Cool Fire I

Match in Breakfast


 私はアズサ。職業は妖界王女、アンさんの騎士らしい。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
 では、私は何をしているのか。
 それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
 私は、妖界王の召喚の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
 妖界に来て変わったことは、色々あるが、やっぱり私にとって一番大きいのは、食事である。
 朝、起きて、適当に着替えて、部屋で待っていると、どこからともなくアンさんが現れる。勿論、挨拶もなしである。
「アンさん、おはようございます」
 そう言うと、アンさんはすたすたと部屋から出て行ってしまう。私は小走りで追いかける。ただ、今日は大きな革表紙の本を抱えて。
 アンさんは、振り返ってその本を凝視した。しかし、すぐにまた歩き出した。

 私たちは、毎食外食である。
 妖界城で、食事などできるはずがないからだ。妖界王という名の不安要素の直轄地だ。何が起こっても不思議ではない。毒が入っていても文句は言えない。
 その日その日で行く場所は違う。偶に同じ店になるが、それでもかなりの場所に行っているのは間違いない。何しろ、三食全て外食なのだから。
 店にはアンさんの瞬間移動で行く。そして、店に入るとアルテミア君が席を取って待っていてくれる(前以てアンさんと打合せをしているのだろう)。ただ、何故アルテミア君が、喋れないのに、席を取って置けるのかは不思議である。しかし、言い出したらきりがないので言わないが。
 その日もそうだった。カフェのような小さな料理店の、端の方の席にアルテミア君が座っていた。四人用のテーブル席である。本当にどうやって席を取っているのだろうか。何も言わずウェイターの前を通り過ぎていくアンさんの代わりに、ウェイターに会釈をして(これも私の仕事だ)、私は小走りでアンさんについていく。
 席につくと、アルテミア君がメニュー表を広げてくれた。因みに、メニュー表を見るのは私だけである。アルテミア君は先に見ており、アンさんは見ない主義(それでもメニューに書いてある物を注文する)らしい。
「このリムールって何ですか?」
 メニュー表は、私には日本語に見えるのだが(これも魔法らしい)、分からない単語も当然出てくる。私が尋ねると、アンさんは即答する。
「別名はリゾット」
 ありがとうございます、と礼を言い、すぐにアンさんとアルテミア君の頼む物を尋ねる。
「黒パンのセット」
 アンさんはぶっきらぼうにそう言って、アルテミア君は、メニュー表の「ホットケーキセット」を指差す。因みに、アンさんは堅めのパンとコーヒーが好きで、アルテミア君は意外に甘い物とコーヒーが好きである。
 私は近くを通りかかったウェイターに声をかける。
「黒パンのセット、飲み物コーヒーで一つ。ホットケーキセットは紅茶で一つ。それとリゾットと紅茶を単品で一つずつお願いします」
 当然、注文をするのも私の役目である。
 せかせかとウェイターが去った後、私はアンさんに尋ねた。予てから気になっていたことだ。
「アンさん、私がいつも連れて来てもらっているお店は、魔界のお店ですよね」
 私はアンさんに、どこに食べに行っているのか尋ねたことはなかった。勿論、余計なことだけではなく、必要なことすら言わないことがあるアンさんが、行き場所を自ら教えてくれるはずがない。
 僅かにアンさんが笑った。
 理由は簡単だった。天界と妖界は戦争中だ。妖界の姫君であるアンさんが、限りなく傍若無人で強くても、天界に外食に行くということはしないだろう。世界に食べに行くなど持っての外だ。アンさんの紅い髪は染めた、ということで何とかなるが(ならないという意見もある)、アルテミア君の緑の肌はどうしようもない。
「それで、今日から連れて行ってもらったお店の場所を、確認していこうと思って……」
 そして、私は今日持ってきた大きな革表紙の本、魔界の地図帳を開ける。勿論、何冊かある中で綺麗なものを持ってきたつもりだ。
「ヒントは黒パン」
 薄らとアンさんが笑った。
 つまり、簡単に教える気はないということである。
 黒パンといえばドイツとロシアだ。その二つの共通点と言えば、寒いことである。しかし、寒すぎても駄目だ。農業ができる平地で、かつやや寒冷な気候でなくてはいけない。そして、麦と言えば乾燥である。
 私は地図帳を開ける。魔界は二つに分かれているが、両方ともそのまま地域の特徴が、地域の名前になっている場合が多い。
 アルテミア君は、ここがどこであるかが分かっている様子だ。
 沈黙が流れる。アルテミア君は喋れないし、アンさんは必要以上に喋らない。無視する、ということはないが、兎に角自分からは滅多に喋らない。
 私は困っていた。はっきり言って、私の文系科目の成績は目も当てられないような物だ。私の知り合いの中で、一番成績優秀だろう真夜お姉さん(一番上のお姉さん。私は三姉妹の末っ子)でさえ、私の文系科目成績向上作戦を投げ出したぐらいだ。
「困ってる?」
 真剣に地図を見ている私に、アンさんはそう問い掛けた。
「当然です」
 そう言えば、アンさんは心なしか口元を緩めた。
「アズサがそこまで困るのは珍しい」
 アンさん、今になって何を言うんですか。
「よく困ってますよ」
 妖界王との不穏な食事会、アンさんの傍若無人な数々の行い、その他色々、数え上げたらきりがないじゃないですか。
 私がそう言うと、アンさんは黙って何かを考えているようだった。アンさんのことだ。本当に分からないのだろう。
「アンさんって、天然ですよね」
 私がぽつりとそう言うと、アンさんは怪訝そうにこちらを見た。
「どこが?」
「良いんですよ、アンさん。気にしなくて……」
 アンさんは機嫌をやや損ねたらしく、私は気まずいな、と思ってはいたが、どちらかというと必死に笑いを抑えているアルテミア君の方に目がいってしまう。
「良いけど……ヒントいる?」
 お願いします、と言うと、アンさんは再び喋りだした。
「天界と妖界は戦争中。戦場は当然魔界になる」
 何ていうヒントだ、と私は思ってしまった。分かりにくい。でも、アンさんは賢い。ヒントとして一番適切な物を選んだはずだ……
 アンさんの天然さを思い出して、少し自信を無くしたが、私は地図を探り始める。
 候補は三つほどある。ただ、魔界が不安定な状況にあるのなら、小国に分かれた広い地域よりも、山に隔てられた地域の方が安定していると、私は思うことにした(勿論自信はない)。
「闇の都周辺じゃないですか?」
 そう言ってから、アンさんの表情を窺うと、アンさんは薄らと笑った。
「アズサは勘だけで生きていけると思う」
「アンさん、頭の中まで読まないで下さい」
 やってきたリゾットは美味しかった。しかし、帰る時はアルテミア君が一番上機嫌だった気がした。

 私が地理が苦手なことが分かったアンさんは、それから私に毎日三回、場所当てクイズを出題してくることになる(素直には絶対教えてくれないところが、アンさんだ)。


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