The Night Monarch
Bloody Jade


 フヨウは少ない荷物を纏めて、船を降りた。水の国の都である水の守り神は、活気溢れる町だった。道の代わりに多くの水路が張り巡らされ、船が行き来する。人々は船に乗って移動し、商売もする。
 数十年前に起きた二度の四界大戦で、魔界は破壊し尽くされたが、この美しい町は、魔界政府や遥かなる大地が横たわる大陸とは、違う大陸にあったので、破壊を免れたらしい。石造りの町は古かったが、温かく優しい気持ちになるような、美しさがあった。
 フヨウは、町にある数少ない道を歩き、小橋に辿り着いた。下を流れる小さな水路では、船に乗った子どもが遊んでいる。
 その中に兄妹らしい子どもがいた。揺れる小船から降りるのを怖がる妹に、兄が微笑みながら手を差し伸べている。フヨウはそれを見て微笑んだ。
 路地を硬い靴底が叩く音がした。フヨウはその草原色だけを、音のしている方へと走らせる。そこにいたのは、船で会った青年、サクだった。フヨウには気づいていないらしく、石造りの家を見上げるようにして歩いてくる。
「これはこれは、サク殿ではないか」
 そう言いながら、深々と礼をする。銀髪の青年は漸く気づいたらしく、一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに微笑を浮かべた。
 サクは小橋に歩いてくる。目的はただ一つだろう。フヨウはそう思って、にやりと笑った。
「奇遇ですね」
「奇遇か……まぁ、奇遇だな」
 同じ場所で降りて一時間も経っていない。それでも、思いがけない出会いではあるから、奇遇なのだろう。フヨウは勝手に納得した。
「フヨウさんは、どこ出身なんでしょうか」
 予想通りの質問である。フヨウは微かに笑って、考えてあった答えを言う。
「草原の見渡せる岩場だよ。青空の下だ」
「良い場所ですね。どこの国でしょうか」
 サクは、間髪いれずに訊いてくる。相変わらず笑顔は絶やさないが、目は笑っていない。フヨウは、これもまた予想済みだったので、すらりと答える。
「青空と草原の国だよ」
 そんな国名はない。サクの笑顔が、少しずつ崩れていくのを、フヨウは確認した。
「領主は何方ですか」
「故郷を出て数年。国の名ぐらいしか覚えていないよ」
 私は旅人だからね、と笑う。サクは黙り込んだ。
「何故、子どもは風景の一部となったとしても、綺麗なのかね」
 フヨウは、気まずいのも嫌だったので、そう話を切り出す。橋の下の子どもたちは、ほとんど離れていないのに、異空間にいるようだった。
「子どもは好きなんですか」
「人間は、皆好きだよ」
 サクは、僅かに顔を顰めるのを見て、フヨウは心の中で笑う。サクとフヨウは、似てはいるが、決定的に違う点がいくつかある。その一つに、サクは漸く気がついたのだろう。それは、似ているが故にさらに嫌悪感を増幅させる。
 橋の下の兄妹が、仲良く喋っている。フヨウは懐かしい気持ちに襲われていた。
「人間は春の暖かい日差しのようだ。とても柔らかく愛おしい。その上、しなやかで強い」
 そこまで言ってしまったとき、フヨウは、しまった、と思った。隣を見れば、にやりと今までに見せたことのない笑い方をするサク。
「フヨウさんは、人間ではないのですね」
 油断をしていたのだ。フヨウは頭が痛くなった。サク・セイハイは、それを見逃すほど甘くはないし、優しくもないらしい。狡猾さが覗く笑みを押し殺すサクを、フヨウには笑う余裕がなかった。
「人間が否かは、それほど重要ではないだろう。何より人間以外の種族、エルフと人間の違いについて……」
「今、フヨウさんは、人間に限定して話をなさっていましたよね」
 数秒の沈黙を置いて、フヨウは自然に何とか話を逸らそうとするが、すぐにサクに口を挟まれた。性格変わっているだろう、と思ったが口には出さない。それが彼の本性なのだろう。フヨウは、厄介な相手に嫌われた挙句に、興味を持たれてしまったと思い、自分の不運を心の中だけで精一杯嘆く。
「エルフには見えませんね。言われてみれば、人間らしくない魔力だとは思いますけど」
 形勢逆転である。フヨウは溜息を漏らす。最終手段を行使するしかない。
「あー、サク殿……そろそろ時間だ。約束をしていてね」
「僕も一緒に行っていいですか」
 胡散臭いが爽やかな笑顔でサクは言った。嘘だと分かっているからこそ言えるのだ。その上、仮に今、フヨウが無理矢理抜け出したとしても、後をつけられるのは目に見えている。
 フヨウは横目でサクを見た。サクは小杖を持っている。剣などは持っていない。サクの身長は、フヨウより高いが、おそらく、走るのは自分の方が速いだろう、とフヨウは思った。大体、元々人間よりも身体能力が高いのだ。撒けないことはないだろう。
「真に申し訳ない。では、私はお先に失礼させて頂こう」
 サクが喋りだす前に、フヨウは全力疾走した。狭い道を駆け抜ける。
 肉屋の看板の下に、人影が見えた。船で出会った、二人の天界人だ。二人は走ってくるフヨウに気づき、声をかけてきた。フヨウは立ち止まる。誰かと喋っていれば、サクが追いついてきても、大丈夫だろう、と思ったからだ。
「これはこれは、クリス嬢と、ジェイク殿ではないか」
 一礼して、ゆっくりと微笑む。
「急いでいたんじゃないの」
「いやいや、そんなことはない。ただ、走ってみただけだよ」
 穏やかに笑えば、クリスも笑顔になる。フヨウは細められた空色を見た。綺麗である。
「あっ、サクが来たぞ」
 ジェイクのその一言で、フヨウの頭は真っ白になる。後ろを振り返れば、爽やかな笑顔を浮かべたサク・セイハイがいた。
「待たせたね。フヨウさん、どうしたんですか、こんなところで油を売って」
 フヨウは力なく笑うしかなかった。クリスは、あら、あんたも知り合い、などと呑気にサクに尋ねている。とことん運が悪い自分を、フヨウは恨んだ。
「フヨウさん、これから食事行くんだけど、どうかしら」
 フヨウは黙り込む。横にはちゃっかりとサクが控えている。二度目はないだろう。フヨウは観念して、あぁ、と返事をした。


 四人が向かったのは、魚料理の店だった。簡単に注文を済ませると、クリスの独占の質問時間になった。それは、フヨウにとって有難いことだった。
「フヨウさんは一人旅なのね。何歳ぐらいの時からかしら」
 無難な質問に感謝して、フヨウは出された水を飲む。サクは、クリスが喋っている間は何も言わないらしい。窓際に座り、黙って行き来する船を眺めていた。
「十歳から六年間」
「私よりも年下じゃない」
 クリスが声を上げた。サクとジェイクも、驚いたようにフヨウを見た。
「私は十六だぞ」
「私とジェイクは十八よ。サクは十七だったわね……フヨウ、あなたが一番年下よ」
 何時の間にか呼び捨てになっているのは、やはり年のせいだろう、などと考えながらも、フヨウは微笑みながら頷いた。
「でも、十歳からって、どうやって旅してきたのよ。暴漢とかには、襲われなかったの」
「剣で抵抗したんだよ」
 上手く聞かれたくない質問を、無意識の内に避けてくれるクリスに感謝しながら、フヨウは二本の剣を、ローブの中から出して丁寧に並べる。
「ククリとレイピア。二刀流なんだよ」
 金と銀の飾りのない剣は、優しい明かりで鈍く光る。フヨウはそれを丁寧に仕舞った。
「剣は滅多に使わない。元々襲われることも少ないんだ」
 フヨウは、できる限り夜間に移動をする様に心がけている。夜は、相手が自分に気づきにくいのだ。
「魔界人でしょ。魔法は得意なの」
 嫌な質問だとフヨウは思った。クリスだけしかいなければ良いのだが、隣にはサクがいる。視線は外だが、耳はしっかりこちらに傾けられていることだろう。
「私は魔法を使わないんだ。剣で戦う」
 ぴくりとサクが反応した。
「どうして使わないんですか」
 サク・セイハイは馬鹿ではない。聡明だ。ただし、性格は良くない。これは苦労する、と思いつつ、既に考えてあった質問を、一息ついてからゆっくりと言う。
「私は剣を愛しているんだ」
 そう言えば、クリスは、かっこいい、と空色の瞳を輝かせて呟く。フヨウはほっと息を吐いてグラスに口をつけた。間違ったことを言っているわけではない。剣は好きである。
 再びクリスが、ねぇ、と言って話を切り出した。
「私たちは魔界の遺跡を見て回っているの。良かったら一緒にどうかしら」
「剣が使える人がいると助かるな」
 間髪入れずジェイクが言う。フヨウは、曖昧に返事をしながら、目を逸らす。この二人とだったら良いのだが、隣で胡散臭い笑顔を浮かべる銀髪の青年と四六時中一緒はお断りだった。
「まぁ、暫くは詮索しないよ」
 聞こえるか聞こえないかの声だった。フヨウが隣を見ると、相変わらず、サクは薄らと笑みを浮かべている。そういう問題じゃない、などと思っていると、目の前のクリスとジェイクが、仲間が増えた、と喜んでいる。フヨウは観念した。
「宜しく頼むよ」
 サク・セイハイは、自分のことほ嫌っているのは、確実だとフヨウは思っている。しかし、お互いに引きつけられるのだろう。似ているようで、違っている心の中の夜は、不快にはさせるけど、理解したいと思うのだろう。
 フヨウも、その青に潜む影には興味があった。ただ、今はまだ、自分の中のものを、知られたくないという思いの方が強かった。拒絶されるのが怖いなんていう、陳腐な理由ではない。言葉では表せないぐらい深い理由。確立した自分を壊されたくない、という思い。
 新鮮な魚料理が運ばれてきたのは、それから数分後のことだった。

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