Unnatural Worlds

雷鳴の領主

010

 雷の国に広がる森の奥地。そこに佇む美しい宮殿の最上階に、鮮やかな金髪をした男女がいた。
 一人は、すらりと背の高い男で、弓を持って小さな弦楽器を奏でている。うねるような音色は美しく、男が熟練者であることを窺わせる。対する女の方は、顰め面で地図相手に唸っていた。
 そんな時、不意に音が止む。
「四楼は倒れた。そして、よりによってこの国に、あの二人が存在している。ヘルメス、この国は特別なんだ」
 男の声は穏やかだった。
「そうですね。雷の国は、いえ、セイハイは異常です」
 女、ヘルメスは、鮮やかな青い目を細めた。男は、そうだな、と軽く相槌を打った。
「そういえば、あのハヤとか言う男に接触して、情報を入手したらしいな」
「あの男、意外と冷静でしたので、かなり苦労しましたよ。流石、あの御方の娘、お目が高いとしか言いようがありませんね。この"騙し"のヘルメスが、こう言っているのですから」
 ヘルメスは、悪戯っぽく笑む。静かで丁寧な言葉遣いと差を感じさせるような笑顔。
 そんなヘルメスを見て、男は微笑む。静かに弦を弾き、見えぬ天を仰ぐ。薄暗い天井には、密やかな光がある。
「しかし、よく考えましたね。ここを根城にするなんて」
 ヘルメスは、美しい装飾の施された内装を見渡した。嘗て血塗れの大殺戮があったわけだが、それを感じさせないような美しさである。
「灯台下暗しだ」
 男はそう言って、にやりと笑った。
 ヘルメスも、口元を緩めると、静かに瞼を閉じた。
「しかし、騒がしくなりそうですね。どうします? 少し引っ掻き回します?」
 ヘルメスは、窓の外に目を向ける。晴れることが少ない空は、今日も分厚い雲で覆われている。
「ヘルメス、お前が出てきたら、絶対に混乱する。ここで待っていろ」
 そう言って、男は立ち上がった。ヘルメスは不満そうな顔一つせず、そうですか、とだけ返した。
「頼むから、何も起こすなよ」
「頼まれなくても。私が何を起こすというのです?」
 ヘルメスはさらりと尋ね、男は思いっきり目を細める。
 ヘルメス、というのは、言葉と偽りの神の名で、このヘルメスという女も、名前に恥じない者であった。それを嫌という程知っている男が、素直に頷けるはずもないのだが、どうしようもないので、聞かなかったことにするかのように言った。
「念のため、いつでも飛び立てる準備をしておけ。ソラにもそう伝えろ。あいつがいないと、話にならないからな」
「了解です。ソラの方も回収しておきますね」
 男の背には、巨大な弦楽器がかかっていた。女は、そんな男の背に向かってそう言うと、先程まで睨みつけていた地図を纏め始めた。


 時を同じくして、城の上空に、二人の姫がいた。一人は妖界王太子、もう一人はその姉だ。
 サリーは、暇をした妹の恐ろしさを知っているため、彼女に従って、ここまで来てしまったのだ。
 サリーは、場違いな純白の城を見た。人気はしないが、その城はなお美しい。魔法が使われていることは、誰の目から見ても明らかだった。
 そして、アンと違って、純粋な人間に必要以上に関わらないようにしているサリーでも、この城のことは知っていた。
 セイハイ城。嘗て魔界を掌握していた民が住んでいた城。
「この城はね、二回だけ落とされたことがあるの」
 アンは、すーっと下降すると、屋根と屋根の間にある影に座った。
「二回だけ? 二回目は、守手ね」
 アンに従って、サリーも下に降りると、アンの隣に腰掛けた。
 セイハイは、魔界治安維持精鋭部隊守手に滅ぼされた。それは誰もが知っている。"ほんの"十三年前のことだ。
 長き時を生きることを義務付けられ、既に気が遠くなるような年月を過ごしてきたサリーにとって、その出来事は、未だ記憶に新しい。
「ええ、二回目に落とされた時には、何百人もの守手が投入された」
 光のない空を仰ぎ見て、アンは無気味に笑っていた。サリーは、アンがその場にいたのだろう、と思った。サリーと違い、最近のアンは、寿命の短い人間と積極的に関わっている。
 今だってそうだ。人と距離を置くサリーと違い、アンは、ライアルをはじめとする、「時」の違う者たちの中に入り込んでいく。
「ふふっ、でもね。一回目は、一人の女剣士と、一人の魔法使いの手によって、この国の内部は、壊滅的状況に陥ったの……夜の君主と魔法使い。ふふっ、片方は聞いたことがあるんじゃないかしら?」
「夜の君主ならあるわ。何度か、妖界城に呼ばれていたでしょ」
 サリーは夜の君主を見たことがあった。魔界人で、背の高い女剣士だ。サリーは家出していたわけだが、稀にこっそりと城に戻っていた。その時に見たのだ。
 夜の君主。何故、呼ばれているのかは分からなかった。本名も分からない。ただ、サリーの父、妖界王がそう呼んでいた。
 しかし、魔法使いには、心当たりがなかった。アンの同窓生でるというサク・セイハイのことだろうか。サリーはそう思ったが、追及はしなかった。
 そして、暫しの沈黙の後、アンが唐突に口を開いた。
「サリー、夜の物語と夜明けの物語を知っているかしら」
 内容も、酷く唐突だった。サリーの妹は、いつも唐突なのだが、その言葉には、流石のサリーも驚いた。アンの口から、「物語」という言葉が出るなど、思ってもいなかったからだ。
「夜の物語と夜明けの物語? 実際にあったことかしら」
 サリーは、自分の妹が、本物の物語を読んでいるなんてことは、想像すらできなかった。
「ふふっ、私も関与しているの。主役じゃないけど、重要な役よ」
 やはり、実際にあった話らしい。不気味な笑みを浮かべて楽しそうに言う。つい最近までは、笑わなかった妹だ。傍若無人、冷酷無慈悲。彼女を表す言葉は幾らでもあった。そう、つい最近までは。
 一体彼女を何が変えたのだろう。そう思いながら、サリーは尋ねる。
「ここが、その物語の舞台なの?」
「舞台の一つね。でも、未だに太陽は昇りきっていないの。夜明けの物語は続いているのよ。私は登場人物の一人だから、全貌は分からないんだけどね」
 サリーは遠くに見える荒野に目をやった。荒野の夜明けは紅いだろう。そんなことを考えながら、再び妹に尋ねる。
「知っている人がいるのかしら?」
「私よりも知っている人はいるわ。数千年の間、妖界に君臨してきた四界一強い男に、最も近い男よ」
 妖界王に最も近い男。それは、人間ではないだろう、とサリーは思った。妖界王は人間ではあるが、強い。何千年もの間、四界で、彼よりも強くなる者は生まれなかった。
「それが、サク・セイハイ?」
 大して考えもせずに、サリーはそう尋ねた。
「サク・セイハイは死んだわ。でも、彼から遠くない人物よ」
 アンは、あっさりとそう言った。セイハイの血を引く者は、あの姉弟以外、全滅したというのは本当らしい。
「鮮やかな金色の髪をした暗器使い。探しているの。姉さんも、見つけたら捕らえて私に献上してくれるかしら」
 そして、同じぐらいあっさりと、そう言いきった。
「本気で言っているの? どう考えても、物理的に不可能だわ」
 妖界王に最も近い男だということは、サリーやアンよりも遥かに実力が上ということになる。それを生け捕りにできるはずがない。
「ふふっ、妹の我侭ぐらい、聞いてくれたって良いじゃない」
 サリーは、それちこちらの台詞だ、と言いたかったが、アンに我侭を聞いて貰って、碌なことが起こらない自信があったので、黙っていた。
 困った妹を持った姉は苦労するのである。

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