Cool Fire I

Prologue


 普通の中学生だった私の生活が吹っ飛んでしまったのは、桜の舞う季節の一日だった。
 私はいつものように、教室で読書をしながら、親が持たせてくれた暖かい紅茶を飲んでいた。ラベンダーの香りが漂っていたが、誰も私に文句をつけるものはいなかった。文句を言わせる気もないけど。
 紅茶を持ってきてはいけないなんて、生徒手帳には書いてない。既に私はチェック済みである。我ながら要領がいいと思う。
 私はそう思いながら、悠々と休み時間を過ごしていた。
 しかし、それは長くは続かなかった。二杯目の紅茶を入れ、プラスチック製のコップを口につけたときに、私の世界は変わってしまった。空間が歪む。私は驚いて目を瞑った。貧血かもしれない、と思い当たる行動を探るが見つらない。(昨晩、双子座流星群が見えるということで、一晩中天体観測をしていたという事実は、この際無視だ)
 私はいつの間にか立っていた。恐る恐る目を開ければ、目の前には黒いマントを着た、外人が立っていた。
「悪いね。間違えてしまったよ」
 赤みを帯びた茶髪の背の高い男である。歳は丁度三十前後だろう。男はたいしたことがないように、軽く言った。少し気に障る。
「ここ、どこですか?」
 黒色の輝く床に真紅の細長い絨毯が伸びており、その先、男の後ろには玉座がある。横には、何本もの黒い立派な柱が建っていた。
「ここは妖界だ」
 男はそう言った。そして、私に説明を始めた。
 話を要約すると、ここは異世界の城で、暇でしょうがなかった男は、なんとなく召喚魔法を使ってしまい、私を呼び出してしまった、とのことだった。因みに、この男はこの異世界、妖界の王様らしい。
 迷惑なんて次元の話ではない。それより、何故この王は、召喚魔法とかいう、難しそうな感じの魔法(私の独断と偏見だが)を、なんとなく使ってしまったのだろうか。
 それ以前に、何故この人は日本語を喋っているのだろうか。これも魔法なのか。
 しかし、こんなことを一々考えていてもしょうがないので、私はこの男、妖界王にこう尋ねた。
「私は何をすればいいのですか?」
 すると、妖界王は、私に真顔で質問した。
「生きたいか、それとも死にたいか?」
 からかっている訳ではなかろう。それは顔を見ればすぐに分かった。一体、この世界は何なのだろうか。このような人間がウヨウヨといるのだろうか。それならば非常に困る。
「勿論、生きたいです」
 私は答えた。すると、妖界王はぶつぶつと、戦闘向きではない、とか、暗殺には不向きだ、などと物騒なことを呟いた。
「後ろの扉を出て、右に曲がって三つ目の扉を開けろ。そこの中にいる者の手伝いをして貰おう」
 考えがまとまったのか、妖界王はそう言って、私の背後にある大きな扉を指差した。
 相手が王様ということもあったので、私は一礼してから大きな扉を押して外へ出た。果たして妖界で、礼が私と同じ意味で使われているのかは、良く分からないが、この際置いておこう。
 廊下も真紅のカーペットが敷いてあった。壁と天井は漆黒である。
 左右に広がる廊下には、ずらりと大きな扉が並んでいた。私は右に進み、三つ目の扉の前で立ち止まった。茶色の扉は、簡素だ。
「何か用?」
 声をかけられ、後ろを振り向くと、長く鮮やかな紅い髪が目に入った。歳は、自分と同じぐらいであろう少女だ。漆黒の服に、所々紅いラインの入った服や、その無表情だが端麗な顔に気を取られそうである。
「この部屋の人に用があります」
 すると、少女は私を上から下まで見た。
「この部屋の主は私だけど、世界人が何?」
 意味不明な単語や、意味不明の現象を、あっさりと流す技を短時間で身に付けた私は、世話する人が自分と同じぐらいの少女でよかった、などと多分場違いであろうことを考えながら、質問に答えた。
「陛下に、貴女のお手伝いをするように言われました」
 私はそう言って、少女の顔色を覗った。やはり、少女は無表情であった。
「勝手にして」
 少女はそう言い放つと、扉を開けた。一つに束ねた紅い髪が揺れる。
「入るの、入らないの?」
 私が突っ立っていると、少女はそう尋ねた。その声は明らかに不機嫌な色に染まっている。
 私は急いで扉の中に入る。少女は既に部屋の奥の方に入ってしまったようだ。
 部屋の中も簡素だった。家具は机が一つ、椅子が一つあるだけである。狭くはない、しかし、広くもない。唯一変わったものがあるとしたら、部屋の隅にある大きな鍋と、棚に整列させられた奇妙な色の薬品の数々である。
 私は、彼女は学者なのだろうか、この薬品は遷移元素化合物の混合物なのだろうか、それならば、何に使うのか、などということを考える。(因みに私は科学っ子である)
「薬には触らないで」
 私がその棚に見とれていると、少女はぴしゃりと言った。
「名前、何て言うんですか」
「アン……?」
 鮮やかな赤い髪と、アンという名前。どこかの小説の主人公を連想させた。しかし、雰囲気が違う。違いすぎる。はっきり言って、次元が違う。
「貴女は?」
 私は我に返った。
「アズサです」
 はっきりとした声で答える。
「アズサね……」
 少女はそう呟いた。


 私には、アンさんの隣りの部屋が与えられた。質素な部屋だったが、広く、置いてある物は良い物ばかりだった。流石、王城である。
 暫くすると、扉が開いた。振替えれば、扉の前にアンさんが立っていた。
「見回り」
 それだけ言って、出て行こうとする。私はパタパタと走って着いて行った。
「アンさん、私、何もできませんよ」
 アンさんには悪いが、不審者がいたとしても、叫ぶことしかできないのだ。空手とかやっていたらよかったのだが、悲しいことに私のやっていた習い事は、ピアノと習字である。本当に役に立たない。
「別に良い。元々期待してないから」
 アンさんはすたすたと歩いて行ってしまう。私は、幾つかの疑問を抱きながらも、私は小走りでアンさんについて行った。
 階段を下りると、数人の兵士らしい人もいた。しかし、アンさんを見た瞬間、こそこそと逃げるようにして部屋の中に入っていく。アンさんは身分の高い人らしい。
 暫くして、アンさんが動いた。私の方を振り返ったかと思うと、次の瞬間、私の前にアンさんはいなかった。
 アンさん、と言いながら後ろを振り返れば、アンさんと血を流しながら倒れている兵士がいた。
「その人は?」
 アンさんは私と言ったことを無視して、すぐ前を歩いていった。私は、後ろの兵士が気になったが、アンさんが見えなくなってしまうと困るので、走ってついて行った。
 兵士は高確率で生きている。傷は浅そうだったが長かった。(動脈は切れていなかったようである)
 アンさんは、何故あの兵士を半殺ししたのだろうか、と考えると、答えはひとつしか出てこなかった。あの兵士は、きっと私を殺そうとしていたのだ。
「アンさん、助けてくれてありがとうございました」
「頭は回るのね」
 アンさんは振り返ることなく、そう答えた。でも、始めてアンさんに褒められたかもしれない私は、嬉しくてたまらなかった。というか、驚異である。アンさんは、愛想が良い方だとは思えないし、お世辞も言わないようだから、本心かもしれない。
 アンさんの身分が高いことは確定だ。きっとこの兵士は、アンさんの傍にいることができるのに関わらず、戦えない私に恨みを抱いたのだろう。
 城ということもあるが、どうやら妖界は、あまり温厚な性格をした人がいないらしい。そう考えると、この城は私にとってあまりにも危険だ。
「アズサ、走ってきて」
 二つほど階段を下りたところで、アンさんは言った。私は、何故かと思いながらも、アンさんの近くまで走っていった。アンさんが私の手を掴み、引き寄せると、黒いベールが私とアンさんの周りを包んだ。
 黒いベールは、襲い掛かってきた業火から私達を守った。黒いベールが切れたかと思うと、アンさんの手の中には黒く輝く球があった。
 アンさんはその球を、数メートル先にいた兵士に投げつけた。
「ありがとうございます」
「弱くて馬鹿な役立たずの兵士は嫌い」
 アンさんは少しだけ笑ってくれた。
 そこまでは良かった。アンさんはその後、隣にあった部屋を黒く輝く球で強引に開けると、黒い炎をぶち込んだ。兵士の呻き声が聞こえる。
「あの、アンさん?」
 片っ端から扉を壊し、魔法らしきものを部屋の中にぶち込む。
 これって、ストレス解消とか、やつ当たりとかいう次元の問題ではないでしょうか。
「何?」
 不機嫌そうなオーラ全開で、アンさんは私を見てきた。
 すみません、兵士さん。私にはアンさんを止める力がありません。
 私は溜息を吐きながら、アンさんの後をついて歩いた。
 三十部屋は壊して回っただろうか。数えていないから分からない。(私は、意図的に数えることをしなかった。誰が半殺しになった兵士達の部屋の数を好んで数えたがるだろうか)
 アンさんは、部屋を壊すだけでは飽き足らず、部屋から兵士を引きずり出し、魔法で壁に埋めたりしていた。(兵士の顔が壁から出ているのは、非常に滑稽だった、なんて言う余裕はない)
 アンさんが壁に埋められた兵士の顔に、魔法で何かをしようとしたときには、流石に私も止めに入った。(アンさんは軽く舌打ちした)
 そのうち、ただ前へ進むだけだったアンさんが振り返った。私は走ってアンさんの隣に行く。(魔法で燃やされるなんてゴメンだ)
 アンさんは私の手を掴む。すると、一瞬辺りが暗くなった。
 暗闇が融けるように去っていくと、服のたくさんある部屋だということが分かった。まるで服屋のように服が並べてある。広さはそれほど広くないが、教室の半分ほどはあるだろう。
「好きなものを選んで良い」
 アンさんは私に選ばせてくれた。部屋も与えてくれたし、兵士から守ってくれて、凄く良い人だ。(傍若無人である点を除けばだが)
「ありがとうございます」
 私は目に入った黒いズボンと、黒いスウェット、白い上着を頂くことにした。アンさんに、青と黒はどちらがいいかと尋ねたら、アンさんは少し間を置いた後、黒と答えてくれた。
「これも……二枚ぐらいあった方が良い」
 アンさんはいつの間にか、灰色のスウェットと、黒い上着と、白いズボンを持っていた。
「ありがとうございます」
 アンさんは、先ほどのように私を部屋に送ってくれた。(アンさん曰く、瞬間移動というらしい)本当に親切だ。(傍若無人という点を除けば)

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