Unnatural Worlds

勇気の色

034

 最後の階段を上がると、大きな部屋に出た。そこには、銀髪青眼というセイハイの色彩を持った、ライアルによく似た男がいた。しかし、ライアルが滅多に浮かべないような曖昧な表情には、物静かな雰囲気があった。
「騙し討ちかしら?」
 しかし、そのアンの言葉によって弧を描いた口元は、ライアルの笑い方そっくりである。
「正攻法では勝てないからね」
 そして、高くも低くもない独特の高さの声も同じだった。
「どういうことですか?」
 アンの反応から、この男がアンが予想していた要であることは分かった。しかし、会話の意味は全く分からない。そして、ライアルの姿は見当たらない。
「この男は、優しい言葉を吐きながら、実の子を刃で貫いたということよ」
 そう言ってアンが指さしたのは、男の足元にある黒い布の塊だった。ジェンは目を見開いて男を見た。ライアルの父親は故人だった。そして、ライアルの両親はジェンの両親と仲が良かった。ジェンと会っていても不思議ではない。
 銀色の髪に青い瞳はセイハイのものに間違いはなかった。青い瞳を持つ者は少なからず存在するが、キナのような濃い青色をジェンは見たことがなかった。この珍しい濃い青色、つまりセイハイの青色の瞳をこの男は持っている。しかし、何処かが不自然だった。
 銀色の髪に青い瞳という美しい色彩を持っていながら、この男の顔は平凡だった。ライアルと同じ目立たない顔なのだ。この色彩を持ち、誰もがつい振り返りたくなるほど美しいキナを見ているせいなのか、とジェンは考えたが、そうではないように感じた。
 そして、この男は息子であるライアルを刃で貫いたというのだ。ジェンは黒い布の塊を見た。微動たりしない。
「大丈夫だよ、まだ生きている。この子はこの程度では死なないだろうから」
 ジェンの顔を見て男は笑った。ジェンは黒い布の周囲を見た。真紅のカーペットが血の広がりを隠していた。
「ランゴクの子だね。ジェンかな? 僕のことは覚えてないだろうなぁ。君は幼かったから」
 ジェンの藍色の瞳を見ながら男は微笑んだ。
「久しぶり、ジェン。僕はサク。君の両親であるヒューとカリナは、ライアルの母親の同僚だった」
 この男がライアルの父親であることは分かっている。
「あなたの妻ではなくて?」
 妻の同僚だったと言えば早い話なのだが、彼はわざわざ妻と言う言葉を避けた。ライアルを介して、ライアルの母親を指したのだ。
「見た目によらず鋭い子だね」
 サクは一瞬目を丸くした。
「キナとライアルも嫡子ではない。僕たちは結婚しなかった。結婚する意味がなかったといった方が正しい」
 ジェンは目を見開いた。魔界では一族の合意がなくては結婚ができない。だから、非嫡子であるということは、一族の合意が得られなかったということである。
「お喋りはその程度にして、ライアルを返してくれるかしら?」
 アンが苛々したように言った。
「そうしたら、君は僕を殺すだろう」
 しかし、サクは余裕の笑みを浮かべてそう返す。
「それ以外に何をするのかしら?」
「僕は二度と死にたくないよ。痛いし苦しい」
 サクはあからさまな溜息を吐いた。
「僕は今、妖界王に作り出された幻影だ。幻影だけど、生きていた頃と何も変わらない気がしてね」
「最初から生きてすらなかったんじゃないのかしら?」
 アンはあっさりとそう言った。
「辛辣だね。間違ってはいないかもしれないけど」
 サクはそう言って、足元の黒い塊に目をやった。
「一目見て分かったよ。この子は僕を殺すことができる。要を破壊することができる」
 そういう顔をしていたから、とサクは続けた。
「自分が死にたくないから、彼を刺したのですか?」
 ジェンは感情を押し殺して尋ねた。
「一度死んでいると、生きる意志を捨てなきゃいけないのかな? 妖界王に作られた幻想だと、抵抗してはいけないのかな?」
 まさか、質問で返されるとは思っていなかったジェンは狼狽した。
「ジェン、もし君が、殺されることが決まっていたら、はい死にます、と言って無抵抗で死ぬのかな?」
 そんなジェンに、サクは追い打ちをかけるかのように言った。しかし、とても愉快そうに笑っている。それは決して狂気じみたものではなく、未熟な子どもに対する親の笑みのようなものだった。
「あなたは一度死んでいます」
 ジェンは、サクの方が自分よりもはるかに上手であることを悟った。そして、遊ばれていることも理解していた。だからこそ、言葉は最小限にする。
「そんなのは些細なことだ。一度死の苦しみを知っていれば、死にたくないのはなおさらだろう」
 しかし、ジェンの努力も無駄に終わる。サクは微笑を浮かべながら、さらりとそう返す。
「そして、僕は君に訊いているんだ。もし、君がそうであったならどうするかな」
 サクは、サクがどうするべきかということではなく、ジェンがサクの立場であればどうするのかを尋ねているのだ。
「何故、そんなに熱心にお尋ねになるのですか?」
 ジェンで遊んでいるにしては、サクの質問はしつこい。まるで、ジェンがサクと同じ立場に置かれることが分かっているかのようだった。
「本当に鋭いね。まぁ、鋭いから訊いているんだけど」
 サクはにやりと笑った。その時だった。アンが目を細めた。空気が収束する。ジェンはその感覚を知っていた。
 激しい音と共に紫電が落ちた。ライアルの魔法を幾度となく見ているジェンは、それが骨までなくしてしまうような威力であることを知っていた。即死させることのできる雷をライアルは作り出したのだ。
 黒い布の塊が動いた。
「待っていたわ、ライアル。遅いわ」
 アンは黒い布の塊に近付き、布の裾を掴んで一気に取り払った。
「ライアル、立ちなさい」
 血溜まりの中に伏せているライアルの腕を掴み、無理矢理立ち上がらせる。大怪我を負った者に対する乱暴な扱いに、ジェンは非難の声を出そうとした。
「この愚かな物体とあなたは違うのでしょう」
 しかし、ライアルは立った。ジェンを制するかのように血だらけの顔を上げ、目を開けてジェンを見た。草原色の目は鋭かったが力んでいた。ジェンは思わすライアルの眼光から目を逸らし、この異常な体と精神を持つライアルは自分と同じ人間ではない、と確信した。
 ライアルとは対照的に優雅に笑うアンだが、その目はライアルによく似ている。
「ねぇ、ジェン、あなたはこれでも私たちを導けるかしら」
 アンは挑戦的な笑みをジェンに向けた。
「何を言っているのですか?」
 ジェンは動揺していたが、それを押し殺して尋ねた。
「アン、お前、いつでも父さんを殺せただろ。趣味悪い」
 喉を押し潰されているかのような微かな声に、アンは笑った。
「ふふっ、私はあの男が気に入らないから、きっと即死させてはやらないわよ」
 その言葉にライアルが笑いだした。場違いな大きな笑い声だった。
 ジェンは知っている。ライアルは大きな声を出して笑うことは滅多にない。

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