Cool Fire I

Match of Chemistry


 私はアズサ。職業は妖界王女、アンさんの騎士らしい。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
 では、私は何をしているのか。
 それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
 私は、妖界王の召還の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
 しかし、学校にも行かない生活は、中々暇なものである。
「アンさん、強すぎます」
 無謀にも、私はアンさんに神経衰弱を挑んでいた。勿論アンさんが勝つ(アンさんは、一度出たカードは二度と忘れない)
「カードを覚えておくだけでしょ」
 アンさん……多くの人がそれをできないから、これはゲームとして成り立っているんですよ……私はアンさんのカードを見た。差は歴然としている。
 アンさんは、少し何か考えるような様子を見せた。私はその間に、トランプカードを片付ける。
「アズサ、暇なら問題を出す。暇潰しにはなると思う」
「クイズですか?」
 アンさんは頷いた。アンさんの出すクイズ。興味はあるが解けるとは思えない。
「魔法関連は難しいから、簡単な科学のクイズにする」
 それなら大丈夫、と私は思った。科学は高校生で習う分まで頭に入っている……と思われる。(計算はできない。logって何ですかっ)
「アニリン、安息香酸、フェノール、ニトロベンゼン、ジエチルエーテルの混合溶液がある」
 燈那子姉さん(私は三人姉妹だ)に借りた化学Tの教科書の最後、有機化合物の問題だ。そう、それは分かった。しかし、肝心な内容が思い出せない。
「これって、下に水が沈んでいて、さっき言った物質が上に浮いているんですよね」
 辛うじてそれだけは思い出せた。分液漏斗に黄色の油のようなものが浮いている写真(かなりどうでもいい)が鮮明に蘇った。しかし、やはり肝心な内容が思い出せない。
「そう。でも、塩酸を加えると、ある物質が水に溶ける。それはどれ?」
 塩酸だったっけ……と思う私は、色んな意味で終わっている。
 しかし、諦めるわけにはいかない。科学だけは譲れない……と思う(だんだん自信がなくなっていくのが悲しい)
 塩酸は酸性だ。塩酸といえば中和……中和といえば、酸性とアルカリ性……アルカリ性といえば……この中でアルカリ性なのは……
「アニリンです」
 私は見事な連想ゲーム(既に科学じゃない)の後、答えを導き出す。
「正解。水層に溶けたアニリンは、分離後水酸化ナトリウムなどのアルカリ性の物質を使って、逆に油層を作り出せばすぐに抽出できる。要するにさっきと逆の操作をすればよいってこと。一応性質を言って」
「弱いアルカリ性」
「何に使われてる?」
 アニリンアニリンあにりん……名前が可愛いことぐらいしか思いつかない。大体、アニリンがアルカリ性だと言うことを思い出しただけでも奇跡なのだ(アニリンのアはアルカリ性のアと覚えていた)
 アニリン……アニリン・ブラック。私は一気に思い出す。
「アニリンブラックと言われる、優秀な黒色染料です。今は、ほとんどの衣類が、染色にアニリンを使っています」
「正解。ニトロベンゼンのニトロ基を還元することで作られる、特有の臭気を持つ無色油状の液体。還元はどうやってすると思う?」
 困った。今アンさんが言ったこと、初めて聞いた気がしてしまう。還元って言ったら水素だ(かなり適当)、という当てずっぽうな答えを言ってみる。
「水素を使います」
「正解。触媒は?」
 触媒ですかっ。そうですね、ニトロベンゼンが水素に触れただけで、還元されてしまったら大問題ですよね……私は頭を働かせる。もうこれは科学じゃない。勘の世界だ。
 触媒といえば、白金。よく分からないけど、白金触媒って良く聞く響き。
「白金です」
「正解。ニッケルも使えるけど」
 とりあえず、アニリンの問題は終わったようです。科学の問題を解いている気がしないのは、私だけでしょうか。
「問題に戻る。アニリンを抽出した混合液に、炭酸水素ナトリウムを加える。すると、ある物質が水層溶けてくる。それは何?」
 分からない。でも、化学なんて諦めたら終わりだ、と思った私は、どうにかもがこうと画策する(もがきさえもできない)
 炭酸水素ナトリウムと言えば、二段階中和。中和と言えば、酸性とアルカリ性。炭酸水素ナトリウムは、弱酸だ。でも、フェノールはさらに弱いはず。中和反応で、塩になって解けるのは強い酸だから、(私の中では)最弱の酸性フェノールは除外だ。ニトロベンゼンは中性。酸性もアルカリ性もない。ということは……
 私は消去法で答えを導き出す。
「安息香酸」
「正解。炭酸水素ナトリウムのナトリウムが、安息香酸のカルボキシル基-COOHのHと置換して、安息香酸ナトリウムになるから、塩になって水に溶ける。後で強酸である塩酸を加えれば元に戻る。性質は?」
 アンさんは補足説明をする。私は、勘と連想ゲームだけでここまで来た自分を誉めた。昔、真夜姉さんが、困った時は連想ゲームだ、などと言っていたが、今なら十分納得できる。
「炭酸より強く、塩酸より弱い酸性です」
「正解。何に使われている?」
 安息香酸というのは、慣用名である。 ベンゼンカルボン酸というのが、系統名といって、物質の形を表す名前だ。ベンゼンに、カルボン酸の特徴である、カルボキシル基がくっついた、という本当にそのままの名前だ。
 よって、このような慣用名は、使用目的に法って作られる場合が多い。
「香料です」
「正解。そのままだけど。安息香酸ナトリウムになると、水溶性になるから、飲み物の保存料には最適。次にいく。最後に水酸化ナトリウムを加えたら、ある物質が水に溶けてくるけど、それは何?」
 ベンゼンは有毒だから、それにカルボキシル基がついているだけの安息香酸が食品の中に入っている知った時、少し嫌な感じがしたのを私は思い出した。
 次は簡単である。私にも分かる。水酸化ナトリウムはアルカリ性。フェノールはとても弱い酸性。ニトロベンゼンは中性。反応するのは……
「フェノールです」
「正解。性質は弱塩基性。フェノールからは様々な物質が作られている。今使われている薬品のほとんどは、フェノールから合成している。例を挙げて」
「アスピリンです。鎮痛剤に使われています」
「系統名はアセチルサリチル酸。サリチル酸では、パラアミドサリチル酸とかもあって、結核が治療できる。まだ発見されていないみたいだけど。クレゾールなんかは、消毒薬に使えるかもしれない。フェノール自体も希釈して消毒剤に使えるけど……薬品じゃないけど、少し前まで、ピクリン酸爆弾とか使われていた。あれもフェノールからできている」
 まだ発見されてないんですかっ。
 どうやら、アンさんは時代の最先端の先をいっているらしい。最先端どころか、時代よりも先をいっている。
 とりあえず、私は思い出す。日露戦争で、ピクリン酸爆弾は主要な爆弾になっていたらしい。でも、フェノールの優秀な製法であるクメン法も確立されていなかった時代に、貴重なフェノールを使ってピクリン酸爆弾を作るのは、愚か以外の何物でもない、などと真夜お姉さんがぶつぶつ呟いていた気がする(真夜お姉さんは一応文系)。今は、トリニトロトルエンの爆弾、TNT爆弾が使われているはずだ。
「そして、最後にニトロベンゼンが残る。全問正解。全て基本的で簡単だけど……頭の体操ぐらいにはなった?」
「体操どころじゃありません」
 そう言えば、アンさんはくすりと笑った。一瞬だけ僅かに口元上がる上品な笑みだ。本当に傍若無人なところを除けば、アンさんは絵に描いたようなお姫様だと思う(そんなアンさんは嫌な気がするけど)
「アンさんはどうでしたか?」
「アズサの連想ゲームが面白かった」
 アンさんは、また私の頭の中を読んでいたらしい。
「アンさんって科学好きですよね」
 そう尋ねれば、アンさんは淡々と言う。
「別に、好きでも嫌いでもない」
「いや、絶対好きです。アンさん、喋り過ぎですよ」
 いつもより、アンさんの口数は明らかに多かった。
 アンさんは無表情のまま、昼食、とだけ言って外へ出ようとする。私は、急いでアンさんに追いつこうと走った。

 それからアンさんは、私に実験を手伝わせてくれるようになった。
 アルテミア君までもが動員されるようになるまで、そう長くは掛からなかった。

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