愚かな男

Photo by (c) Butterflyxxx
 翌日、サクは、ライアルを抱えて、フヨウの帰りを待っていた。深夜だった。ライアルは、深く眠っていた。マラボウストークは、今日はクロウのところに泊まりに行っている。
「ライアル」
 優しく名を呼べば、寝ているくせに、微妙に動いて擦り寄ってくる。それが可愛らしくて、思わずくすりと笑って、生えきっていない柔らかい髪を撫でてやる。
 静かな夜だった。しかし、それは崩れた。
 サクは、突然体中を駆け抜けた痛みに、表情を歪める。
「フヨウ……」
 何かあったのだろうか。どちらにしろ、この怪我は尋常じゃない。また完治していなかった体は、見る見るうちに裂けていく。それでも、サクはライアルを離さなかった。激痛に僅かに表情を歪めながらも、溢れつづける自らの血に染まらないようにしながら、我が子を抱き続けていた男は、未来が見えていたのだろうか。
 薄い色の絨毯が、真っ赤な血の色で染まった瞬間、世界は赤くなった。
 家に火がついたのだ。サクは、水魔法を使おうとしたが、肢体の痛みに、意識を持っていることだけで精一杯だった。自分の傷をできる限り癒しながら、何故か僅かに微笑む。
「何故……」
 炎に囲まれた部屋に、黒い影が現れた。
「フヨウが怪我をしたみたいだ」
 サクは、相方の同僚であるその男を見上げ、自嘲気味に笑った。体を、柱にぐったりと寄り掛け、しっかりとライアルを抱きながら、男を見上げる。
「まさか、高度守護魔法……」
 目を丸くした男、ヒューの呟きに、サクは頷いた。
「馬鹿ですよ」
 何も考えられずに、漏れてしまったような言葉に、サクは返事をしない。ただ、眠る我が子を、もう十分汚れてしまったのだが、これ以上、自らの血で汚さないように、抱くことの方が重要だった。
「ライアルちゃんは……」
「ライアルは、僕と死ななければいけない。ライアルは、フヨウにしか育てられない」
 預かります、とでも言いたかったようだが、サクは、ヒューの言葉を遮った。
「ならば……」
「僕が死んで、彼女が自殺しないはずが無い」
 ヒューは動揺を隠す気もないようだった。
「では、何故、高度守護魔法を……」
 ヒューの声は、酷く震えていた。
「危なっかしいから」
「意味が無いじゃないですかっ」
 ヒューは声を荒らげた。対するサクは、息は荒いものの、涼しげな表情を浮かべていた。
「何故ですか? あなたは、フヨウ様が生きることをお望みになっていなかったということですか」
「僕が死んだ世界に、フヨウが生きてようが死んでようが構わない、って言いたいところだけど」
 サクは言葉を切ってから、未だにすやすやと眠るライアルのほうへ視線を落とした。
「本当は、生きて欲しかったんだろうね」
 そう言って、何がおかしいのか、くすりと笑う。鮮やかな青の双眼をすっと細めて。
「彼女は死ぬだろう。僕はそれを一番良く理解しているよ」
 サクは、何の抵抗もせずに、燃える炎を見ていた。
「あなたは……なんて自分勝手なんですか。だから、キナが……」
「僕の世界はただ一人だ。今も昔も変わらずに……でも、大切に思っているよ。だから、手離した」
 サクは、キナと同じ鮮やかな青の目を、ただ、キナよりも幾分か静かな双眸を、ヒューに向けた。
 賢かったキナは、ごく普通の家族を求めていた。 そして、母親に何となく嫌悪感を抱く自分を嫌っていた。それが、母親への明らかな憎悪に変わった時、サクは、キナを家においておけないと判断した。
 キナの求めるものは、彼女を生んだ両親が与えられないものだった。そして、それ故、彼女は崩壊しかけていた。
「良かったよ。キナは脆い子だから、迷惑を掛けると思うけど、宜しくね」
 キナは、新しい家族の元で、幸せを手に入れた。それは、サクにとっても、嬉しいことだった。
「キナのことは、お任せ下さい」
 ヒューは深々と頭を下げた。ヒューは、実力ではサクに勝てないことを知っている。
「Good Bye」
 サクは普段と変わらぬ微笑を浮かべた。彼特有の、どこまでも浅く、表面的な笑顔を。


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