Unnatural Worlds

雷鳴の領主

002

 森林の中に聳え立つ建物。誰も来ないような山の中にひっそりと、しかし堂々と存在する。ほとんどの塔はどれも高く、真っ暗な夜空の中を突き進んでいるかのようだった。
 誰が何のために作ったのかも分からない、不思議な学校。
「とりあえず、どうするかだな。言い訳はその後だ」
 塔と塔との合間の中庭に、ポツリと立っていた少年は、不気味な黄緑色の目を細め、目の前に横たわる黒髪の少女を見た。
 ここは魔法学校。世界中から、魔法の才を持つものがここに集まる。どのようにかは様々だが、皆、魔法学校に偶然のように辿り着くのだ。いつから学校があったのかは誰も知らない。
 誰が何のために作ったのかも分からない、不思議な学校。それが、魔法学校。
「夜の散歩は控えるべきだったな」
 そう呟く少年の頭には、消灯後は出歩いてはいけない、などという言葉はない。しかし、悪気もなかった。
 ふらふらと歩き、誰もいないと思っていた中庭に突然動く者を見つけたため、間違えて気絶させてしまったのは、つい数分前の出来事だ。
 人間離れした動きで倒れる前に抱きとめたものの、どこの誰かも分からない少女を、ここへ放っておけば確実に怒られる。そうかといって、彼女がどこの誰かが分からないため、こっそり寝室に戻すこともできない。
 故郷、魔界では、こういう習慣がないと死んでしまうんだ、とか、悪気はなかった、などという言い訳は、学校という場では通用しない。それは、ライアル自身がよく分かっていた。
 人間が持たないような緋色の髪を持つ少年、ライアルは、大きく溜息を吐いた。


 温かく静かな薄暗い世界に、眩い光と新しい空気が飛び込んできた。
「ライアル、ライアルッ。朝ですよ。起きて下さい」
 ライアルは、体が激しく揺すられるのを感じた。しかし、正直、今日は起きたくないのだ。
「日曜だろ。休ませろ」
 目も口もほとんど開けずに、もごもごと返事をしても、呆れたような返事が返ってくるだけだった。
「また朝食を食べ逃しますよ」
 ライアルは、心の中で溜息を吐きつつ、目を細く開けた。ベールがかかったような視界に、銀と藍が入る。寝ぼけた頭でも、十分すぎる情報だ。
「分かった分かった。ジェン、起きるから」
 ジェン。正しくはジェン先生。四楼の一番弟子にして、魔法学校特別教室一、諦めが悪い人間だ。因みに、これは、かの妖界王太子が、正式に認定している。


 早くから統一された妖界と天界。特色ある二つの世界は、各々が強力な力を持っていた。数度に渡り、戦った二つの世界が、戦場に選ぶのは魔界。多くの民族に分裂し、統一されていない「弱い世界」。しかし、この「弱い世界」には優秀な人材は多く、それが、更に惨禍を広げた。 天界人は、己の平和と平等の世界を理解しない妖界人を憎んだ。妖界は、天界は生命の輝きを失っている、と批判した。そして、その二つの世界によって、破壊し尽くされ、憎しみを受け付けられた魔界人は、酷く冷めた目で、対立する二つの世界の動きを見ていた。
 だから、誰一人として、それぞれの世界を背負うような者たちが、何事も無く過ごせるとは思っていなかった。確かに、様々なことは起こるが、憎み合っていた世界に生まれた若者たちが、テーブルを囲って食事をし、机を並べて勉強に励むことができるなどとは、誰が想像しただろうか。
 それを想像できたのは、四楼キナであった。そして、それを実現したのは、教師に追われながらも、学校中を駆け回る妖界王太子や天界議員の娘や魔界の領主である。


 ライアルは、ジェンに叩き起こされ、何となく着替え、鬱々とした気持ちのまま食堂へ向かった。
 ライアルは、所属する魔法学校特別教室の仲間のいるテーブルに腰をおろした。そして、黙々とトーストにバターをつけていると、隣に座っていた少女が言った。
「ふふふ、ライアル、また事件でも起こしたの?」
 少女は、高く纏められた紅い髪を揺らし、美しい顔立ちに不気味な笑みを浮かべた。
「アン、おはよう。事件って言うほどでもないぞ。一般の生徒を一人気絶させただけだ」
 ライアルはトーストを齧り、飲み込んでしまうとそう言った。
 アン。妖界の第二王女にして、王位継承権第一位の御方だ。つまり、王太子様である。
 因みに、第一王女は、少し遠い席から、妹が懐から怪しげな色の薬品を取り出しているのを、不快そうに見ている。こちらの王女は、やはり顔立ちは端麗だが、妹の奇行に憂いを抱いている表情から、常識的な人物だと窺える。
 つまり、このアン王女は、相当の変人なのだ。
「普通に考えて事件だと思います」
 ジェンがライアルの頭を軽く叩くと、ライアルはあからさまに不機嫌という顔で話し始める。
「アンなんか普通にみんなの食べ物に、実験とか言って薬品入れてるし、リリーだって毎日学校を破壊しているだろう。あの馬鹿力で」
「馬鹿力って何よ?」
 満更でもない様子のアンとは裏腹に、アンの向かいに座っていた少女が、透き通った空色の双眸を、思いっきり歪ませる。そして、ライアルの頭を素早く叩いた。
 快音が響いた。
 痛い痛いと頭を摩るライアルに、少女は鼻息荒く言い放つ。
「私は可愛いから許されるのよ」
 声に気品が無いのは今更だ。この少女、リリーは天界議員の娘であるのだが、相手を論破するより先に、手が出るのは、どうだろうか、とライアルは思っていた。それ以前に、論破すらできていないのだが。
 ライアルが、未だにヒリヒリしている頭を摩り、溜息を吐いていると、ジェンが尋ねた。
「今日は何か予定があるのですか?」
「仕事も休みだし、特に予定も無いが」
 ライアルは、温かいお茶を飲み込んでから、そう答えた。すると、ジェンが微笑んだ。
「雪の国に行きませんか?」
「寒い。却下」
 ジェンの微笑を、ライアルは蹴散らした。ライアルは寒さに弱いのだ。
「着込めば大丈夫じゃない。ふふっ、御姉様もどうかしら?」
 アンがその端麗な顔に、不気味な笑みを浮かべ、遠い席にいる自らの姉にも聞こえるように言った。ジェンは、助けを求めるような目で、サリーを見ていた。アンの面倒を見切れる自信が無いらしい。
「ジェン、あなたの生徒よ」
 サリーは、困ったような笑みを浮かべ、諭すように言った。
 サリーとアンは、見た目こそジェンより年下だが、実際は、ジェンよりもずっと長い時を生きている。しかし、サリーは年長者として、ジェンの成長に期待しているわけではない。
 純粋に、自分が巻き込まれたくないだけなのだ。
「サリー、僕は、ライアル一人でも手に負えないのです」
 その声は切実だった。ライアルは、そんなジェンを見ながら、とりあえず、トーストを口に詰め込む。
「サリー、お誘いを無下に断ってはいけないわ」
 涼しい顔で、アンが言った。ジェンとサリーの白い目をも、楽しむかのようにアンは笑っている。
 ライアルは溜息を吐いた。
「どうせ行くなら、皆で行こう。ほら、日曜日に、アンだけ魔法学校において置いたら、何が起こるか分からないぞ」
 ライアルは、にやり笑ってそう言った。サリーは呆れたように溜息を吐き、今回だけよ、と言った。ジェンは、サリーに礼を言う。
 その時だった。
「ライアル、盛り上がっているところ悪いけど、私に話すべきことがあるだろう?」
 伸びやかだが、氷のような鋭利な響きを持った太い声が響いた。

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