前夜 守護

Photo by (c) Butterflyxxx
 夜が明ける時、空は血塗れになる。それは美しい。しかし、それを見ている者は、あまりにも少ない。


 魔界治安維持精鋭部隊守手。精鋭部隊というのは名だけで、実際はただの魔界政府の暗殺部隊。身寄りの無い子どもや若者たちの溜まり場。
 魔法を使われる前に、剣で薙ぐ。飛び道具は跳ね返す。刃には刃をぶつける。頭から血を被っても、それでも感覚だけは研ぎ澄ます。
 ふいっと、風が動いた。
 煌く銀の刃に、やられた、と思ったが、不思議と痛みは走らなかった。いつだってそうだ。フヨウは人間ではない。人間に、身体能力で劣るはずがない。
 仕事を終えたフヨウは帰路につく。


「サクはいないのか?」
 フヨウは、いつもならばお茶を入れて待っていてくれる配偶者の不在にすぐに気付いたようだった。
「先程出かけました」
 フヨウの弟子であり、家事をこなす青年、マラボウストークは、そう答えた。


 フヨウとサクが暮らす家には、地下室がある。その存在を知っているのは、二人だけだ。
「サクさん、寂しがってましたよ」
 マラボウストークは、呆れ気味に言った。
 地下室は薄暗かった。そして、薄暗い地下室の一番奥に座っているのがサクだ。
「知ってる」
 無表情というには柔らかくて、微笑んでいるという程、暖かくも無い微妙な表情。高くは無いが低くも無い落ち着いた声で囁かれる言葉は、短い。
 サクは自分の周囲に広がる、未だ新しい血に浸かっていた。その肩からは、いまだに出血が続いている。酷い怪我だ。
「いつか死にますよ」
 マラボウストークはそう言いながら、サクの傍に寄った。
「分かってる」
 サクはさらりと返す。マラボウストークは、サクの青の双眸が、自分など見ていないことを知っていた。抵抗もしないが、協力する気も無いサクの肩に、マラボウストークは医療魔法をかけていく。
「フヨウ様が悲しみますよ」
「当たり前」
 即答だった。
「良いんですか?」
「さあね」
 さあねじゃない、とマラボウストークは思ったが、黙っていた。
「全く……高度守護魔法を使うなんて……」
 ぶつぶつと言ってみるが、サクはただぼーっと前を見ていた。全てを諦めているかのような青眼。ほとんど歪められることの無い口元。マラボウストークは、それらを順順に見ていった。
 マラボウストークは、サクが好きだった。尊敬していた、とも言えるだろう。しなやかな強さと、さり気ない気配りと、並外れた魔法と頭脳の実力。普段は目立たないが、影か薄いわけではない。いつだって、必ず敬意を払われている。
「サクさん」
 こちらが呼びかければ、何事も無かったように、マラボウストークの方を向く。
「俺は幸せです」
「それは良かった」
 サクは、青い双眸を僅かに細め、くすりと笑った。


 フヨウは腕の中にいる我が子を見た。
 自分と同じ髪の色で、自分と同じ目の色。先程まで、マラボウストークが抱いていた子どもは、すやすやと眠っている。
 いつまでこの子どもと共に過ごせるだろう、と思い、フヨウは自嘲気味に笑った。
 四界に命を狙われるフヨウと、最近の魔界政府が、不穏な動きを見せる中、一層不安定になってきている立場のサク。
 ライアル。偽りの名をつけられた子どもが成人するまで、生きることは叶わないだろう、とフヨウは思っていた。しかし、フヨウは、最後まで面倒を見切れないであろう子どもを産んだことを、後悔したことは一度も無かった。
 フヨウは、未だに薄い緋色の髪を静かに撫ぜた。擽ったいのか、嬉しいのか、幸せそう笑みを浮かべる子どもは、どちらにも似ていない。
「何を掴もうとしているのかね」
 小さな手を、僅かに上げて、何かを探すかのように動かす。フヨウが、毛布を持ってこようと思い、ライアルをソファーにのせたからだろうか。
「大丈夫だ。私がいなくても、誰かに握ってもらえば良いからね」
 フヨウは穏やかに笑うと、早足で毛布を取りに行った。

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