Unnatural Worlds
不自然な世界
雷の国の領主ライアルは、武人として名が知れている。そのため、同盟国から、こっそりと面倒事を片付ける依頼が来ることも少なくない。
その日は、海の国だった。海の国は、雷の国と同じで、エルフが力を持っている国のため、親交は深い。
「金髪の少年が襲われている?」
ライアルは、海の国の使いから、一通りの話を聞くと、そう聞き返した。朝から叩き起こされた所為の不機嫌も絡んでいるからだろう。
大体、そんな国の内情、自分たちで解決しろ、という話だ。しかし、ライアルは、エルフという種族の繋がりがあるから、しょうがない、とすぐに思い直した。
「海の国? 何か心当たりがあるの?」
スザクは、ライアルの顔を窺いながら、そう尋ねた。
「関係性は分からないが、何十年も前の話だ。この地に住んでいた、多くのセイレーンが消えた」
ライアルは、少年が次々と姿を消したという町に来ていた。
「クロウが話してくれた」
ライアルは幼い頃、魔界の各地を回っている。その時に、一緒にいた大人が、それぞれ知っていることを、ライアルに教えてくれた。
「ふーん、でも昔のことなんでしょ」
スザクはそう言うと、マグカップにふーっと息を吹きかけた。
ライアルと、人間の姿をしたスザクは、町のある老婆から、お茶を出してもらっていた。町でふらふら歩いていたところを、声をかけられたのだ。
「気をつけて下さいね。最近、行方不明になる人も多いですので」
老婆はそう言って、微笑んだ。
「生きているのか生きていないのか分からない。本当に不安なことです」
老婆の青い双眸が悲しげに細められる。
「失礼ですが、お孫さんか誰かが?」
老婆の年からすれば、ひ孫の方が現実的だろうが、ライアルは時には、特に女性に対しては、正直ではない方が良いということを知っていた。
「いえ、昔、私の兄が、行方不明になったのです」
昔、という言葉が、実に悲しげに響く。
「顔も知らないんですけどね」
ライアルはスザクを見た。ぼーっと、老婆の顔を眺めている。
「海の国でセイレーンが消えたのと、ほとんど同時期です。綺麗な人だと聞いているので、セイレーンと間違えられたんじゃないか、と母が言っておりました」
ライアルは老婆の方へ顔を戻した。そして、尋ねる。
「金髪だったのか?」
ええ、と老婆は頷いた。
ライアルとスザクは、森に分け入っていた。湖の小川多い、美しく静かな森。
「ライちゃん、どう思う?」
スザクは、頭についた木の葉を払いながら、ライアルにそう尋ねた。
「こうやって森に入るしかないだろ。セイレーンと話をする」
森の中を歩くのには慣れているライアルは、どんどん進んでいく。
「セイレーンが関わっていると思うの?」
ちょこちょことあとをついていくスザクは、そう尋ねた。
「分からないが。話をする価値はある。セイレーンが、人を攫うことは無いだろうが、セイレーンも攫われているかもしれない。となれば、何か情報を持っている可能性が高い」
ライアルは木の葉の隙間から見える空を見た。
空は、恨めしい程に青い。
ライアルの嗅覚は鋭い。そのため、ライアルは異臭に逸早く気付いた。そして、その臭いの正体もすぐに見当がついた。さらに足を速めるライアルに、スザクが不安げな表情を浮かべてついていく。
「腐乱臭だ」
ライアルは、短くそう言った。
「ライちゃん、まさか……」
大きな湖。浅瀬には、水で膨れ上がってしまった少年の死骸が広がっていた。綺麗な金髪のはずなのに、それさえも、気味が悪い。
「これは、ナイフだ。あまり上手くは無いな」
薬草の類で眠らさせていたのだろう。死に顔は穏やかだが、首や心臓の部分に穴が開いていた。その傷は、盗賊や、ナイフを主に使う者にしては、あまりにも汚い。
「誰がやったのかな」
スザクは、怖がってはいなかったが、不快そうに目を細めていた。ライアルは、死体から目を逸らすように天を仰いでから、口を開いた。
「間違いない。これは」
ライアルがそう言いかけた時だった。
「あなたはだーれ?」
妖艶なのに純粋な美しい女の声。人間ではない者特有の耽美な響きと、それにしては涼やかな余韻。
ライアルは、背中に冷やかな汗が流れるのを感じた。しかし、そのまま後ろを振り向かないわけではない。
金属音が響く。そして、何かがどさりと落ちる、鈍い音。
「セイレーン、あなたがやったのですか?」
鋭利な剣と共に、ライアルは微笑む。弾き飛ばしたナイフに、一瞥さえもしない。
魔剣士ライアル。武人として名が知れた小国の領主。その剣の先は、剣士でなければ、見切れない。そんな彼に、ナイフなどの扱いに慣れていないセイレーンが、敵うはずがないのである。
「あの子が死ねば、皆解放されると思うの」
ライアルに剣を突きつけられてもなお、セイレーンは微笑んでいた。
「町であの子に会ったの。だから……」
恍惚とした表情に、ライアルは只ならぬ何かを感じ取る。
「あの子さえ死ねば……あの子さえ死ねば……」
ぐらりと美しい体が揺れる。
「落ち着けっ」
ライアルは素早く剣を下ろし、今にも折れそうなセイレーンを抱き止めた。
「あの子はどこ?」
青緑の目は、ライアルの方を向いているのに、ライアルを見ていない。
「あの子がいたから、皆死んでしまったの」
その微笑みは美しく、底知れぬ狂気を孕んでいた。
「あの子が……」
ライアルは、ゆっくりと力を抜いた。気を張っていてはいけない。そう思ったのだ。さぁ、何を喋ろう、そう思った矢先だった。
セイレーンの表情ががらりと変わった。
「サク様、ごめんなさい。私は自由には生きられません」
サク。ライアルの中で、その言葉は酷く響く。まさか、と思う。
サク・セイハイ。ライアルの父親の名前。
「サクが、どうしたんですか?」
「フヨウ様とサク様は、私を救ってくれました」
ライアルは、目を細める。両親は、この海の国に来たことがあるのだろうか。
「サク様は、自由に生きれば良い、と」
セイレーンは、そう言って、白く細い指で、ライアルの頬をなぞる。
「静かに暮らしていたんです。あの子が現れるまでは」
ライアルは、すぐ横に眼をやった。スザクが呆然と立っている。スザクは、人の姿になることができるものの、人では無い。それに比べ、セイレーンは、人間ではないが、人である。
スザクには感じ取れないのだろう。しかし、ライアルの精神はギリギリの状態だった。お世辞にも、ライアルは、人を励ましたり、導いたりできる程、精神が強くないし、成熟もしていない。
しかし、そんなみとは言っていられない。
「あの子の体に血を入れるために、皆殺されてしまった」
その言葉で、ライアルは全てを悟った。
生物実験。それが盛んになった時期がある。それが、アズサ博士の魔法原理学による魔法研究の発展を受け入れる下地になったことは、授業サボリ常連であるライアルでも知っている。
人間にセイレーンの血を入れるとどうなるか。そんな実験が、かつてのこの森でなされていた可能性は高い。
全てが繋がるからだ。数十年前に、消えた人間の少年、そして、セイレーンたち。
「セイレーンは何のために生きるのでしょう。セイレーンとは何者なのでしょうか」
それは、極限状態の悲鳴。ライアルは、その毒を持った悲鳴に、押し殺されそうなところを耐え忍ぶ。
「セイレーンは、歌う者だ。歌うことを楽しむために生まれてくる。私はそう思っていますよ」
決して普段は出さないような穏やかな声で、ライアルは答える。
「私は歌えません」
セイレーンは、悲しげに笑いながら、ライアルを見上げる。
ライアルはゆっくりと息を吸った。知っている歌は、いくつか歌は浮かんだが、一番簡単そうなものを選ぶ。
理由は唯一つ。
「音が外れていますよ」
セイレーンは、青緑の瞳を細めて笑っていた。
「私は音痴なんです。何度練習しても駄目でして」
ライアルと共に旅をして回ったことのある人物の中で、吟遊詩人がいた。金色の鮮やかな髪を持った、綺麗な吟遊詩人。ライアルに歌を教えてくれたが、下手だったのかいつも笑われた。
「ですが、歌いたくなりました」
ふわりとセイレーンは微笑んだ。その笑顔に安心したライアルは、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「私が下手だからですか?」
「怒っているんですか?」
セイレーンはくすりと笑った。
ライアルは、否定したかったが、気に触ったのは事実である。
美しい声。僅かな影を持った、耽美的な調べ。海でこれを聞かされたら、惑うのも分かる、とライアルは思った。
歌うだけ歌って、気が済んだセイレーンは、漸く、ライアルに名を尋ねた。
「私はライアル。フヨウとサクの第二子であり、雷の国の領主を務めさせていただいております」
「あんまり、似ていませんね」
意外と毒舌なセイレーンである。
「私は両親を知りません」
きっぱりとライアルが言うと、セイレーンはくすくすと笑い始める。
「ですが、面影はありますよ」
「セイレーン」
ライアルは、そう呼びかけた。
「私の国には、森があります。この森よりはずっと狭いですが、金髪の少年もいません。嵐と雷の多い国ですが、あなたの仲間もいますよ」
このセイレーンをこの地に置いておくことに、ライアルは耐えられない。
「あなたの翼があれば、またいつでも戻れるでしょう」
青い空を自由に羽ばたく翼。セイレーンの美しき蒼の翼。それは、決して青空には飲まれない。
「良いんですか?」
ええ、どうぞ、とライアルは、領主の顔で笑った。
雷の国のエルフ。不当な扱いを受けてきた彼らは、このセイレーンと共に生きることができる。ライアルはそう思ったのだ。
天は青い。その色を、ライアルは受け継がなかった。ライアルが受け継いだの、空から見守っているだけの色ではなく、足元を擽り、生命を支える草原。
「さぁ、行きましょう」
雷の国の領主は、セイレーンに手を差し伸べた。
「というのが遅刻の原因だ」
ライアルは、そう言って、魔法原理学の授業をやっている教室に入った。
「嘘よ。紳士的過ぎるじゃない」
魔法原理学なんていう難解な授業は、いつも寝て過ごすリリーは、勢いよく立ち上がってそう発言した。
ある意味酷い言い様である。一体自分のことをどう思っているんだ、とライアルは思ったが、黙っていた。
しかし、ジェンの反応は違った。
「私は貴方を信じましょう」
微笑みながら、ゆっくりとライアルに近づく。そして、ライアルの髪に手をやった。
「髪に、花がついていますよ」
下ろしてきたジェンの手には、小さな青い花が乗っていた。
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