魔界政府防衛大臣エルツァ。魔界治安維持精鋭部隊守手り直接の上司に当たる。
「あなたは、僕に正義を追求するならば、追求し続けるように言った」
魔界の首都、魔法の町の一室。青年は、部屋の天井を仰ぎ見て、ただ一人、そう呟く。
「そのためには、幾多もの裏切りを続け、冷酷にならなくてはいけないと言った」
エルツァの脳裏に映るのは、共に過ごしてきた仲間たち。とことん馬は合わなかったが、誰よりも信頼できるマラボウストーク。幼いながら、女王の風格を持つクロウ。心優しいトウキ。そして、それを嬉しそうに見ている師と、その隣で微笑む青年。
「フヨウ様……」
謝罪の言葉は出てこない。謝罪というのは、許してほしい時に言うものだ。師を裏切ろうとしている自分に、謝罪など許されるはずが無い。
そんな時、かたりと扉が開いた。
「エルツァ大臣、何かございましたか?」
時は来てしまった。
入ってきたのは、一組の男女。守手をやっているランゴクの夫婦だ。
「極秘命令だ」
口元が痺れる。しかし、今日しか実行は不可能なのだ。マラボウストークのいない今晩を逃すことはできない。
「セイハイを滅ぼせ」
ランゴクの夫婦の顔色が変わった。この夫婦が、師の夫婦と交流があることを、えるツァは知っていた。
「勿論、一人残らず」
この罪は許されない。
エルツァにはその確信があった。しかし、これが成功する確信もあった。
エルツァの師、フヨウは、誰よりも夫を愛していることをエルツァはよく分かっていた。否、よく分かっていると思い込んでいた。
窓の外に広がる闇には、白い光が差し始めていた。
暖かな光が満ち溢れる家の扉が、ゆっくりと開いた。
「お父さん、お母さん、お帰り……あれ? 何で母さん泣いてるの?」
その扉が開くのを待ちわびていた小さな少年は、母親の様子が、いつもと違うことにすぐに気付いた。ねぇ、どうしたの、と心配そうに尋ねる。
「キナ、ジェンを寝かせてくれないかな?」
少年の父親は、少年の後ろに立つ少女に言った。少女は、お任せ下さい、と僅かに微笑んだ。しかし、そう言いながらも、やはり少女も、少年の母親の異変が気になるようだった。
「お母さん、大丈夫。よしよししてあげるね」
少年は母親に駆け寄ろうとしたが、後ろから少女に抱かかえられる。
「ジェン、もう寝よう」
少女は優しく微笑んだ。
「でも……」
少年は暴れることはしなかったが、未だに母親が心配なようだった。藍色の大きな目を、少女に向ける。
「ジェン」
父親が咎めるように名を呼んだ。すると、少年は、僅かな不満を残した声で、おやすみなさい、と言って、少女と共に去っていった。
女は、玄関でずっと泣いていた。
「行きたくないのなら、私が一人で行ってくる」
男は、はっきりとそう言った。すると、女が顔を上げた。
「あなた一人に、全てを背負わせる気はございません」
何かを決心したような目を、男に向ける。しかし、それはすぐに揺らぐ。
「ですが、キナに何と言いましょう」
男は、階段の方へ目をやった。先ほど、息子を抱いて上がっていった少女の残像が、見えているような気がした。