Unnatural Worlds

雷鳴の領主

004

 雪の国に準備無しで行こうというのは、無謀というものだ。
 ライアルは、ベッドの部屋の衣装ケースを出した。そして丁度良い黒いコートを見つけ、普段履かない茶色の革のブーツを履く。
 防寒対策は万全だ。しか、忘れてはならないものがいる。
「スザク」
 ライアルはベッドの横に置いてあるバスケットに向かって怒鳴った。
 すると、バスケットの上にかかっている布がもぞもぞと動く。ライアルはバスケットに近づくと乱暴に布をとった。
『寒いよぉ』
 バスケットの中には、小さな黒い蛇がいた。そして、黒蛇は、ゆっくり頭を上げ、ライアルを見た。ライアルは、自分のことは棚に上げて、その寝坊助っぷりに溜息を吐いた。
 ライアルはスザクの言っていることが分かる。それは、音の問題だ。ライアルは、蜥蜴や蛇の出す音が聞き取れる。その微妙な違いも分かる。喋れはしないのだが、ライアルと同じように、人間の言葉を聞き取れるスザクと、意思伝達は可能である。
 最も、お互いの言葉を覚えるには相当苦労したのだが。
『ライちゃん、まさかご飯もう食べたの?』
 スザクはきょとんと首を傾げた。
「食べた。今から魔界に行くけど来る? 雪を見に行くんだ」
 ライアルが訊くと、蛇の緋色に光る双眸が、ゆらりと揺れた。
『スザクお腹減った。寒いのも嫌。でも、ライちゃんと一緒に行く。カエル食べれるかな?』
「分からないが、行きたいならすぐ出発するから来い」
 地理の授業サボリ常連のライアルは、雪の国にカエルなどいるはずも無いことを知らない。
 蛇はバスケットから出てきてライアルの腕に巻きついた。ライアルは、その上から上着を着る。ゆったりとした上着で蛇は完全に隠れる。
『早くご飯ー』
「はいはい」
 ライアルは、走りながら適当に返事をし、階段を高速で下りた。本当は、窓から飛び降りたいところだが、次見つかれば、姉に何をされるか分からない。
 ライアルは、律儀に階段を降り、扉をガタリと開け外に出て芝生を走る。校内では、瞬間移動ができないような魔法がかかっているため、校門集合なのだ。
 魔界に行く、最も手早い方法は瞬間移動だ。世界出身者でできる人は、ほとんどいない。しかし、魔界や天界や妖界出身者は、大抵生まれつきできる。勿論四人もできる。
『スザク酔った』
 スザクはもぞもぞと動きながら弱弱しい声で言った。ライアルは適当に返事をする。
『ライちゃん、雪と言ったら……』
「あいつは雪が好きだったな。雪みたいにふわふわした性格じゃなかったけど」
 ライアルは窓の外を見た。青々とした若葉の隙間から、透き通った空が見えた。思い出すのは、昔、共に旅をした一人の少年。


 ライアルが校門前に着いた時には、他の三人は、既に立っていた。
「ふふっ、スザクを連れてきたのね」
 アンは、ライアルの片腕を見ながら言った。スザクは、姿は見えないがもぞもぞと動いている。
「スザクですか?」
「大丈夫。スザクは食べ物の恨み以外では噛み付かない。」
 ライアルは軽く笑う。しかし、その双眸に、一瞬影が入ったのを、その場に居る全員が見逃さなかった。しかし、誰も追及しない。
『スザク、あのお兄ちゃんには何もしないよ。スザク、あのお兄ちゃん好きだもん』
「スザクがジェンのこと好きだって」
 ライアルはにやっと笑いながら告げた。
「ありがとうございます」
 ジェンはすみません、と続けた。
 ライアルは、気にするな、と言って笑った。
「ふふっ、ジェンは蛇が苦手だったわね」
 アンの言葉に、ジェンは苦笑いしながら頷いた。
「別に気持ち悪いってわけではないんですが、目が苦手で……昔、親が殺された時を思い出してしまうんです」
 ジェンは困ったように笑う。それを見て、ライアルは思いっきり目を細めた。
「スザクはライアルから離れないんでしょう。瞬間移動する場所は、治安は良いの?」
「治安は……多分大丈夫です」
 サリーの質問に、ジェンは苦笑いしながら答えた。
 魔界は今とても治安が悪い。夜警国家を極める妖界より遥かにましだが、一万を超す民族の住む魔界は、争いが絶えない。いつどこで戦いに巻き込まれるか、全く分からないのだ。
「まぁ、いくら治安が悪くても、このメンバーだったら大丈夫じゃない?」
 サリーが、半分自分に言い聞かせるように言った。サリーは、妖界人には珍しく、争い好まない。「生きている」兄弟の中では、長子なのに関わらず、王位継承権を二位にされる程に。
 妖界では、強さと勇気と向上心を何よりも高く評価する。その向上心は、必ずしも真っ当な方向に向いていなくても良いことを、ジェンは心から恨んでいた。
 完璧な妖界王太子と賞されるアン王女。彼女の向上心は、未だに彼女を違った方向へぐんぐんと成長させている。それは、ジェンが誰よりも分かっていた。
 妖界の誇る向上心。それの一番の被害を受けていると言っても過言ではない男、ジェンは、今日何十回目かになる溜息を吐きつつ、後ろを振り向いた。
「逆に危ないことの方が多い気がしますけど」
「何で?」
 ジェンが振り返った先にいたライアルとアンは、声を揃えて尋ねる。勿論、口元には満面の笑みが広がっている。
 向上心は伝染する。「影響する」ではなく、この場合、「伝染する」である。一日中、アンと一緒にいるライアルに伝染しないはずがない。
「アン、ライアル、確信犯なのは分かっています。暫く黙っておきなさい」
 流石のジェンも、我慢の限界だった。


 皆で瞬間移動の魔法を使ったところまでは良かった。
「ここはどこですか」
 ジェンの言葉に、ライアルは周りを見た。たくさんの火山。薄暗い空。地面には、魔物の屍が転がっている。雪など一塊すらない。とりあえず、どんな者でも、雪観光のために訪れる場所ではないことが分かる、そんな場所だ。
「妖界……だな」
 ライアルはそう言うと、地面に転がっていた枯草を踏んだ。特有の腐敗集が湧き起こる。ライアルは思わず鼻を手で覆う。
「アンとサリーは別のところに飛ばされたみたいですね」
 ジェンは、不安そうに笑った。それは、責任故もあるだろうが、それだけではないだろう。
 瞬間移動に失敗するなどということは、コントロールが悪く、先日は校庭を丸焼きにしたライアルでさえ今まで一度も無かったのだ。習得可能か否かに差は出るものの、できるようになれば失敗することのない魔法、それが瞬間移動である。
 それに失敗したというとは、何かがあるということだ。しかし、それだけではない。
「どうやって、学校帰るんだ?」
 それが一番の問題だ。ライアルの問いに、ジェンはさらに表情を曇らせた。
 妖界では各地に点在する魔法陣を使わなければ、瞬間移動ができない。知能の低い魔物が、外に出て行かないようにするためだ。更に、今は、ほとんどの魔法陣を使えなくしてある。
「世界では、地面に絵を書くらしいですよ」
 ジェンは、海岸みたいなところで、こうやって、と変な鳥のような絵を書き始める。ナスカの地上絵、って言うんですよ、とにこにこしながら語るジェンに、ライアルはに何だか違うような、と思い、暫く沈黙した。
 しかし、それ以前に、指摘する場所がある。
「ああ、良い考えだ。しかし、空から我々を見下ろすのは、当に鳥頭の魔物しかいないという現実を、どう考えよう?」
 天を仰げば、薄暗い空を、ハゲタカに似た魔物が旋回している。全く以って笑えない。
 嫌な沈黙が流れる。しかし、それはすぐに突き破られた。ライアルとジェンが向いていた方角から見えるのは、黒の塊。それらは確実に、そして急速に近づいてきている。
 言うまでも無い、魔物の大群である。統制のとれた天界軍を差し置いて、四界一を誇る妖界軍を構成する魔物たち。知能は兎も角、その強さは言うまでも無い。
「あーあ、来ちゃいましたよ。ジェン先生、どうします?」
「ライアル、ふざけないで下さい」
 ジェンの言葉に、確かに、とライアルは納得した。それならば、最初からふざけるなという話だが、そんなことを指摘している暇を持っている人はいなかった。
 風の吹かない荒野に、一旋の風が吹く。
「あぁ、ジェン、補助は必要無いぞ」
 ライアルは、にやりと笑みを浮かべた。近づいてきたため、ある程度の数が把握できたのだ。
「お前に補助されたら、どこまで威力が上がるか分からないからな」
 魔法学校特別塔の生徒。それは単なる肩書き。もう、ライアルはジェンの方は見ていない。
「私に任せろ」
 補助魔法を得意とするジェンなど、その足元にも及ばない。魔法学校特別塔、否、職員を含め、魔法学校一の魔法の威力を誇るのは、ライアル。
「気を抜いたら死ぬぞ……勿論私の魔法で」
 しかし、コントロール力は雀の涙ほどしかない。
「分かってます」
 紫電が激しく天空を駆け抜け、轟音響き、土煙が立つ。まるでシャワーのように降り注ぐ光から、逃げる術はない。
 この威力、このコントロール故に、彼の魔法は凶悪だ。

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