Unnatural Worlds

勇気の色

035

 砕かれた水晶を前に、サクは全てを悟った。アンの言いたいことも、アンの行動の意味も、全てを理解した。意識を集中させる。迷いがないわけではなかったが、後悔することはないと思っていた。
 それは、セイハイの持っている力、つまり四界の持つ魔力を自由に使うことによって実現した強力な呪いだった。サク自身をを媒介にした呪いのため、サクが死ななければ解けることはない。
 アンはすぐにサクから離れたが遅かった。
「アン、ごめんね」
「愚か者。この程度の呪いなど……」
 アンの魔法によって再生を封じられた水晶は、二度と再生することはないだろう。アンに押し付けられた体を起こし、何食わぬ顔で水晶の欠片を踏む王太子を見る。
 サクを見下すように見ていた王太子は静かに姿を消した。
「殺されなかったということは、僕はまだ操り人形ではないと言うことか」
 サクは真紅のカーペットに散らばった水晶を踏みつけた。城の中で生きているのはサク一人だった。
 初めて会った妖界人だった。そして、初めての妖界人の友達だった。綺麗で賢く強い心惹かれる友人だった。笑顔で語り合うなどと言うことは一度もなかったが、一緒に食事をとったり、レポートを見せて貰ったり、アンの魔化学の著書について質問したり、サクにとっては毎日が楽しかった。
 しかし、それは呆気なく終わったのだ。
 サクは、自分が生かされた意味をよく理解している。それと同時に、サクに何も言わなかった理由も理解していた。
 妖界王太子とセイハイの嫡男の一年間の学生生活は、二人に大きな影響と後悔を残した。二人が過去を振り返ろうとし始めたのはその数年後、そして全てが氷解するのは二十年近く後、燃え盛る家屋で再会した時だった。


「貴殿ならば、サク殿程度の呪いは、難なく解くことができるだろう」
 魔法学校での一件の数年後、一人の女にそう問われた時、アンは言い訳をした。言い訳をしてまで、呪いを解かない自分のことなど深く考えはしなかった。
 また、燃え盛る炎の中、死に際のサクのもとへ向かった時は、一瞬の迷いもなかった。
「無様な姿ね、サク・セイハイ」
 アンはサクに会いに行った理由など考えたくもなかった。
「ライアルに、一度だけチャンスをあげてくれないかな」
「ふふっ、私に育てろって言うの? 良い度胸ね」
 アンは不気味な笑みを浮かべてそう返した。しかし、サクは笑った。二人は変わったのだ。長い時間と一人の女の存在が二人を変えたのだ。


 アンはキナの部屋に向かっていた。ライアルの一件を報告する必要があったのだ。
「ハートレスボックスで、父に殺されかけたのか」
 だから雷が、と納得しているキナの横顔はとても嬉しそうだった。アンはキナの顔を見て僅かに表情を歪めると、踵を返した。
 キナは、弟が父親に殺されかけたという事実を聞いて溜飲を下げていたのだ。人気のない廊下で、そんなキナの姿を思い出しながら、アンは吐き捨てるように言った。
「可哀想な子。愚かで馬鹿で吐き気がするわ」
 そう言いながら、アンはキナを傷つけるようなことはしない。それに気付いている人間は極僅かだ。アンにとってキナは邪魔な存在であるが、同時にキナは必要なのだ。
「アンさん、四楼は如何ですか?」
 アンが部屋に戻ると、いつものように本を読んでいた少女アズサが顔を上げた。黒い髪に黒い瞳、東の魔法使いと呼ばれる魔法を使えぬ学者は、アンにそう尋ねた。
「迷っている。まだ自我はある」
 アンはそう答えながら、魔法で熱湯を出して紅茶を淹れた。
「アズサ、ライアルはフヨウは勿論のことサクにも似ていない。似ているのは見た目だけだ。会いたがっている」
 アンの言葉にアズサは立ち上がり、アンの目の前に座る。そして、アズサはじわりと染み込む茶色を見ながら尋ねた。
「無理です。見た目だけで拒否反応です。中身が似ていないと言われても、あの顔を見るだけで腹が立ちます」
 アンは笑った。そして、紅茶を飲むと再び立ち上がった。何も言わずに部屋から出ていき、アンの部屋の前を通り過ぎようとしていたジェンに話しかけた。


「いきなり出てこないで下さいよ。驚きましたよ」
 ジェンはいきなり出てきたアンに驚いた。
「ふふっ、酷いわね。あなたが来たから態々出てきたのに」
 かちゃんと自室の扉を止めて、アンは不気味に笑った。
「ジェン、着いて来なさい。ライアルもそろそろ暇を持て余しているわ」
 アンは、どうせライアルのところに行くつもりだったでしょ、とでも言うように、ジュースの瓶を見た。
「ライアルは安静にすべきです」
「ライアルは安静にできないわ」
「ライアルはやればできる子です」
 ライアルについて二人で言い合う。ライアルの扱いは酷いがそれは二人だけではない。最年少の彼に対する扱いはこの程度だ。特に、ライアルは大人しくしているという行為が一番苦手だ。彼が大人しくしている時は居眠りをしている時くらいである。
「知っているかしら? ライアルの母親がキナを産む時は、臨月になっても仕事をしていたわ。動かざるを得ないのよ」
「知るはずないでしょう。僕生まれていませんから。誰も止めなかったんですか?」
 ジェンが生まれたのは、キナが生まれた五年後である。
「サクが怒っていたわ」
「当たり前でしょう」
 むしろ、怒らない方がおかしい、とジェンは思った。そして、銀色の髪の男を思い出す。
「サクはライアルとキナことを大切に思っていたのでしょうか」
 ジェンがそう尋ねると、アンは不気味な笑みを張り付けたまま言った。
「唯一の心残りだと言って、私に託すぐらいにはね」
 ライアルを養育したのは、キナを預かっていたジェンの両親ではなく、妖狼王だった。そして、妖狼王にライアルの養育を任せたのは、サクにライアルを託されたアンだったのだ。
 アンは魔法学校に再入学する前から、ライアルのことを知っていたのだ。そして、ライアルを見ていたのだろう、とジェンは思った。
「サクはあの程度でライアルが死ぬとは思っていないわ。最初から、彼はライアルに殺される気でいたのよ」
 碌でなしな親よねぇ、とでも言うようにアンは笑う。
「あなたが殺すということは予想していなかったのですか?」
「ふふっ、当然よ。私はまだ彼の呪いを解いていないから」
 ジェンは驚いた。アンが呪いを引きずったままにするとは思えなかったからだ。アンほどの力があれば、大抵の呪いは自力で解ける。
「道連れの呪いよ」
 道連れの呪いとは人を殺した時に自分も死ぬという呪いのことである。アンの腕に青い文様が表れた。複雑に絡み合った文様は顔にまで広がっている。ジェンが見ても、強力な呪いと分かるようなものだった。
 普通の呪いとは桁が違う。
 アンとサクの関係、それはジェンには想像もつかない。しかし、ライアルへの執着の原点はサクにあるのだろう。とジェンは思った。ライアルはサクとよく似ていた。
「あなたは、サクのことが……」
 そう言いかけた時、ジェンの隣にアンはいなかった。慌てて前を見ると、アンが前方の角を曲がるところだった。
「アン、どこに行くのですか?」
「別にあなたの許可がなくても、私は簡単にライアルを開放できるわ」
 振り返った時の不気味な笑みに、ジェンは溜息を吐いた。

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