黒を纏い、主人の命ならば人を殺すことも厭わない、そんな従者がいた。人々は、彼を恐れ、こう呼んだ。


血舞の騎士


 ロイは、ランシアの目撃情報があった、リクロフロスに辿り着いた。まだ夜は明けていない。
 リクロフロスの東には、人の立ち寄らない遺跡がある、ということを、先程散歩をしていた老人に聞いたばかりである。ロイは、東に向けて再び歩き始めた。
 草原を抜けたところにあったのは、大きな石で作られた建造物だった。中は真っ暗で、ロイは身震いした。ゆっくりと壁伝いに進んでいくと、灯りが見えた。
 慎重に剣を抜き、ゆっくりと近づく。
 壁に体を寄せ、顔を覗かせれば、黒髪の少女が火の隣で眠っていた。少女は顔を上げる。青い瞳がゆっくりと開く。
「血舞」
 そう呟けば、少女は怪訝そうに顔を顰めた。
「私の名前はランシアです」
 ロイは慌てて首を振る。
 血舞の騎士は男だ。いくら顔が似ていたとしても、目の前にいる少女のはずがない。大体、目の色が違うじゃないか。
 ロイはそう思い、少女、ランシアに謝ると、事情を尋ねた。



 ランシアは、心の中でくすりと笑った。
 解雇された今、エフィアたちに着いていくことはできない。しかし、自分のやりたいことを突き通したい。
 ランシアが考え出した方法は、エフィアたちの脅威となる存在について歩くことだった。
 カナンに、スカイアイの者だということが、知られてしまったこともここでは武器となった。ランシア・スカイアイと名乗れば、顔が同じでも疑われないだろう。
「私は、弟を探しているんです」
 ランシアはリクロフロスの町の中を歩きながら微笑む。ロイは、ランシアの話を聞く一方だった。何も知らなかったかのように振舞おうとしていた。しかし、ランシアはその程度のことはすぐ見破っていた。
「どんな弟?」
 ロイは尋ねてくる。ランシアはロイが期待する答えを述べた。
「黒い髪で黒い瞳をした子で、ランっていう名前なんです」
 穏やかにランシアは笑う。ロイの顔が明るくなった。
「私は不思議な力があるのですが、あまり前衛で戦うのは得意じゃないんです」
「ならさ、俺たちと一緒に旅をしないか?」
 ロイの無邪気な笑顔に、ランシアは顔を明るくさせた。
 ソイルやカナンが何と言おうと、最終決定権は彼にある。その上、自分が解雇されたなど誰が考えるだろうか。
「いいんですか? ありがとうございます」



 ソイルとカナンは、やはり顔を顰めた。
 リクロフロスの小奇麗な宿に、二人はいた。
「で、あなたは何女なのかしら?」
「七女です」
 カナンは少し驚いた表情を浮かべながらも、頷いた。
 本名を名乗っておいて良かった、とランシアは心から思った。
「正直に言います。我々は、ラン・ブラッドアイを殺そうとしています」
「重々承知です」
 ランシアは即答した。心の中で、僅かに笑う。
「殺すって……別に悪いやつじゃないだろう」
 ロイは狼狽していた。焦りが瞳から溢れ出しているようだった。
 ランシアは僅かに眉を顰めた。
「悪い、悪くないは関係ないわ。ラン・ブラッドアイは危険よ。あの力は、空神のものだった。あの子を殺さずして、魔王は倒せないわ」
「ロイ様、我々の目的は、世界を救うことでしょう。ご両親の愛したこの国を、良い国にして下さるんでしょう。ロイ様は民の希望なんですよ」
 ロイは、行き所のない目を、ランシアに向けた。ランシアは、厳しい眼差しを向ける。
「ランシア、弟だろ」
「あなたは、その程度の決意で、ナイトエレジー兄妹や、私の弟の仲間を、殺してきたのですか?」
 その言葉は、ランシアの本意だった。だからこそだろう。ロイは下を向いた。
「ロイ、あなたはお人好しだから、辛いのはよく分かるわ。今日は、ゆっくり考えて」
 カナンのその言葉で、漸くその場は崩れた。



 ロイが去った後、それに着いていこうとしたランシアは、カナンに呼び止められた。
「ランシアさん、あなたにいくつか質問があります」
 ランシアは心の中で舌打ちする。ロイ・ストアライトはともかく、カナンは勘の鋭く、疑い深い少女である。
「えぇ、どうぞ」
 ランシアは少し困ったかのように、穏やかに笑う。横目でチラリとソイルを見れば、しっかりとランシアの方を見ていた。
「あなたは、何故、唯一の肉親であろう弟を殺すのですか」
 ランシアは、予想していた質問だったこともあり、心の中で溜息をつく。
「私を取り戻すためです。申し訳ございませんが、詳しくはお話できません」
 それは嘘ではなかった。だからこそ、ランシアは決意が現れた、生の表情で語ることができた。
 カナンは驚きの表情を浮かべる。
 一体どんな答えを予想していたのか、とランシアは心の中で笑う。
「ありがとう。部屋に案内するわ」 
 カナンは我を取り戻し、ランシアを部屋へ案内した。



 ランシアが案内された部屋は、小奇麗な一人部屋だった。
「スカイアイ族の娘なら、このぐらいはね」
 ランシアがあまりの持成しに驚くと、カナンは笑った。
 カナンが立ち去ると、ランシアは扉に鍵をかけた。そして、鞄から、レイピアを取り出し、手入れを始めた。



 カナンが扉を開け、エフィアとスフィアの居場所が分かった、ということが伝えるまでに、そう時間はかからなかった。
 ランシアは黙って、体の陰に隠していたレイピアを鞄の中にそっと仕舞い、立ち上がって一階を目指した。
 ランシアが降りたときには、既にロイやカナン、ソイルは待っていた。
「ランシアさん、俺は戦う」
 強い意志の秘められた瞳は、ランシアを不快にさせた。
 しかし、ランシアは穏やかに笑う。
「安心しましたよ」
 そこで漸く、ランシアは自身を襲っていた不快感の正体が、不安だということを悟った。
 何時の間にか、闇に包まれていた空には、煌々と星が輝いていた。



 ロイたちは、兵士を連れて行かなかった。空気は重く、エフィアたちが目撃された宿場までの道を、ランシアは異様に長く感じた。
「血舞は、スカイアイや、空神の力を使うのだろうか?」
 低く呟くようにロイは言った。
「絶対に使うわ。もう、彼は覚悟が決まっている」
「魔王もきっと力を使うでしょう。厳しい戦いになります」
 ランシアは歩く速度を緩め、さり気なく三人の背後に回る。
「でも、大丈夫。私も空の民。力を使えるわ」
 カナンがにっこりと笑う。
「あぁ、これで終わりにしよう」
 ロイが力強くそう言ったとき、四人は小さな宿の前に辿り着いていた。
 宿の扉をロイが押す。古めかしいカウンターに座っていた女性が、びくりと肩を震わせる。
「陛下、このようなみすぼらしい宿に、何か御用でしょうか」
 それは、女性がやっとの思いで搾り出した声だった。
「上がっていいか?」
 ロイがそう言うと、女性はおどおどとしながらも頷く。
 三人は容赦なく置くの階段を上った。
 ランシアは、最後に一礼すると、三人に続いた。



 ロイは、一番奥にあった扉をゆっくりと開けた。
「ランシア」
 エフィアはそう呟いた。静かな分、その声は響いて聞こえた。隣に座るスフィアも、ランシアの方を真っ直ぐと見ていた。
 ランシアはロイを突き飛ばし、エフィアに背を向けて立った。何時の間にか、手にはレスピアが握られている。
「血舞はどこだ」
 状況が掴めていないロイは、ランシアにそう尋ねた。
「エフィア・ナイトエレジーに殺されましたよ」
 ランシアは冷たく言い、ロイに剣を向けた。
「じゃあ、何故」
 ロイは狼狽する。
「ロイ、まだ気付かないの? ラン・ブラッドアイと、ランシア・スカイアイは、同一人物だったのよ」
「全く、本当に散々ですね」
 ロイの顔色が変わった。
「俺たちを騙していたのかっ」
 それは怒りだった。しかし、ランシアは表情一つ変えない。
「ランシア、来るなと言っただろう」
 エフィアの声が響いた。
 しかし、ランシアが振り返ることはなかった。
「ハリア様の願いです。私は 、家族じゃなかったんですか?」
「お前は……」
「私は解雇された身。従者として、着いていくことはできません。でも、私はエフの言葉を信じて戦います」
 その声に圧倒されたのは、エフィアだけではなかった。
「容赦はしません」
 ランシアは黒いワンピースを剣で引き裂いて脱ぐと、冷たい青い瞳で、ロイを見据えた。
「へっ……臨むところだ」
 ランシアと、ロイの剣がぶつかった。ランシアは後ろへ飛びのく。
 雷が落ちた。黒くなったのは、ソイルのシャベリンだ。ロイは呆然とその黒いシャベリンを見つめる。
 再び雷が落ちた。間一髪でロイは避ける。
「ランシアさん、それ以上やったら、世界が崩れます。雷は、人間の操るべきものではありません」
 カナンの声は厳しかった。しかし、ランシアは動じない。
「貴女の世界と、私の世界は違います。私の世界は、ハリア様の願いと、二人の人間です。私から全てを奪い取り、人が存在しているだけで殺す、そんな世界はいりません。私は、自分を救って下さった人を助けたい」
 それは強いものだった。即席でできた決意などと、比べ物にならないほど強かった。
「だから、ここでかたを付けます。エフ、助けて下さい。この世界を壊しましょう。スフィア、カナンさん、協力してください」
 美しく哀しい笛の音色と共に、空間が歪む。集積された力に、世界が割れた。



 ロイが目が覚めた場所は、穏やかな風が吹く湖の辺だった。
『ここは、エスタリアよ』
 どこからか聞こえてきたカナンの声に、ロイは辺りを見回す。
『ロイ、私はいつでも貴方の近くにいるわ』
「カナン……まさか、死んだのか?」
 くすりという、笑い声。
『死んではないわ。全てハリア様のお陰だわ。ただ、名前が変わったの。私の新しい名前は、天界よ』



 それから、数年が経った。
「世界は四つに分かれたんだ。四界の名前、ちゃんと全て言えるか?」
 小さな木の家には、一人の男性と、幼い少年がいた。
「えーっと、妖界と、世界と、魔界と……」
 少年は悔しそうに顔を歪める。
「お前は、どこにいるんだ?」
「そうだ。天界」
 少年はにっこりと笑った。
「あぁ、よくできたな、スフィア。知ってるか? 四界は生きていて、それぞれ違った性格をしているんだ」
 男は、少年の頭をごしごしと撫でる。
「四界も生きてるの?」
「あぁ、生きてるぞ。妖界は優しいが不器用な男だ。世界は、強くて格好良い女性、天界は厳しいが優しい少女、そして、魔界は、可愛らしい男の子だ」
「お父さん、エフィアお兄ちゃんと、ランシアお姉ちゃんと、カナンお姉ちゃんみたいだね」
「そうだな……そう言えば、ソイルさん来てるから、挨拶してきなさい」
「はーい」
 ロイ・ストアライトは、パタパタと部屋から出て行く小さな息子を見て、静かに微笑んだ。。