Unnatural Worlds

雷鳴の領主

003

 四楼キナ。彼女の存在は、新しい時代の先駆けだと言われていた。
 平和と平等を愛する天界、あらゆる意味での強さを求める妖界。その間に挟まれて、尊厳を求め続けた魔界。そして、無知と沈黙を守り続けた世界。
 魔界で滅ぼされたはずの民を名乗り、己の機知と運、度胸と野心だけで、四界の頂点に登りつめた女性は、どの世界にも属していなかった。
 彼女は、魔界で生まれ、魔界で魔界人に育てられた。魔界の統治権も掌握していた。しかし、彼女は魔界人ではなかった。だからこそ、彼女は四楼になった。
 魔界人らしい魔界人、と後々言われるようになったのは、妖界人に育てられた、彼女の弟の方である。


 場が凍りついた。唯一、アンだけが不気味な笑みを浮かべていた。ライアルは呆然と、自分のすぐ後ろに立つ女を見た。
「姉さん?」
 銀色の艶やかな髪に、鮮やかな青眼。整った顔立ちに、男性でも通りそうなほど高い身長。しかし、しなやかな動きと、折れてしまいそうな細身の体のため、猛々しさはない。しかし、鮮やかな青の双眸は、それほど細くも無いのに鋭く、落ち着いていながらも、人を威圧するような雰囲気がある。
 疲労の所為だろうか。僅かに顔色は悪いが、それさえ気にならないような顔立ちだった。
 ライアルとは似ても似つかぬ美貌の女性。彼女こそが、ライアルの姉であり、四界で最も多くの者に信頼される人間、四楼キナである。
「いつだって、お前は自分か追い詰められると、自分を守ることしか考えない。いつまでも子どもでいられるとは思うな。今こそ、周囲に人がいるが、そのうち誰もお前に関わろうとしなくなる」
 キナは、笑みとは言い難いぐらいに口元を緩め、鮮やかな青眼を細め、低く伸びやかな声で喋り続ける。
「ライアル、私は忙しい。お前の起こした騒動を片付けるのに、私が朝からどれだけ無駄な時間を使わなければいけなかったのか、その頭でも考えられなくも無いだろう」
 そう言って、口元に凶悪な笑みを浮かべる。その迫力は、並大抵のものではない。
 誰も何も喋らなかった。一帯の者は、ライアルを見ているだけだった。ライアルは、俯くこともなく、ただ真っ直ぐと姉を見ていた。
 そんな沈黙を破ったのは、キナの一番弟子であった。
「キナ、言い過ぎです」
 ジェンは、はっきりと言った。
 キナは、ジェンの方へ顔を向け、口元に優しげな微笑を浮かべる。
「ジェン、可愛い生徒の肩を持ちたくなるのは分かるが、処理をするのは私だ。そして、生徒に愚行を許したのは、他でもないお前だ」
 しかし、言葉は優しさの欠片も無かった。言い返す言葉も見つからず、ただ何となく感じるその不条理さに、僅かに顔を歪めるジェンを無視して、キナはライアルの方へ顔を戻した。
「何か言うことは?」
 勝利宣言のような微笑だった。
「ありません」
 ライアルは、淡白な声で言った。思いっきり細められた草原色の双眸に、怒りは無い。溜息と合いそうな諦めが浮かんでいた。
 満足したのか、キナは、その場を後にした。風を作るようにして早足で、しかし堂々と去っていく後姿に、ライアルは漸く、深く溜息を吐いた。
 そんな親友の姿を見て、リリーが口を開いた。
「ライアル、あんたなんであんなに嫌われてるのよ」
 ライアルは誤魔化すかのように笑った。すると、リリーは、ここぞとばかりに高らかと言い放った。まるで、普段から言おうとしていたのだが、機が無く、我慢をしていたかのように。
「あんたは、甘いのよ。いくら、美人だからと言っても、甘過ぎるわ」
「美人が一番厄介なんだよ」
 答えにならない答えを返すライアルの視線の先には、あの空気の中で、唯一平然と不気味な笑みを浮かべていた妖界の第二王女様がいた。
 魔法学校特別塔。美人に碌な者はいない。


 四楼は、誰もいない特別塔の螺旋階段を登っていく。
「私はライアルを許さない」
【それで良いですよ、キナ】
 キナの言葉は、独り言ではない。この世で、キナ以外の人間は聞けない声を持つ者に言ったのだ。
 静かな女性の声は、優しい。四界の頂点に立つキナを、彼女はずっと支えてきてくれたのだ。そして、キナは、彼女のために動く。
「少し気分が悪い。休むから、後は頼む。本当に申し訳ない」
【気にせずゆっくりと休んで下さい。体を壊してはいけませんよ】
 労わるような優しい声に、キナは口元を綻ばせる。
「ああ、ありがとう」
 キナは、自室に入ると、そのまま倒れるようにしてベッドに身を預けた。

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