳を開けると、黙ってスフィアを抱き上げた。
「表から来ます。裏から逃げて下さい。私が暫くの間食い止めます。シナリアムの例の酒場で会いましょう」
 エフィアは何も言わずに、ランシアの反対側から出て行く。
 ランシアはそれを見届けると、木の葉で二人が出て行った隙間を塞ぐ。そして、剣を抜き、入り口から出て、走り出す。
 三日月が、大きな葉の陰から垣間見える。がさがさという音だけが、異様に際立って聞こえた。
「血舞か……」
 目の前に現れたのは、ロイ・ストアライトである。ランシアは剣を抜き、ロイと対峙した。
 ロイのクレイモアと、ランシアのレイピアがぶつかる。
「その体の、どこからそんな力が……」
 ランシアの細い体は微動たりともしない。
 急にランシアは力を抜き、後ろに飛び跳ねる。ロイは前に転び、ランシアがレイピアでその喉元を突こうとしたそのとき、ランシアが行き成り倒れる。足にはシャベリンが刺さっており、だくだくと血が流れていた。
 ランシアは苦痛で顔を歪めながら立ち上がろうとしたが、すぐに三本の刃物に囲まれてしまった。
「ありがとう、カナン、ソイル」
 ロイはにやりと笑った。ランシアは自分を囲う、若い男と少女を見た。
「ロイ様、彼は人質として取って置くのが得策だと思いますが」
 人質と聞いた時、ランシアの頭には、数時間前のエフィアの言葉が響いた。
 ランシアは刃物に突っ込もうとした。しかし、若い男、ソイルがそうはさせなかった。
「それほど人質となるのが嫌でしたか?」
 ソイルがランシアに刺さっていたシャベリンを抜いたのだ。ランシアは呻き声を上げ、再び倒れた。
 間髪入れず、ソイルはランシアの口内に布を詰め込む。
 ランシアの意識は、そこで途絶えた。



 ランシアが目を開けると、まずは木の天井が目に入った。
 宿屋のベッドに寝かされているらしい。ランシアは体を起こそうとしたが、体が固定されていて動かない。口内には何かが詰められていて、舌を噛み切ろうと思っても噛み切れなかった。
「目ェ覚めたのか?」
 いきなりロイに顔を覗き込まれたランシアは、露骨に顔を歪める。
「カナンに感謝しろよ。何しろ、お前の手当てをしたんだからな」
 ランシアは、えっ、と小さな声を発した。
「ランさんは起きた?」
 扉が開く。入ってきたのは、茶髪の少女だ。
「ロイ、席外してくれるかしら?」
 入って来るや否や、カナンはそう言った。
 渋るロイをカナンは無理矢理外に出した。
「ランさんは、女性ですよね。何故……」
 ランシアは黒い瞳を逸らした。
 カナンは小さな声を上げる。
「口……舌を噛み切ったりしないって約束してくれるかしら?」
 ランシアは、カナンの青い瞳を見た。一瞬目を細め、頷く。
 カナンは、ランシアの口内から布を取り出した。
「ごめんなさいね、こうしかしてあげられなくて」
「他の方には怒られないんですか?」
 ランシアは尋ねた。カナンは苦笑いする。
「ロイとソイルね。大丈夫よ、ロイは話せば分かる人だから」
 その苦笑いが意味することは、ランシアにも理解できた。
 ランシアは、ソイル・スタットレートに恨みを持っていたし、生理的にも受け付けない人種だと思っていた。
 どうやら、向こうもそう思っているらしく、ランシアを執拗に追ってきた。
 とりあえず、ソイル・スタットレートとはそういう人間で、あまり人から好かれる性格はしていない、ということである。
「それと、あなたには朗報。魔王はまだ捕まっていないわよ。勿論、その弟も」
 ランシアは、体が暖かくなるのを感じた。
 思い出すしたのは、自分を家族だと言ってくれた、心優しいエフィアと、辛い環境の中、笑顔を見せてくれるスフィアである。
 捕まり、女だと知られてしまった焦りから、ランシアは自分を取り戻したと感じた。
 それと同時に、そんな二人を追いやる世界への憎悪が、さらに滲み出てきた。
「質問の答え」
 ランシアは、微笑むカナンにゆっくりと切り出す。
「大切なものを守りたいから」
 ランシアが言い終わると同時に、轟音が鳴り響き、天井が落ちる。一瞬で、部屋は瓦礫と化した。
 ランシアはゆっくり立ち上がる。
 丁寧に布が巻かれた足は、驚くほど回復していた。しかし、今のランシアには、その布が鬱陶しかった。
 近くの瓦礫の下に倒れているカナンを見つけ、ランシアは駆け寄った。
「ランさ……」
「今除けます」
 ランシアは、大きな天井の板を持ち上げる。パラパラと土埃が舞い落ちる。
「血舞っ」
 ランシアは飛んできた剣を避けると、足下に落ちていた、自らのレイピアを拾った。
 ロイ・ストアライトの瞳に浮かぶ物は、激しい憎悪だった。多くの仲間を殺し、意中の人に手当てをさせた挙句、恩を全て仇で返した人間が、目の前にいるのだ。
「一体何をした」
 突然崩れた建物。縛り付けられていたはずの人間。
「もう、出し惜しみはしないことにしました」
 ランシアは淡々と言う。そして、密かに辺りを見回した。ソイルの姿は見えない。
「何のことだ」
 ランシアは、黒い瞳で真っ直ぐとロイを見た。
「たとえ、世界のバランスが崩れようとも」
 真っ直ぐに見据えられた黒い瞳。ランシアの周りに漂う異質な雰囲気。
 ロイは、後ずさりすることしかできなかった。



 ランシアは森の中を駆け抜けた。南に抜ければシナリアムに着くのだ。
 痛み始めた足に叱咤し、ランシアは太陽の方角へ走る。しかし、痛み以上に足は重かった。
 絡み付く草はそのままである。穏やかな日の光さえも、ランシアには感じる余裕はなかった。
 しかし、ランシアはいきなり走るのをやめた。
 シャベリンがランシアの目の前に突き刺さる。
「ラン・ブラッドアイ。ここで待っていたかいがありました」
 お人良しそうな笑顔を貼り付けたソイルが、横の草叢から歩いてくる。
 ランシアは、レイピアを抜いた。
「通してください」
 ランシアのレイピアと、ソイルのシャベリンがぶつかる。
「それでも、よくロイ様を出し抜いてきましたね。そして、貴方の手当てをした、カナンを」
 ランシアは何も言わず、素早く後ろへ立ち退く。その漆黒の瞳が、ぎらりと輝いた。
「人でなしは貴方ですよ。ソイル・スタットレート殿……いや、サナル・ロヴァリエス大臣」
「何故それを知っている」
 シャベリンの先が揺れた。
「大人しくなさっていたら、何もしませんでしたよ」
 強い風が吹いた。木々がざわめく。鳥の声が響き、辺りは騒然とする。
 しかし、漆黒の瞳は、いつものように、しっかりと前を見据えていた。
「今日の空も青いですね」
 場違いな言葉とともに、恐怖が襲い掛かる。



 その数時間後、シナリアムの酒場の一室に、三人の人間がいた。
「どうした、その足は」
 エフィアは、真っ先にランシアにその足のことを尋ねた。
「大臣にやられましたが、大したことはありません」
 ランシアは顔を綻ばせていた。
「ランシアさん、心配してたよ」
 スフィアはランシアの元へ近づき、その青い瞳をランシアに向ける。ランシアは、柔かい銀色の髪をゆっくりと撫でた。
「ランシア、スカイアイの力を二回も使ったな」
 相変わらず淡々としたエフィアの声に、ランシアは顔を上げる。
「やはり、あの距離だと分かりますか」
 ランシアは頬に手を当て、苦笑いした。
「お前の力は強い。分かる者には分かる」
「僕も分かったよ」
 エフィアは相変わらず無表情だったが、普段は中々入れない二人の会話に入ることができたスフィアは、笑顔である。
「スフィーにも分かったんですね」
 ランシアは、嬉しそうに目を細めるスフィアに微笑む。
「そういうわけで、大臣に勘付かれるのは時間の問題です。勘付かれたところで、どうかなるわけでもありませんが」
 ランシアはさらりと喋っていた。しかし、それは途中で遮られる。
 人の怒鳴り声とざわめきがドアの向こうから聞こえてきた。
「ランシアさん……」
 不安げにスフィアはランシアを見た。
「逃げて下さい。私が追っ手を食い止めます。リクロフロスの東の遺跡で」
 ランシアはレイピアを手に取った。
「絶対来るんだ」
 エフィアの言葉に、ランシアは強く頷いた。
 エフィアはスフィアを抱き上げ、窓の外から降りた。ランシアはレイピアを抜き、真っ直ぐと扉を見据えた。
 勢い良く扉が開く。
「ブラッドアイ殿、申し訳ございません」
 ランシア達を保護してくれた酒屋の亭主は、二人の兵士に両腕を拘束されていた。
 隣には、ロイ・ストアライトがいる。
「お気になさらないで下さい。エフィア様は、貴殿に感謝しておりました」
 亭主は、そうですかい、と何度も頷いた。
「お前は、カナンとソイルまで……絶対に、許さない。父上の仇、取らせて貰う」
 ロイはランシアに襲い掛かる。大剣は、細い長剣によって受け止められる。
「仇、ですか」
 ランシアの口元が僅かに歪む。
「ハリア様だけでは、満足されなかったのですか?」
 大剣とともに、ロイは吹き飛ばされた。レイピアを手にかるランシアの回りには、異質な空気が漂っていた。体が、ぼやりと灰色に光っているのだ。
「貴方は傲慢ですね」
 酷く無機質で、冷たい声だった。
「当たり前だ。ハリアは父上を殺した。そして、力を継いだエフィア一人を殺せば、世界は救われる」
 ロイは声を荒らげた。ランシアの口元がさらに歪む。
 空間が歪んだ。室内にいたはずなのに、黒い雲が空を覆う大草原に、二人はいた。
「何をしたんだ」
「ソイル・スタットレートに聞けば良い話ですよ」
 ランシアは即答した。黒い瞳は虚空のようで、纏う空気は恐怖を感じさせるものである。
 紫電が黒を貫いた。その直後、不気味な音が轟く。
「話してくれるとは思えませんが」
 ロイの頭上に、無気味な音が集まってきた。ロイの顔は、恐怖に歪む。
我は雨の者 空の涙 空のかなしみの代行者 世界を守る空の守護者 空の怒りよ 静まれ
 それは歌だった。悲しい旋律の歌だ。ただ、声は優しい女性の物だった。
 雷は静まり、黒い雲は灰色に変わり、優しい霧雨が降り始めた。
「カナン」
 ロイの声には期待と、疑問が篭っていた。ランシアは空を仰いだ。
「レインプロテクションの者は、滅びたと思っていましたよ」
 その声は、遠く優しいものだった。表情も僅かに明るくなっていた。
「私も、スカイアイは滅ぼされたと思っていました」
 その声は、妙に響いていた。しかし、その中に驚きはなかった。
「カナン、どういうことだ」
 ロイの声には、困惑が篭められていた。カナンは、優しく、ロイ、と呼びかけた。
「ランさん、ロイは何も悪くはないんです。殺さないで下さい」
「貴女は勘違いをしています」
 穏やかな霧雨は、ランシアの黒髪を濡らしていた。
「私は、誰も恨んでいません。ただ、貴女と同じように、守りたい人がいます。守りたい世界があるんです」
 その声は、ラン・ブラッドアイの冷たい声ではなかった。無機質な声ではなかった。その顔は、穏やかだった。
 ロイ・ストアライトは、細い体で剣を振るう冷酷無慈悲な青年が、空を慈しむように仰ぎ、霧雨に濡れる姿を見ていた。
 ぐるりと世界が回転した。



 ランシアの体は疲労していた。感情の爆発によって作り出した「場」に、人を呼び出したのだ。
 シナリアムから、山を一つを越えたところにある、リクロフロスまでの道は、ランシアにとって地獄そのものだった。
 雨の所為で体に張り付いた服は気持ち悪く、さらに冷たかった。
「まさか、レインプロテクションの者が生きているとは」



 同時刻、ロイとカナンとソイルは、旅館の一室にいた。ラン・ブラッドアイを逃した二人の顔は、明るいものではなかった。さらに、ソイルは顔色が悪く、ベッドに横たわっていた。
 その中でカナンは、静かに語りだした。

 太古から、レリシャムの草原には、空を司る民族が住んでいた。
 月を司る、ムーンプロテクション族、星を司る、スタープロテクション族、雷を司るサンダ−プロテクション族、風を司る、ウィンドプロテクション族、雪を司る、スノープロテクション族、太陽を司る、サンプロテクション族、雨を司るレインプロテクション族。
 そして、彼らを守護者に持つ、スカイアイ族である。
 スカイアイ族を除くこれらの民族は、空の守護者と呼ばれた。
 丁度八年前、スカイアイ族が、世界を支配するストアライトキングダムに攻められた時も、空の守護者達は、スカイアイの人間とともに戦った。しかし、不意打ちだったこともあり、滅ぼされてしまった。


「私も、十歳だったけど、戦ったわ。カナン・レインプロテクションとして」
 カナンの声はしっかりしていた。
 前を見据え、ロイから目を逸らすことはなかった。
「誇りだったのよ。自分たちが空の人間だったことが」
 そこで初めて、カナンは天を仰いだ。
「だけど、やっぱり軍隊には負けてしまうの。空の人間で、生き残った者は自分だけだと思ってた」
 その青い瞳に映っているのは、白い天井だったが、映し出されているものは、戦場だった。僅かに顔が歪んだ。
「私はその後、ロイに助けて貰ったのよね。感謝しているわ。最初はイア王の息子だから、と思ってたけど、凄くロイは優しくて……きっと、ランさんは、その後にエフィアさん達に助けて貰ったんじゃないかしら」
 ランさんの、二人を守りたいっていう気持ち、よく分かるわ、とでも言うように、カナンは微笑んだ。
「父上は、何故、スカイアイ族を攻めたんだろうか」
 ロイの声は、体から振り絞ったような物だった。
 カナンが口を開く前に、二人と反対側を向いて横たわっていたソイルが喋りだした。
「私がイア王に進言したんですよ。空神が生まれた、と」
 細い声だった。しかし、その声は鉛のように重かった。
「ソイル……貴方が、父上と母上を」
 カナンは泣き崩れた。シーツを掴み、涙を拭う。
 ロイも座り込み、カナンの背中を優しく撫でた。
「スカイアイ族は、不思議な力を持っています。強い力です。中でも、数百年に一回生まれる空神は、世界のバランスを揺るがすような力を持っているのです。それは、ハリア、エフィア母子には敵いませんが、世界を崩すには十分すぎる力です」
 ロイの静止も聞かず、ソイルは喋り続けた。カナンの鼻を啜る音が、異様に響いて聞こえた。
「私の本名はサナル・ロヴァリエス。位は大臣でした」



 赤々と空が燃える頃、ランシアは漸くリクロフロスの東にある遺跡に辿り着いた。
 大きな石を組み合わせてできた遺跡には人気がない。金目の物がない今、薄気味悪い遺跡に誰も来るはずがない。
 ランシアは、よろよろと遺跡の内部に入っていった。
 最深部には、エフィアとスフィアが火をかけた鍋を囲んでいた。スフィアはすやすやと眠っている。
「ランシア、どうした、その体は」
 お待たせしました、と火の前に座るランシアに、顔を顰めたエフィアは尋ねる。
「大したことではありません。御安心下さい」
 ランシアはふわりと微笑む。しかし、エフィアの顔は険しい。
「ランシア、お前はかなり力を使ったな」
 ランシアは、はいと頷く。
「お前は自己犠牲を厭わない。私といれば、死んでしまう」
「そんなことありません」
 ランシアは慌てて否定した。顔には焦りが浮かんでいる。
「悪く思うな……従者ランシア・スカイアイに、解雇を言い渡す」
 ランシアに、エフィアを止める力は残されていなかった。エフィアの力で、体が縛られ声も出ない。 「ランシア、お前は顔をあまり知られていない。一般人として生きていける。普通の人間として、幸せに生きてくれ」
エフィアはスフィアとともに、闇に紛れて姿を消した。
 ランシアは空洞のような瞳で、エフィアとスフィアが姿を消した闇を呆然と眺めた。



 それから数分経った後も、暖かな光が踊る遺跡の最深部に、ランシアは座っていた。
 しかし、拳はしっかりと握り締められている。強い眼光は、相変わらず闇を見据えていたが、確かな何かを宿していた。
「エフ、ここまで来て、よく言いますね」
 レイピアを握り、立ち上がる。服を脱ぎ、巻いていたサラシを外す。服を再び着ると、エフィアが置いていった荷物の中から、黒いシックなドレスを取り出し、上から被った。
 そして、高く結い上げていた髪を下ろし、レイピアや、今まで纏っていたマントを鞄の中に詰め込んだ。
 ランシアは口元に笑みを浮かべる。何時の間にか、漆黒の瞳は透き通るような青に変わっている。
 暖かな光が踊る遺跡の最深部に立っているのは、清楚な少女だった。
 ランシアが男装をしていた理由は、至って単純だった。エフィア・ナイトエレジーの威厳だ。本人はさほど気にしていなくとも、ランシア自身が嫌だった。
「ハリア様、貴女が命を懸けて守った二人は、何があろうとも私がお守りします。命と、尊厳を」
 ランシアは厚い岩の上に広がっているであろう天を仰いだ。