Cool Fire II

Two Pair


 私はアズサ。つい最近まで、普通の女子中学生だった。語学が苦手なのと、科学が好きなところ以外、特に変わったことはなかった。カタツムリの繁殖を成功させて、感動と喜びで熱を出したのはこの際置いておく。とりあえず、私は普通の中学生だったということだ。
 しかし、妖界という異世界の王様の気まぐれで召喚されたのが運の尽き、メルヘンのメの字も無い妖界の城で、暮らすことになってしまった。
 妖界城。この城では、殺されたら、殺された奴が悪い、という感覚であるということや、食べ物に毒はあたりまえのような入っていることや、王の遊びに強制的に参加させられることなど、様々なことに耐えなくてはいけない。殺伐すぎて、陰謀などが渦巻いていないことだけが、唯一の救いだ。
 そんな私はの職業は妖界王女、アンさんの騎士。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
 では、私は何をしているのか。
 それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
 私は、妖界王の召喚の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
 そんな私は、今まさに死ぬと思っていた。否、死ねると思い込んでいた。
 押さえられていたシンスの足が退き、それと同時に、凄まじい怒鳴り声が耳に飛び込んでくる。
「シンス、お前は何をやっている。坊に迷惑を掛けるのは良いが、王太子殿下に迷惑を掛けるとは、何様のつもりだ」
 低くてどすのきいた男の人の声である。坊とは誰のことだろう、と疑問に持ったが、今はそれどころではない。
「遊んでいただけですよ、ねぇ?」
 顔を上げれば、すぐ目の前から歪んだ笑顔を向けられた。気持ち悪い。本当に気持ち悪い。気持ち悪いだけでは無くて、本当に腹立たしい。
 今まで、これ程までに腹立しかったことはなかった。
「殺されかけていました。ありがとうございます」
 ぐいっと、顔を背け、命の恩人の方に向かって礼を言う。白色の髪に、黄色の肌をした、快活そうな男である。シンスと豪い違いだ。
 私は、白髪の男に、はっきりと言った。そう、わざとらしい位に。子どもっぽいかもしれないが、殺されかけたんだから、このぐらいやっても良いと思う。第一、私は今物凄くイライラしている。
 すると、白髪の男は、シンスの方を向いた。
「シンス、私の方が身体能力で大きく上回っていることが、まだ分からんか」
 白髪の男は、シンスを蹴り飛ばすと、そのまま足でぐりぐりと踏みつけた。
 今、私物凄く気持ちが良いです。すっきりしました。
「あと一つ。傷つけることを好むお前に、妖界の美しさは語れん。逃げたあの魂精霊は立派な妖界人だ。生命とは何たるものかを理解し、実行している」
 突然やってきた男の人は、アルテミア君を褒めているのだろうか。褒めているようにはどうしても見えないが、本人は褒めているつもりらしい。
 シンスを踏みつけたまま、白髪の男は私の方に体を向けた。
「私は妖界元帥ユギリス=ハーヴェイで御座います。」
 穏やかな声で、ゆらりと頭を下げる紳士っぷりに、私は驚いた。
 妖界に元帥がいるなど知らなかった。元帥は将軍よりも上だろう。軍事では、アンさんよりも上の位なのかもしれない。
「私は妖界王太子騎士、魂精霊の東の冷たき魔法使いアズサと申します」
 できる限り丁寧に挨拶をすると、元帥はアズサ殿ですが、と呟いた。
「どうか、我が同僚の馬鹿をお許し下さい。謝ることのできない無能で御座いますので、私から謝罪を……」
 そして、再び丁寧に頭を下げてくる。
「恐縮です。妖界の者でありながら、このような姿をお見せしてしまい、申し訳御座いません」
 悪いのは、地面に這い蹲ったまま、薄ら笑いを浮かべている気持ち悪い男であって、元帥では無い。
「ところで、ハーヴェイとは苗字ですか?」
 そもそもこの世界に苗字はあるのだろうか。アンさんもアルテミア君も、妖界王も無さそうである。アルテミア君のセイレーンは、便宜上の種族名であって、苗字では無い、と少し前にアンさんが言っていたような気がする。
 元帥は口を開きかけたが、それより先に、聞きなれた声が聞こえた。
「妖界において、ハーヴェイには、仮という意味がある。つまり、客員元帥ということだ」
 足音も立てずに部屋に現われたのは、私に降りかかる災いのほとんどの原因であるだろう妖界王。
 しかし、客員というからには、外部の人間。客員教授ではないのだ。軍の頂点に外部の人間をつけても良いのだろうか。
「強ければ何でも良い」
 妖界王は、私の考えていたことを読み取ったのか、私が尋ねるよりも先にそう言った。
「坊、繋いでおけ」
 坊。一度疑問に思ったが、私は考えないでおいた。この妖界王を坊と呼ぶとは、流石客員元帥という以前に、流石妖界である。しかし、坊と呼ぶということは、元帥は妖界王よりも年上ということである。金色の肌から、元帥が人間ではないということは、すぐに分かる。
 それにしても、齢が千を超えた時点で、年上も年下もないような気がするのは、私だけだろうか。
「では、妖界軍を任せているお前の部屋に繋いでおけ」
 妖界王は、にやりと笑ってそう言った。人の悪い笑みと言うやつである。
「正気か?」
 元帥は、目を見開き、あからさまに嫌そうな顔をした。私は、元帥に同情した。私だったら絶対に嫌だ。
「監視もしておけ」
「この男と二人きりで過ごせと言うのか?」
 元帥はシンスを踏みつけたまま、王に向かって尋ねる。
「当然だろう。妖界元帥。シンスも、お前を呼び出すために、やったのだろう」
「普通に呼べばよいものを……」
 元帥は怒鳴る気力もないといった様子で、大きな溜息を吐いている。
 全くである。人一人呼ぶために、殺されかけるというのも、そうだが、何よりも、シンスの茶番に付き合わされたということが、腹立たしい。
「楽しくなりそうですね」
 シンスは、溢れんばかりの笑顔を元帥に向ける。
「楽しいのは、お前だけだ、シンスッ。絶対何かやるだろう。というよりも、こういう展開になること分かっていただろう。妖界参謀がっ」
 大体、この三人の位置関係がつかめてきた気がした。彼らは、こんなやり取りを、何百年も続けてきたのだろうか。
「元帥閣下、力はありますけど、頭悪いですからねぇ」
 一々嫌味な奴だなぁ、と私は思った。
「元帥閣下、アズサが世話になった」
 すぐ後ろから声が聞こえて、振り返ってみると、アンさんとアルテミア君がいた。
「王太子殿下、長らく御暇させて頂いておりました。妖界元帥ユギリス=ハーヴェイ、殿下の立太子式に参列できなかったこと、甚く申し訳なく思っております」
 妖界騎士を踏みつけ、妖界王を怒鳴りつけていた元帥は、速やかに跪くと、丁寧に挨拶をした。私は目を細めてその姿を見て、納得した。ああ、そういうことか、と。気になっていた謎になりきれない謎が解けたのだ。
 いつもと変わらない、アンさんの適当な返事のやり方を見ながら、私は、あとでアルテミア君に聞いてみよう、と思った。
「我が騎士よ、あいつは誰の部下なのか?」
 坊呼ばわりされている、一応この妖界の王でいらっしゃる陛下は、シンスに尋ねていた。
「とりあえず、陛下ではありませんね」
 シンスは煌めく笑顔を浮かべていた。
 男三人勝手にやっておけ、と思った私は、果たして性格が悪いのだろうか。
 歩きだしたアンさんの後ろについて、アルテミア君の部屋から出ようとすると、耳につく声が流れてきた。
「まさか、あなた、自分が死ぬと思いましたか? 魂精霊は死ぬことはできないのですよ。主が死ぬまで、ずっとずっと苦しまなくてはいけないのですよ」
 その言葉で、私は初めて、自分が生きている者ではないということを、思い知らされてのである。


「ユギリス=ハーヴェイね」
 アンさんは、歩きながら呟いた。
「気をつけてね。そして、あまり近付かない方が良い」
 そして、私の方を振り返って、そう言った。
 シンスのように、危機感があるわけでも、敵意を向けられたわけでもなかったので、何故だろうか、と思いながらも、頷く。
「あの男に暴れられたら、止められるのは妖界王だけ……妖界王でも無理かもしれない。妖界城で一番強いから」
 すると、アンさんはちゃんと説明してくれた。
「暴れるんですか?」
 しかし、あまり納得はいかなかった。妖界人には珍しく、かなり普通の人だった。暴れるとは思えない。
「彼は基本的に紳士だけど、妖界元帥。妖界第二の地位にあるんだから、妖界人の性質は備えている」
 アンさんは、ゆっくりと息を吐きながら、そう言った。そして、続ける。
「シンスとユギリスは、妖界王の二人の魂精霊。二人の魂精霊は、王家を継ぐ証」
 だから、アンさんは立太子式の後、私たちを魂精霊にしたのか、と私は漸く理解した。しかし、アンさんの地位が関わってくるとは思わなかった。
「私って重要人物になったのですか?」
「形式的には、重要人物だけど」
 それは、実際は全然重要では無いってことですか。確かに私は役に立ちませんね。
「シンスの顔、気持ち悪い?」
 アンさんはそう尋ねてきた。私の考えを読んだのだろうか。
「気持ち悪いです」
 気持ち悪い、というのは、私の自発的なものだった。何故なのかは分からない。しかし、気持ち悪いのだ。全ての危険信号が言葉にできるとは限らない。そもそも、人間以外の多くの生物は、言葉を持たない。
 答えると、アンさんは、そう、とだけ答えると、少し考えるような仕草をした。珍しい、と思っていると、アンさんは再び口を開く。
「大丈夫。気持ち悪いと思うのは当然のこと」
 そして、私はこの王家の重大な秘密を知ったのである。


 アンさんは、再度出かけていき、私はアルテミア君とアンさんが魔法をかけた部屋で御茶を飲んでいた。アルテミア君は、重苦しい雰囲気をまとっている。
「アルテミア君、ちょっと良いですか?」
 私が声をかけると、アルテミア君は、世界が終わったかのような顔をした。
「いや、別に逃げたことを怒っているわけではありませんよ。聞きたいことがあって……」
 私はアルテミア君に、元帥と喋ってから気になっていたことを話した。そして、最後に質問をする。質問は、私の予想であった。
 アルテミア君は、ゆっくり息を吐き出しながら笑い、目を細めて頷いた。
「やはりそうでしたか」
 本人以外は、全員が気付いているという事実と、こういう類のことにだけ、鈍い“本人”を思って、私たちは密かに笑った。

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