Unnatural Worlds

雷鳴の領主

009

 ハヤはリリーと名乗った少女と共に、雷の国の北方の森まで来ていた。正しくは、北方の森が見渡せるような、岩の連なった小高い丘である。
 そこからは、雷の国の領土である森以外に、雷の国の北側に隣接する空の国の領土である高い山も見える。しかし、見えるのは、それだけではなかった。
「あーあ、どうしたものかねぇ」
 ハヤは、空の国の領土であるはずの山の中腹辺りを見ていた。
「雷の国が、氷の国に攻められそうになっているわけなんだが」
「知るはず無いじゃないっ」
 少女は冷やかな目をハヤに向ける。ハヤは、言い返したいことはあったが、敢えて何も言わなかった。
 ライアルの場合、いくら我侭を言っても、手を上げることだけはしないのだが(もし魔法など使われようものならば、命は無い)、彼女の場合、口より先に手が出る。エルフは、穏やかな気性の者が多く、免疫の無かったハヤは、既に何度も彼女の制裁を喰らった。そして、漸く、三回に一回ぐらいは避けられるようになったのだ。
 そして、山の中腹辺りにある開けた岩場に、たくさんの人間が陣を作っていた。彼らが纏っているのは、酷薄な水色の衣。空の国の北側は氷の国。そして、中立国である空の国の街道は特殊で、他国の者が通ることも認めている。
 ハヤは溜息を吐いた。随分面倒なことになったものである。そう思いつつ、思い雲が覆う空を眺めていると、通信が入った。
「はいはい、こちらハヤです。愚痴領主はお断りでございます」
 ハヤは、軽い声で、相手が喋るより前に、そう言った。もし、間違っていたら、色々と面倒なことになるが、ハヤの期待は裏切られなかった。
<仕事だ。今回の件については、あとでしっかりと叩き込んでやるから覚悟しておけ>
 ハヤの上司の声からは、底知れぬ怒りが溢れ出ていた。しかし、それ以上、ぐだぐた何かを言うことは無かった。切羽詰った状況なのだろう、とハヤは思った。
<空の国のエンドウ殿の情報提供があった>
「恩は売っておくべきだな、お人好し領主様」
 当然の如く、非難する気も無いし、愚かだという気も無い。しかし、からかい半分で言ってやったせいか、怒りの篭った声が返ってくる。
<黙れ。そもそも、お前が女に現を抜かしているから……>
「あれ、何でばれてるんだ?」
 ハヤは、自分以外に、霧の国での密偵の任に当たっている者はいなかったはずなのに、と思う。
<図星か、非国民>
 どうやら、我らが領主様は鎌をかけていたらしい。ハヤは、小さく舌打ちした。雷の国の領主は、背こそ低いものの、なかなか"良い"性格をしている。
「非国民は仕事をしませーん」
 ライアルからの返事はこない。ハヤはひやりとした。とうとう本気で怒り出したか、何とかしなければ、と思ったが、方法は浮かばない。通信が繋がったまま、嫌な沈黙が流れる。
 ハヤは、それから逃れるように、再び山の中腹に目をやった。そして、沈黙を破るために口を開く。
「しかし、軍を見てみると、ヒョウラクは、ほとんどいないな」
 ヒョウラク。それは、氷の国の中心にいる民族であり、魔界で最も氷魔法を得意とする民である。当然の如く、武術にも優れており、氷の国の強大な軍事の力は、彼らの力によるものだと言っても過言ではないだろう。
「つまり、ここまで早くお前に情報が伝わる、ってことを、氷の国が想定していないということだ」
 氷の国が攻めて来る。それをライアルが知れば、ヒョウラク以外の者を差し向けるなど、意味無き行為に等しい。
「情報は霧の国の領主から手に入れた。上手く連携できていないということだな」
 間髪入れずに返ってくる。そして、ハヤが何をを言う前に、すぐに続けられる。
<火の国がそちらに向かう。できるかきり武力行使は避けろ>
 有無は言わせない口調だった。
「了解。あと言い忘れていたが、リリーっていうお嬢さん預かってるぞ」
 僅かな沈黙が流れた。
<茶色の髪で、水色の目か?>
 恐る恐る、といった声で、ライアルは聞き返してきた。
「ああ、あと口より先に手が出る」
 にやりと笑ってそう答えてしまってから、漸く、ハヤは自分の失態に気付いた。
<間違いなく私の友人だ。怪我させたらどうなるか分かっているな?>
 面と向かっていたら、その草原色の双眼で、確実に睨まれているだろう、と思う間も無かった。
「待て、ライアル。むしろ、俺の方が怪我をしそうだ」
 ハヤはそれだけ言うと、素早く通信を切った。
 人間だろうとエルフだろうと、常に正直である必要は無いし、そうであったら身が持たない。無言で、拳を振り上げる少女から、ハヤは必死で逃げ回りつつ、子と孫に、是非このことを伝えよう、と堅く誓った。


 ハヤと通信を切ったライアルは、霧の国の者を待つために、森の東側に広がる荒野に立っていた。霧の国と氷の国は、一体何がしたかったのだろう、ということを考えると、喉に引っ掛かるものがあったが、今の情報の少なさではどうしようもない。この少ない情報の中では、ライアルには、これが最善策に思えた。
『ライちゃん、何考えてるの?』
 ふと、スザクの声が聞こえた。
「何を考えていると思うか?」
 にやりと笑って、腕にしがみ付いている黒蛇に尋ねる。
『スザク、ライちゃんの気持ちは分かるけど、ライちゃんの考えは分からないの。だって、ライちゃんは人間で、スザクは蛇だから』
「私は、人間よりもスザクに近いと思う」
『絶対違うよ。ライちゃんは人間だと思う』
 ライアルは軽く自嘲すると、再び荒野に目をやった。
「ライアル様、森に、氷の国の者たちが……」
 ライアルは、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。しかし、それは一瞬だった。
「無駄な抵抗をするな」
 低く、潜めたような声で命令する。そして、通信の向こうから聞こえてきた素っ頓狂な声を無視して、ライアルは続けた。
「氷の国の者を、セイハイ城に案内しろ」
 セイハイ城。それは、かつてセイハイが住んでいた美しい城。かつては純白に光り輝いていたらしいが、今はただの森の中の古城である。
「敵意は見せるな。だが、歓迎もするな。武力に怯えきった感じで、大人しく従え。火の国は北に来るだろう。数人、東に寄越せ。そいつらにも、同じ指示だ」
 ライアルは指示を出すと、ゆっくりと息を吐いた。
「城で、勝負をつける」
 ライアルは見えぬ城の方へ目をやった。
 今は誰も住んでいない。しかし、未だに美しい宮殿。かつて魔界を支配し、輝いていた民の遺産。

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