泣けぬ鳥
フヨウは、帰って来なかった。その代わりにやってきたのは、彼女の弟子で、かつて共に旅をした仲間。
「フヨウ様が亡くなった」
最も聞きたくなかった言葉と共に。
「まただ……」
マラボウストークの目に、エルツァの姿は入っていなかった。ただ僅かに地平線の向こうの光だけを見つめながら、膝をつく。
母親だって死んだ。育ててくれたおばさんも死んだ。魔法を教えてくれたおじいさんも死んだ。そして、初めて家族になってくれた人たちも、たった一晩で死んだ。
まるで、マラボウストーク自身に、呪いが掛かっているかの如く、いつも一番大切な人が死んでいく。
家族を一夜で失ってしまったマラボウストークの傷は、一生癒えることがなかった。
我に返ったマラボウストークの第一声は、それだった。溢れ出す苛立ちや怒りや喪失感を押し殺したような声だった。
「クロウを」
それだけ言って、すぐに瞬間移動のための魔法を使おうとする。
「待って下さい。今の精神状態で、クロウのところに行ったら、狂います」
エルツァは、昔からマラボウストークと馬が合わなかった。いつも喧嘩ばかりしていた。しかし、友人だった。
行かせると不味い。勿論、クロウではなく、マラボウトークが、である。
「狂おうがどうでも良いっ。フヨウ様も、サク様も、ライアルちゃんも死んだ」
マラボウストークは声を荒らげた。涙声になっているのが、痛々しかった。
「俺が狂うぐらい、どうってことないだろ」
マラボウストークは強い。だから、自分が傷ついたことはない。しかし、もう限界なのだ。止めなくては、取り返しのつかないことになってしまう、とエルツァは思った。
「クロウはお前らと違ってな……」
弱いんだよ、とだけ続けて、マラボウストークは消えた。
確かにクロウは弱い。エルツァだって、そう思う。
しかし、マラボウストークが、こんな状態で、他人を励ます程強いかと訊かれると、肯定はできなかった。
まだ、日が僅かに差し込み始めただけだった。夜明けは始まったばかりだ。
そう、これは、何十年にも渡る、憎悪の連鎖の始まりに過ぎなかった。
歌を奏でていた。吟遊詩人だから仕方がない。なるべく人と深く関わらないように、ただ歌を奏でて暮らす。
死んでしまうのが怖いから。
そんな生き方も、やめなくてはいけないことは分かっていた。しかし、やめることはできなかった。そんなある日のことだった。
「お兄ちゃん、お歌じょうずだね」
客もいない寂れた噴水広場で、ただ自分のためだけに楽器を奏でていたマラボウストークは、声のした方向、つまり自分の足元を見た。
緋色の髪に草原色の瞳。顔立ちは、まだ幼いものの、師の相方にそっくりだった。
「名前……」
「私はらいある」
元気良く少女は答える。
ライアル。間違いない。偽りなどという縁起の悪い名前をつける親は、それ程多くはない。
マラボウストークは、膝の力が抜けていくのを感じた。
「お母さんの名前は言えるか?」
何が起こったのかわからないのか、きょとんと首を傾げる少女に、マラボウストークは尋ねた。すると、少女は困ったような顔をした。
「れんに言っちゃ駄目って言われてるの」
「れん? 妖狼王レンか?」
妖狼王レン。嘗て妖界にその名を轟かせた狼の王。彼ならば、龍の子も育てられる。
「よーろーおー? れんはおおかみだよ。怒ったら、わうっ、って言うの」
少女は、一生懸命、レンの声を再現した。勿論、全然似ていないだろうが。
「他にもふーちゃんとすざくがいる。ふーちゃん意地悪だけど、すざくはやさしいから、お兄ちゃんともともだちになってくれると思う。お兄ちゃんも、一人だったら、一緒においで」
人懐っこい笑顔を浮かべ、マラボウストークの服の裾を少しだけ引っ張った。
「ライアル、幸せか?」
「しーあーわーせー」
小さな少女は、満面の笑みなど浮かべなかった男と同じ顔に、明るい笑顔を浮かべた。
マラボウストークは、微笑み、伸ばされた少女の手を取った。
この一人の少女が、空に刃を突き刺し、血を流させるまでは、世界は平穏だ。
そして、この一人の少女の手によって、四界と人間の戦いが終決した時、夜明けの時代は終わる。
夜の後には、夜明けを経て、朝が来る。
何故、この少女だったのか。それは、彼女の隣に、最も深い夜があったからである。夜は、彼女の隣で穏やかに笑う。