Unnatural Worlds

雷鳴の領主

006

 リリーは、魔法学校特別塔の一生徒だ。彼女の素行を知る者ならば、一生徒などという言い方は、即否定するだろうが、業務上は一生徒だ。そんな彼女も、いざこざに巻き込まれていた。
 故郷である天界に戻ろうとしたら、瞬間移動した先は、明らかに目的地と違った。永遠と広がる荒野。そして、鳶色の髪の若い男が一人。
「グチグチ五月蝿いんだよ。俺だって、気付いてから、すぐに連絡つけたさ。でも、中々繋がらないから諦めたわけ。ああ、俺って何て要領が良いんだろう」
 さらに、その男は、リリーに気付かないだけではなく、先程から取り込み中のようだった。通信を使って、誰かと喋っているらしい。
 リリーは、ここがどこだか分からなかったが、とりあえず、この男に尋ねてみようと思っていた。しかし、男の通信は中々終わらない。
「気付くの遅いって? まさか、そんなことあるまい」
 ふわりふわりと白い衣を揺らしながら、男は歩き回っていた。
「俺も忙しいから、あと頼んだぜ。大丈夫だろ、お前なら、じゃあな」
 漸く通信が終わったのか、とリリーは思い、男に近づこうとした。しかし、リリーが話し掛けるより先に、通信を切った男の方が、リリーの存在に気付いた。
「おー、お姉ちゃん。こんなところで何している?」
 男は軽い笑みを浮かべ、リリーに近づいてきた。
「迷子よ」
「俺? ああ、上司に怒られててさ。本当に困った上司を持つと大変だから、お姉ちゃんも気をつけな」
 あんたのことは、誰も聞いていない。
 リリーはそう思ったが、魔法学校の中でも協調性に長けた方であるリリーは、黙っていた。とりあえず、彼が、人の話を聞かないタイプであり、一番迷惑な人間だということを理解するだけで十分だった。
「ここはどこ?」
「魔界雷の国。もう少しで霧の国になっちゃうかもね。どうしよう」
 魔界雷の国。ライアルと同じく、授業をまともに聞いていないリリーは、魔界の地名など詳しくは知らない。しかし、雷の国は知っていた。
「ライアルの国……」
 そう、そこはリリーの親友の国。
「少年は、俺の領主様の知り合いか? 魔法学校の生徒とか?」
「そうよ。ライアルはどこなの?」
 リリーが、真面目にそう尋ねても、男はへらっとした表情を崩さなかった。
「俺も分からないが、とりあえず、見つかった時は、一緒に謝ってくれ」
 リリーは、男を思いっきり睨んだ。
「というのは冗談で、巻き込まれてくれ」
 それに怯んだのか、男は、そう言い直した。
「何に?」
 リリーは男に詰め寄る。しかし、男は軽い笑みを浮かべているだけだった。
「国のいざこざ」
 悪びれず、にやりと笑った男に、リリーが拳骨食らわせたのを、非難する者もいないだろう。


 ライアルは怒っていた。それ以外に表現しようがない。
「通信応じないぞ。あの馬鹿密偵がっ」
 声変わりが始まっていない少年の声が、また今日はさらに高い。
 ただ、勝手に通信を切っただけの部下には、彼もこれ程まで怒らない。敵国の動向が探れぬ密偵など、密偵の意味を為さない。
 先程までここ、雷の国の領主の家にいたリースと交換魔法でやってきたライアルは、早速、密偵の任に就いていたハヤと連絡を取るや否や、詳しく事情を聞く前に、一方的に通信を切られたのだ。
「領主、落ち着け。ハヤに密偵の任をやったお前にも否がある」
 ライアルの部下のリアスは、諌めるように言った。
「だから、怒っているんだ、馬鹿者」
 ライアルの草原色はギラついていた。既に筋は通っていないし、理論も破綻している。しかし、怒るのにも無理は無い。
 しかし、ライアルはいつまでも文句を並べ立てているわけではなかった。
「兵力と方向は?」
 ライアルの声は、未だに声は少々毛羽立っているが、どうしようもない。
「南部に二百、東部に二百、南東部に百ぐらい。つい先程、国境を越えてきたところだな」
 リアスは、こつん、と木の机を叩き、そう言った。ライアルの表情が僅かに歪む。
 霧の国。雷の国の隣にある小国だ。雷の国と湖の国と併せて、秘の三国と呼ぶが、それは地理上の分類であって、仲が良いわけではない。むしろ、悪い。
 そんな国の、五百の兵士動員。霧の国の規模から考えると、本気であることは確かだ。
「要求は?」
「統治権全権委任」
 ライアルは溜息を吐いた。やはりか、というような表情を浮かべ、どっかりとソファーに腰掛け、テーブルに肘をつく。
「交渉は無理か?」
「理由が実力だから、無理だろ」
 ライアルが、再び溜息を吐いた。理由は実力。実力不足のものが排除されるのを、咎める術はない。
 それが、罷り通るのが魔界だ。根本は妖界と同じシステムなのだ。実に単純なルールである。
 しかし、抵抗権は当然認められる。
「それにしても、舐められたものだな。我らが領主様も」
 リアスは、目の前で難しい顔をしている少年を見て、にやりと笑った。
「武人と名高い我らが領主は、ただ四楼の七光りを預かっているだけ。霧の国の奴らは、そう思っているのか?」
「四楼の七光りってところは間違ってはいない」
 明るく鮮やかなのに、影を失わない草原色の双眸は、リアスではない何かに向けられているかのようだった。その言葉は、低く呟かれ、顔には諦めたような微笑が浮かべられている。
 リアスは、困ったように笑った。
「違うだろ。俺たちエルフは、お前を選んだ。誇れ」
 雷の国の国民は、目の前の領主以外、全員エルフだ。
 そして、そのエルフが望んだ領主は、完璧な能力で、自分たちを守り、自分たちを管理する絶対的存在ではなかった。共に歩む領主を欲した。自分たちに足りないところを補い、また、友人のような存在である領主を。
 ライアルは、そうだな、と言って笑った。そして、立ち上がる。
「火の国と海の国にに連絡をやる」
 その声には、僅かな戸惑いさえも含まれない。領主の声である。
 二つの同盟国。領主同士が旧知の仲である、魔界の首都を擁する魔界一の大国火の国と、エルフが実験を握る海の国。
「空の国はどうする?」
「中立国に助けを要請するのは憚られる」
 ライアルは即答した。隣国空の国を、ライアルは度々助け、まだ、情報入手の面では、世話になっている。はしかし、表立った国のいざこざに巻き込むわけにはいかないのだろう。
「それで、要請の内容は?」
「圧力をかける。兵は要らない」
 ライアルの言葉に、リアスは目を丸くした。
「本当にいらないのか?」
 リアスが尋ねると、ライアルはさらりと答えた。
「大国《火の国》に、喧嘩を売るほど、奴らは馬鹿ではないはずだ。念のために、火の国には、詳しく事情を伝えろ」
 分かった、とリアスは返答しようとしたが、その間も無く、ライアルは続けた。
「あと、霧の国との国境の森林地帯の守りを固めろ。他は、荒野で私が引き受ける」
 雷の国の荒野に住んでいる者はいない。ライアルの魔法のことを考えれば、妥当な判断である。
「一人で相手をするのか」
 しかし、それはあまりにも危険だ。リアスは不快を露にした。
「私を誰だと思っている? この国は私の国だ。この国の中では、私より強い者はいないはずだ」
 しかし、ライアルはにやりと笑っただけだった。
「私に任せろ」
 ライアルは、不敵な笑みを浮かべ、窓の外に目をやる。リアスが窓に目を向けると、漆黒の空に紫電が走った。
「分かった。頼んだぞ」
 紫電の国の領主。魔界に名を轟かせる武人。彼を止めることは、リアスにはできなかった。

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