The Night
Monarch
夜に君臨する女は、大地に何かを残していく
宿に弟子を三人寝かしたまま、フヨウとサクは、宿の近くの森を歩いていた。
満月の夜で、さらには大きな湖と小川の多い森だったからだろうか。月光や蛍で、真っ暗ではなかった。
「それで、満月の夜に歩き回るんだから、何か目的があるんだろう」
静かな声で、サクは言う。独り言ではない。
「気になることがあってね」
フヨウは、青年の青い双眸を見た。
「昼間の女性かな?」
すぐ切り返してくるところが、サクらしい。フヨウは、穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。
昼間、弟子を三人ほど連れたフヨウと、そんなフヨウに付き合うサクは、年配の女性と話す機会があった。その女性は、フヨウたちにお茶を出しながら言った。
「私にも息子がいてねぇ」
女性は、娘だろう女性が持ってきたお菓子を並べた。
「ある日、突然行方不明になっちゃったのよ」
それが、あなたと同じ青い目をしていてね、でも髪だけが反対の色だったのよ、とその女性は言って、優しく笑った。
もうその女性の髪は白かったが、目だけは、鮮やかな青だった。
「昔、この森で、多くのセイレーンが消えたのだよ」
フヨウは、静かな湖の湖面に目をやりながら、すぐ隣に立っている男に言った。美声によって、船を沈めるセイレーン。彼女たちは、海だけにいるわけではない。
「セイレーン? 森に住むセイレーンを、集めたり殺したりしたところで、何の利も無い気がするけど」
海に住むセイレーンは、船を沈めるが、森に住むセイレーンは、森の中で歌って楽しむだけであって、むしろ歓迎される者。そんな知識が、サクにはあるのだろう。
フヨウは、ゆっくり息を吐いた。
「サク、人間の好奇心ほど、恐ろしいものは無い」
そう言って、明るい夜空を仰ぎ見る。
美しい柱。幾多もの像。森の奥にあるとは思えないほど、その建物は立派だった。魔法の力を強くする魔殿。それは、誰が見ても明らかである。
「ニーフィア嬢、助かったよ」
「我が君の御役に立てて、嬉しく思います」
案内をして貰った森の精霊、ニーフィアに礼を言う。すると、ニーフィアはふわりと微笑んでから、消えた。
「さて、ついて来るなら、自分の身は自分で守ってくれたまえ」
フヨウは振り返り、口角を上げる。
美しい魔殿は、それ故に、人の気配がある。静かで厳かな魔殿。不気味な雰囲気を漂わせ、美しい森に鎮座する。
そんな魔殿を背景に、サクは口元を歪めて笑った。
「言われずとも」
四界を出し抜いた魔法使いは、不敵に笑う。
フヨウは、おそらく魔力を中枢に集めるために構築されているのだろう、美しい門を潜って、灯の燈った魔殿の中に入っていった。一層不気味な雰囲気を漂わせる廊下を歩いていたフヨウは、突然立ち止まる。
「血だ。かなり古いね」
床にこびり付いた染みを、指でなぞる。
「人間の血ではないだろうね」
フヨウは、口元に薄らと笑みを浮かべる。フヨウの影の所為か、床は更に暗くなっている。
「何の血?」
身をかがめるサクの口から、そんな疑問が漏れる。否、疑問というよりも、確かめるような問い。
「セイレーンだろう」
フヨウはさらりと答えた。そして、その瞬間、フヨウは柔らかなマントを翻した。サクは、素早くフヨウから離れる。
響き渡る金属音。流れ込む緊迫とした空気。
「誰だ?」
手にしているナイフをククリで止められ、喉下にレイピアを突きつけられ男は、目を細め、低く尋ねた。
「私は旅の剣士。名前はフヨウ。隣の青年はサク。魔法使いだ」
フヨウはいつもと同じ笑みを浮かべ、穏やかに言った。サクは、フヨウから少し離れたところで立っている。
「何の用だ?」
震えを押し殺したような威圧的な声と、ギラリと光る双眼。しかし、フヨウは動じない。
「泣き声が聞こえてね」
フヨウは、消えそうな灯の方へ、目だけを僅かに上げる。口元には、穏やかな笑み。
「助けてくれ、と」
「ここには私しかいない」
男は唸るように言った。しかし、やはり声は僅かに震えている。フヨウは、心の中で溜息を吐いた。
「悪いね。私は、こういうことは認められないんだ」
仰ぎ見るのは、見えない天。フヨウは、笑みと共に、僅かな憂いを浮かべ、穏やかに言う。
「私は、生ある者と、生ある者の世界を愛している」
フヨウは、口元に笑みを浮かべたまま、レイピアを動かした。
頭から血を浴びた所為で、体はべたついていた。その強烈な臭いの所為か、サクに思いっきり嫌な顔をされたフヨウは、早足で廊下を歩き続け、ついに魔殿の最深部に辿り着いた。
「魔法の研究かな」
立派な魔具が揃えられた部屋と祭壇。明るい灯。神聖とは言い難い堅さを持った一室。魔法の研究をしていた、と言っても通るだろう。
「いや、魔法の研究は、妖界城のアズサ博士の魔法原理学が開かれた後に行われるようになった。これは、もっと昔だ」
アズサ博士の魔界原理学。第二次四界大戦後にそれが発表されてから、魔法の研究がされるようになった。しかし、セイレーンが消えたのは、それよりももっと前。
フヨウは、部屋を歩き回る。
「あの男は?」
第二次四界大戦から、既に数十年が経過している。それより前ということは、あの男は若すぎるのだ。
「二代目ではないのかね」
フヨウはさらりと返した。誰がやったかが問題ではないのだ。
サクは入り口近くに立っていた。フヨウはその前を何回か通り過ぎてから、ふと足を止める。
「これは、生を蹂躪する実験だよ」
そう言って、フヨウは、しゃがみ込んだ。そして、床のタイルに手をかけた。思いっきり力を入れ、ぎーっという音を立ててこじ開ける。
一気に、眩暈がするような死臭が漂った。
強烈な臭いに耐えて、下に降りると、そこには大きな牢屋があった。
「生きている者はいるかね」
石化した者、腐りかけた者、生々しい血を垂らした者、痩せこけた者。死んでいるのか、死んでいないのか分からない、夥しい数のセイレーン。
「セイレーンの血の研究をしていたようだね」
フヨウは牢屋の横の棚に目を向けた。赤黒い血の入った瓶が、牢屋の隣に並んでいる。
「愚かなことだ」
フヨウの声から、暖かさは消え去っていた。サクは黙っていた。そんな気味の悪い静けさの中、空気が小さく動いた。
「助け……て下……さい」
小さな声だった。フヨウは牢屋に歩み寄る。
美しいはずの青緑の瞳には生気が無い。死に掛けている。そんなセイレーンがいた。手を伸ばすと、冷たい金属に手が当たる。フヨウは、目を細めた。その時だった。
「もし、僕がいなかったら、どうするつもりだった?」
牢屋は消えた。
「どうしようもない時は、私も魔法を使うよ」
フヨウは、セイレーンを抱き寄せた。
「ありが……と……」
「他に生きている者はいるのかね」
暫しの間の後、細い首が、弱弱しく横に振られた。
セイレーンを湖に浸し、サクが治療を施して数時間。夜は明けかかっていた。
「フヨウ様、サク様、ありがとうございます」
セイレーンは、元気になったとは言い難いが、とりあえず普通に喋れるようになっていた。青緑の双眸を、綺麗に細めて、セイレーンは笑う。その笑顔、綺麗だったが、不自然ではないのに、苦しそうだった。
仲間が死んでしまったのだから、当然ではあるのだが。しかし、それだけでは片付けられないようだった。そこにあるのは、悲しみだけではなかったようだったからだ。
しかし、どうしようもない。
「助かって良かったよ、ミセラ嬢。元気にやってくれ」
フヨウはそう言ってから、サクの方を見た。瀕死のセイレーンに、ここまで活力を与えたサクは、何か思うことがあったのだろう。フヨウはそう思っていた。
そして、フヨウに何を求められているか分かったのだろう。サクは口を開いた。
「自由に生きれば良いと思う」
サクは、意味深に笑い、静かな余韻を残した。
登る朝陽が妙に熱かった。昼には、照りつけるように熱さになることを、予期しているかの如く。
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