Unnatural Worlds

勇気の色

036

 ライアルは医務室で手当てを受けた。傷はすぐに治癒できるのだが、失血が酷いため少なくとも一日は安静にするように言われていた。
「とは言ってもなぁ……」
 ライアルは、あまり思い出したくもない経験をしてしまったのだ。考え事をしなくてはならないといけないほど暇な時間を与えられたいとは思わない。ライアルはベッドで暇潰し派をする術を持っていないのだ。字が読めないため本を読むことができない。
 傷がふさがっているため、失血だろうがいつものように動き回れないこともない。しかし、鉄の足輪と鎖で足はベッドに繋がっている。まるで囚人のようだとライアルは思ったが、普段の行いを思うと納得できないこともなかった。
 因みに、スザクはライアルに置いて行かれたことと、ライアルが怪我をして帰って来たことに腹を立て、バスケットの中で寝ている。あまりにも暇なため、天井に空を透かした。透けて見えたのは薄らとした曇り空だった。
 晴れた空なら良かったのだが、曇り空を見たところで気分良くはならない。溜息を吐き、いっそのことこの部屋を破壊してやろうかと思った矢先、ガラガラと引き戸を開く音がした。
「ふふっ、ライアル、助けに来たわよ」
 まず、入って来たのはアンだった。
「アン、助かったぞ。今、部屋を破壊しようと思っていたところだ」
 そう言うと、溜息の音が聞こえた。
「また天井に悪戯しましたね」
 アンの後ろにいたのはジェンだった。ジェンは天井を見上げ、再び溜息を吐いた。
「空が見えた方がいいだろう」
 アンが粉々にした足輪を見ながら、ライアルはにやりと笑った。一日ぶりに立ちあがって伸びをする。曇り空ではあるが、すぐにでも日が差し込みそうな薄い雲ばかりだった。
「あなたは妖狼王と旅をしていましたからね」
「空は広いのが当たり前だ」
 魔界の空は広い。遊牧民も多い魔界では、大きな建物が少ない。
 そして、賢い妖狼王は、ライアルの質問に常に答えることができた。しかし、その妖狼王も今はいない。
「アン、私は旧棟に行く」
 ハートレスボックスは破壊した。旧棟に入るのを阻むものはほとんどないだろう、とライアルは思っていた。ハートレスボックス以上に解くのが困難な罠はあるが、高度な罠はない。妖界王しか作ることのできない高度な罠の奥に罠がある確率は低い。
 ライアルはアンを見た。アンは不気味な笑みを一層深めた。
「ふふっ、私について来て欲しいんでしょ」
 ライアルが大きく頷くと、その隣から小さな溜息か漏れてきた。
「心配だから、僕も行きますよ」
 ジェンは少し呆れたように笑っていた。


 塔はあっさりと侵入を許した。
「晴れてきましたね」
 ジェンが天井から透けて見える空を仰いだ。
 塔に入る前には曇っていた空から、光が差し込んでいた。
 光が差し込む大きな部屋には、濃紺の絨毯が敷かれていた。そして、大きな肘掛椅子が四つ鎮座している。まるで、つい最近まで人がいたかのようだった。宮殿のような高い天井を見上げると、見事な幾何学模様が刻まれていた。
 まるでセイハイ城のような美しい部屋だった。
「まるで城のようだな」
 それは、粉々に破壊された水晶の欠片だった。その破壊された一つ一つの水晶には封印が施されている。封印は永久魔法を抑え込むために使う。封印魔法には特異性がある。そのため、封印魔法を調べれば、封印された魔法が分かる。
 ライアルは永久魔法を媒介した水晶を調べた。封印魔法をかけた者はアンだろう、とライアルは思った。アンの魔法にはクセがあるのだ。ライアルは封印魔法の痕を辿る。
「アン、訊きたいことは色々ある。とりあえず、魔法学校の生徒を操ろうとしていた奴は誰だ? 天界人か?」
 かけられていた永久魔法は、人を操る魔法だった。アンはそれを解き、既に操られていた手遅れの人間たちを殺すためにやってきたのだ。永久魔法をかけ、魔法学校の生徒たちを操ろうとしていたのは、アンにとっての敵ということである。また、妖界王が再び永久魔法をかけることができないように、入口に罠を張ったのだ。つまり、永久魔法の術者は二人の共通の敵と言うことになる。
「天界人ではないわ。ここの主よ」
「魔法学校の創始者か?」
 ライアルは間髪入れずに尋ねた。
「厳密には違うけど、似たようなものね」
 魔法学校はどのような目的で誰が作ったのかということは誰にも知られていない。知られてはいないと言うことは、隠されていると言うことでもある。
 ライアルが知らないことは多い。隠されていることも多い。ライアルはたくさんのものを見てきているが、全体像が見えていないような気がしていた。四界から魔法学校まで、様々な断片を見ているが、それについて理解はしていない。
 ライアルはぼんやりと空を仰いだ。ガラスを支える装飾が陽光で輝いていた。ひび一つ入っていないガラスは、魔法学校特別塔よりも遥かに綺麗だった。しかし、ライアルは違和感を感じなかった。
 ライアルはセイハイ城を見慣れている。ライアルは魔法で維持された空間に違和感を感じない。
「しかし、すごいですね。埃一つありません。魔法でしょうか」
 だから、ジェンにそう言われるまで気付かなかった。魔法学校は広い。しかし、このようなセイハイ城のような場所をライアルは見たことがなかった。魔法学校だけではない。それ以外の場所でも、このような埃一つない場所をライアルは見たことがなかった。
 そして、ここにかけられた魔法とセイハイ城の魔法は良く似ていた。
「ここには精霊がいないのよ」
 アンは笑った。
「精霊って何処にでもいますが、見えもしないし、何かをするわけでもないから、特に考える必要のない……」
 魔法原理学上での精霊の扱いをジェンは述べた。
「ふふっ、その通りよ。よくアズサの本を勉強しているわね。精霊は現象を作りだしているだけよ。たとえば、あなたが雷を発生させなくても、雷が鳴ることがあるでしょう。それが精霊よ」
 精霊がいない。
 ライアルにはそれが異常に思えて仕方がなかった。
「私たちは精霊をねじ伏せて魔法を使っているのよ」
 アンのその言葉をライアルは聞いたことがあった。それも、アン以外の人間の口から聞いたことがあった。



 金色の髪を揺らす背の高い男はいつも優しい笑顔を浮かべていた。
「俺たちは精霊をねじ伏せて魔法を使っている。俺たちはいつ精霊の怒りに触れてもおかしくないんだよ」
 マラボウストークという男は、ライアルに多くの言葉を残していった。

Copyright(c) 2010 UNNATURAL WORLDS all rights reserved.