The Night Monarch
Bloody Jade


 胸まで隠れる、ゆったりとした男物の淡い緑のマントに、利き腕と首だけの、淡い緑を帯びた銀色の鎧。その不思議な金属に刻まれているのは、不気味な羽根の模様。緑のコートを、マントと鎧の隙間から覗かせる。腰には、レイピアと小型のククリが刺さっている。長い血のような緋色の髪。対照的な、淡い緑の瞳。すらりと高い背。まるで、エルフのような女には、独特の雰囲気があった。
「本当に何とお礼を申し上げたらいいのやら……」
 白老の男性は深々と頭を下げた。空は青く、小さな家が点々とする草原を、風は駆け抜ける。
「お気になさらないでくれ」
 女は穏やかに微笑む。
「それより、素晴らしい食事に、私は感謝している」
 では、と言って、女は男性に背を向けた。
「本当に感謝しています、フヨウ様」
 女は振り返り、微笑した。血のような緋色の髪は、淡い青と緑の世界では、異様に目立って見えた。


 世界は四つある。四つを合わせて四界と呼ぶ。
 妖界。古くから妖界王コウルによって統一された場所。強さと勇気を何よりも称え、強大な軍事力を誇る、強者の世界。多くの魔物に囲まれたそこに住む者は、皆優秀な身体能力を持つ。
 天界。民主主義でありながら、福祉の行き届いた世界。弱者と強者が共に歩み、優しさと思いやりを何よりも大切にする。市民による選挙によって選ばれた者で構成された議会が、政治を進める。文化活動が盛んで、魔法と機械が共存する場所。考え方の違いから度々妖界と衝突し、四界大戦を引き起こした。
 世界。多くの民族が住んでいる。何百もの国がいがみ合いながらも、その度に平和への道を模索する場所。国際連合が設立され、一体化に向けて歩み始めている。機械と科学技術が発展しており、魔法を使える者は密やかに暮らしている。
 魔界。多くの民族が住む。魔界は大きく二つに分かれており、一つは魔界政府が統括する領主制の国々。もう一つが、遥かなる大地、と呼ばれる少数民族が共存する地。政府と遥かなる大地の攻防戦の歴史は、何万年にも及ぶ。魔法が最も発達しており、優れた魔法使いを輩出している。しかし、その不安定さ故に、過去の四界大戦の戦場となってきた。個々の民族の誇りを重んじ、仲間意識の強い者が多い。
 そして、サク・セイハイもその魔界に住む一人の青年だった。
 空は果てしなく青かった。巨大な船は、ゆったりと進んでいる。デッキから見えるものは、水平線。それはサクの故郷とはかけ離れた景色だった。
 サクは風で目に掛かった銀髪を払った。風は強い。しかし、誰もいないデッキは静かだった。
 船は水の国に向かっていた。二番目に大きな大陸である。サクは、これまでに起こったことを、ゆっくりと思い出していた。
「悠然たる滄溟だと思わないかね」
 女にしては低く、男にしては柔かい、そんな声が響いた。ふと横を見れば、血のような色の長い髪の女がいた。淡い緑のローブを纏い、水平線に草原色の瞳を向ける、背の高い女だ。淡い色のローブは、瞳の草原色と合っている筈なのに、異様に奇妙だった。
 見覚えのない女だった。しかし、回りにはサク以外に人がいない。
「貴殿の御名は何と?」
 妙に堅い言葉使いである。
「サク」
 サクは穏やかに笑って見せた。族名は態と伏せておく。信用できる女ではない。
「朔月。闇に愛された名だ。実に素晴らしい」
 女の反応は大袈裟で、まるで奇術師のようだったが、何故か異様にしっくりときた。サクは闇、という言葉に僅かに顔を歪める。しかし、すぐに照れたような表情を作る。
「私は朔月が好きだよ。今宵も朔月のはずだ」
 女は空を見上げた。真昼の空。闇など欠片もない、光の世界。しかし、女は月のない澄んだ夜空を見ているかのようだった。空を見上げるその姿は、何か人を引きつけるものがあった。
 サクは訝しげに女を見た。この女はただの変な人間ではない気がしたのだ。女は本来、この明るい光に満ちた空の下にいるべき者ではない気がした。それは直感だった。そして、この嫌な感情は、同族嫌悪だ。サクはそう思った。
「貴殿と過ごせて、正に欣快の至りだ。私はフヨウ。また次会ったときも、宜しく頼むよ」
 女、フヨウは仰々しい礼をすると、扉の向こうに消えた。残されたサクは、無言のまま水平線を眺めた。


「サク……セイハイ宗家の長男か」
 どうやら私は嫌われてしまったようだ、と思い、フヨウは笑う。小さな窓から見える銀髪の青年は、水平線をじっと眺めている。
 数百年前、突如現れた民族、セイハイ族。その特殊すぎる力で、魔界政府の要職を独占している民族。太古から存在するフヨウの民族とは、対照的な民族だ。
「恵まれた民族の次期族長として生まれた青年の瞳に映るのは、万物への不信と絶望とは、皮肉なことこの上ない」
 透き通るような綺麗な青に映るのは、濁った感情。淡い期待と憧れが打ち砕かれた人間特有の、嫌な生暖かさ。そして、明らかに嫌そうな顔。
「あんな胡散臭い笑顔を作らなくても、嫌いなら嫌いだといえば良いのにな」
 女はくつくつと笑う。
 ローブの隙間からは、僅かに鎧が出ていた。銀に輝く鎧は、冷たい光を宿していた。


「サク、あんたどこ行ってたのよ」
 サクが部屋に戻ると、旅の途中で出会った二人の仲間が寛いでいた。サクは、デッキ、と空色の瞳の少女に答えた。
「私は今さっき、午後のお茶を飲みに船内カフェに行ってきたんだけど、紳士に会ったのよ」
 少女は目を輝かせて話す。天界人特有の明るさ。透き通るような瞳に宿る、強い光。サクは思わず目を逸らす。少女のことが嫌いではない。しかし、先ほどの女との差が激しいせいだろうか。不快感があった。
「女性だけどな」
 隣にいた青年がさらりと言う。サクは僅かに眉を顰める。クリスは相変わらず、手のとり方や、挨拶の仕方や、さり気ない気配り、口調について語っている。
「名前は?」
「フヨウさんって。花の名前って良いわよねぇ」
 サクはゆっくりと息を吐いた。頭に浮かぶのは先程会った女。青い空の下で見たはずなのに、頭に浮かんだ女の後ろには、月のない空が広がっていた。


 夜がきた。フヨウは小さな小窓から見える闇を見て笑った。月のない夜。フヨウはふらりと立ち上がり、ゆったりとしたローブを揺らし、部屋の外に出る。向かう先はデッキ。
 重い扉を開け、空を見上げれば、そこには小さな星が無数に浮かんでいた。フヨウは誰もいないデッキの小さなベンチに腰を下ろした。
 数分後、乱暴に扉が開く音が響いた。数人の男の罵る声と、子どもの泣き声。フヨウは音も立てずに振り返った。見えるのは、四五人の大柄な男と、彼らに囲まれた小さな少年。三歩ほどしか離れていない。しかし辺りは薄暗く、彼らはフヨウに気づいていなかった。
 怒鳴り声は、魔界で使われる共通の言葉ではない。フヨウは何をすることもなく、じっとその様子を見つめる。しかし、声はさらに大きくなる。フヨウは溜息を吐いた。
「貴殿らは何を求めるのか」
 そこで漸く男たちはフヨウの存在に気づいた。
「何者だ」
 フヨウは穏やかな潮風で、淡い緑のマントを揺らし、口元に僅かな笑みを浮かべながら言う。
「私はフヨウ。旅人だ」
「何族だ」
 男は冷たい銀色を突きつける。フヨウは相変わらず、穏やかな笑みを浮かべている。淡いのに深い緑の瞳。怯えた光でも、挑発するような光でもない。しかし、慈母の光とも遠くかけ離れたもので、闇に浮かぶ影の入った双眸は、優しいわけではない。フヨウは自分の姿を知っていた。
「この四界に私の民族名を言える者はいない。私を含めて」
 フヨウは、嘘はついていない、と心の中で思った。現時点で、フヨウはどこの民族だとは言えなかった。
「怪しい……貴様は天界人か」
 フヨウはくつくつと笑う。
「私は魔界人だよ」
「分かった。お前は遥かなる大地の人間だな」
 一人の男がフヨウを指差して言った。フヨウは笑うのをやめ、そしてゆっくりと頷く。顔には相変わらずの笑みが広がっている。
「それならば、お前もこいつと同類だ。原始的で、力だけの下等民族だ」
 フヨウは納得したように頷く。その危機感のなさに、ついに一人の男の刃は動いた。フヨウはマントの下から、瞬時にククリを取り出し、男のナイフを止める。金属音が鳴り響き、すぐに地面に堅い物がぶつかる音がした。フヨウは落ちたナイフを蹴って、海に落とした。
 男たちの罵声と共に、幾つもの刃が突きつけられる。フヨウは右からレイピアも取り出し、二本の刃で応戦し、ナイフを海に落とす。
 あと二本ほどの時だった。空気が変わった。魔法が使われる前触れである。フヨウは、もう手遅れだということを悟った。魔法を受けたぐらいで死ぬとは思わなかったが、痛い思いをするのは御免だった。
 しかし、魔法はフヨウに届かなかった。青白く輝く薄いベールが張られ、そこに魔法の矢が何本も突き刺さっていた。フヨウは突然のそれに見惚れる二人のナイフを地面に落とし、海へ落とした。
 男たちは逃げていった。
「素晴らしい氷魔法だ。助かったよ」
 フヨウは乱れたマントを直しながら、煙突の影からちょっこりと出てきた小さな少年に言う。
「こちらこそ。助けてくれてありがとうございます」
 明るくはきはきと答える少年に、フヨウは微笑む。近寄ってきた明るい金髪を撫で、マントの中から出した布で汚れた小さな顔を拭った。
「誰かと一緒か」
「いえ、一人です」
 フヨウは穏やかに微笑み、言った。
「ならば一緒に温かいお茶でも飲まないか」


 サクは息を呑んだ。ふと何かを思い出したかのようにデッキに向かえば、デッキへの小さな窓から、やはり昼間の女、フヨウが見えた。緋色の髪に、淡い緑のマントの後姿。闇はフヨウを包み込んでいて、注意しないと気がつかない。しかし、彼女は一旦見つけると、目を引くものだった。決して目立っているわけではない。緋色の髪は、闇の中で妖しく靡く。草原色の瞳は、闇のように深い。まるで、彼女自身が闇のようだった。
 男の罵声がした。サクは一歩角に入り、扉の前の窪みに入った。すぐに数人の男たちが横を通り過ぎる。そして、小さな少年の泣き声。乱暴に扉が開かれ、また閉まる。サクは数秒待ってから、自分を透明にする魔法を使った。普通なら魔気や気配、息の僅かな音などを消せないため、この魔法はほとんど使えないが、今回は厚い扉が全てを防いでくれる。サクは小さな窓の外をじっと眺めた。
 男は五人いた。金髪の小さな少年を囲い、罵倒しているらしい。フヨウは二歩ほどしか離れていないベンチに座っており、振り返って様子を窺っていた。
 男たちはフヨウに気づいていない。それほど、フヨウは闇に溶け込んでいた。目立つ緋色も、淡い緑も、何故か闇と同化していた。フヨウは無表情でそのやり取りを見ていた。小さな少年が、蹴られている。サクは、助太刀をするほど、親切な人間ではなかった。そして、事情も分からぬ争いに、第三者が加わることによって起こる弊害も、理解していた。
 しかし、フヨウの口が動いた。男たちの視線が、フヨウに注がれる。フヨウは穏やかに笑いながら喋っている。その笑みには、優しさも、同情も、嘲りも含まれていなかった。しかし、その笑みは深かった。人間らしさが溢れているのに、人間離れした笑み。サクは、呆然とその笑みを見つめた。
 しかし、いきなりフヨウの笑みが崩れた。しかし、そこに浮かんでいたのは、恐怖ではなかった。ほう、と納得したかのように頷く。そこは納得し、頷くべきことなのか、サクには自信がなかったが、すぐに答えは出た。
 一人の男が動いた。手に持っているのは、銀色に輝くナイフだ。あっ、と声を上げる暇もなく、もう一つの銀がぶつかる。ククリである。フヨウが左手で握るククリは、小さかったが、絶妙な角度でしなやかに曲がった刃で、上等なものだと分かる。男も驚いたのだろう。無表情のまま、フヨウはナイフを地面に落とし、素早く蹴った。銀は柵の向こうに消えた。
 次々と男が襲い掛かったが、サクには勝算がないように思えた。右にレイピア、左にククリで戦う彼女は、華麗だった。それだけではない。夜、彼女に勝てる者はいない気がした。サクには、夜が彼女のためにあるような気がした。
 次々とナイフは海に落とされる。サクは、少し離れたところで不審な動きをする男を見つけた。魔法だ。サクは直感的に思った。フヨウは気づいていない。しかし、サク以外に気づいているものがいた。少年だ。
 少年は何時の間にか少し離れた場所に移動しており、魔法の発動を待っていた。手には氷魔法と思われるものがしっかりと握られている。立ち回りの上手い子だ、とサクは感心した。
「本当に気に入らない」
 ここまで夜の似合う人間はいないだろう。彼女の異様なほどの落ち着きと、体全体から感じる深い闇。
 すぐに片がつくと思ったサクは、にやりと笑って立ち去った。


 フヨウは目の前で温かいココアを飲む金髪の少年を見た。柔かい髪はシルバーブロンドだろう。瞳は綺麗な蒼だ。遥かなる大地で、そのような特徴を持つ民族は、ただ一つである。氷の綺羅の地に住む、歌う氷の民族だ。
 魔界領主制過激派の氷の国と、大いなる山脈で挟まれた遥かなる大地の要塞、光要塞を隔てて存在する氷の綺羅の地。最近、光要塞を氷の国が破った。すぐに、冷たき炎の民族が追い返したが、歌う氷の民族は大きな痛手を被ったことだろう。この少年が戦争孤児か何かで、誰かに世話になるのを拒んだのだろうことは、フヨウには容易に想像できた。
「貴殿の名は」
 そう尋ねれば、少年は傷の残った顔に明るい笑みを浮かべる。
「マラボウストーク」
 細くなった蒼と、綺麗な白い歯に、フヨウは微笑んだ。
「ほう、大きな翼を持った良い名だ」
 少年は嬉しそうに笑う。
「そろそろ店も閉まるだろう。部屋まで送っていこう」
 フヨウは、少年のマグカップを持ち、ゆっくりとした歩調で歩いた。


 翌朝、船は海の国へ到着しようとしていた。フヨウは、近づく大陸をデッキで見ていた。曇り空だったが、横に広がる砂浜は綺麗だった。風は強く、フヨウは何度もマントを直した。
 フヨウは船旅を思い出した。二人の天界人。その瞳は、希望に溢れていた。天界人特有の、魔界を蔑む気持ちは、欠片さえなかった。青空のような瞳を、フヨウは気に入った。
 そして二人の魔界人。闇と不信を潜ませるセイハイの後継ぎ。光の中に生きているはずなのに、全てを自分から遠ざけているような、そんな青年。それでも、フヨウはあの青が綺麗だと思っていた。偽りの笑顔で自分を傷つけ続ける青年に、同情ではない、何か別の感情も抱いていた。
「あの子は歴史に関わるだろうな」
 そして、蒼い瞳には深みがあって、それでも強い意志を宿していた少年。そして、幼いながらも優秀な魔法。
 歴史______四界の多くの人間を左右した事件と人間の集合体。様々な人間が、四界に生きてきたという証。歴史とならなくても、歴史となる人物に会い、多大な影響を及ぼす人間がいる。
「激動の時代は間もなく訪れるだろうな」
 たくさんの人々の価値観が変わり、生活が変わる時代。多くの痛みを受けながらも、何かに向かって動き出す時代。それは、すぐそこまで来ている。
「私は、その時代を見ることができるのだろうか」
 間もなくといっても、それは歴史の間もなく。数十年かかるだろう。百年の間に起きた二度の四界大戦。戦場となった魔界では、まだ復興が進んでいない。しかし、二度の戦争で、四つの世界は近くなった。魔界から強い意志と力をもって、四界を束ねる者が出て、それが波乱を巻き起こす。フヨウは予想していた。
「せめて、その人物と会いたいな」
 間もなく、低い唸り声と共に、船は大地と繋がるだろう。

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