Unnatural Worlds

雷鳴の領主

020

 ジェンは未だに覚えている。
 自分の両親の弟子であったキナ。彼女は穏やかで優しいお姉さんだった。しかし、彼女はあまり笑わなかった。余裕の笑みを見せることはあっても、普通に微笑むことのない今とは違い、微笑むことはするが、回数は著しく少ない。
「キナ、何か嬉しいことがあったの?」
 だからこそ、キナが始終嬉しそうにしている姿は、ジェンの脳裏に焼き付いていた。
「私は姉になりました。まだ見たことはないけど、会うのが楽しみ」
 キナは青い双眸を細めて、幸せそうに笑う。
「おめでとう。キナが嬉しそうにしていると、僕も嬉しいな」
 ジェンも嬉しくなった。
 十四年前の記憶。ジェンは、一通りの会話をしっかりと記憶しているわけではなかった。しかし、キナが幸せそうに笑っていたということを、忘れることはなかった。もし、キナがよく笑う少女だったならば、このような些細な出来事はジェンも忘れていた。しかし、キナは、元々幸せそうに笑うことの少なかった少女だったが、成長するにつれて、笑顔を消し去ってしまっていた。
 ジェンは弟子として、キナのためになりたいと思っている。だから、大人しくキナに従っていた。しかし、キナは全てを一人でやってしまう。それは、自分に自己主張が無いからだ、とジェンは解釈した。だから、ジェンは、キナに楯ついたのだ。


 丁度その頃、ジェンとパークスは、危機的状況にあった。
「囲まれましたね」
 周囲を囲む軍人を見渡し、ジェンはそう呟いた。
 敗走中の霧の国の者たちとばったりと出くわしてしまったのだ。
「僕は守備は得意だが……」
 パークスは呟く。
 このような状況を打破するのが得意なのは、ライアルやアンであって、使う魔法、そして身体能力的にも地味な二人にとっては、命の危険がある。しかも、二人とも、しっかりとした良識と常識を持っているため、ライアルやアンのように、不利な状況を手段を問わないことによって打破する、などということもできない。
「霧の国の方と見受けますが、雷の国で何か?」
 ジェンは、いつもの穏やかな声ではなく、朗々とした声で呼びかける。
「何者だ?」
「四楼キナの弟子ジェンです。出身は空の国ランゴク族。ここにいる理由は、四楼からの命である雷の国の動向調査。代表の方と御話がしたいのですが」
 演説をしているかのような堂々たる姿は、師であるキナによく似ている。生徒に、ひ弱で甘いと言われ続けている男だが、四楼の弟子。しかし、相手は敗走中の軍隊。冷静な判断力など、とうに失われている。
 魔法を使い、武器で攻撃してくる気配を感じ取った二人は、応戦態勢に入る。妖界人には珍しく、好戦的性格をしていないパークスと、大人しいジェンは、戦闘が好きではないが、自分の身は守る。
 守備が得意なパークスは、土壁を作り、ジェンはその土壁をさらに頑丈に、そしてさらに高く伸ばす。
「どうにかなったな」
「しかし、どうしましょう。決定打がありません」
 土をはじめとする有機物と無機物が混じった物質の使い手パークスと補助強化魔法の得意なジェン。地味な彼らは、命こそ守れるものの、敵をどうこうする力は持っていない。


 四楼キナは、熱い体に鞭打って、セイハイ城の前まで来ていた。あれから、乱れた四界を整え、もう体は限界を超している。
 青い薔薇と純白の城。白銀の髪と鮮やかな青の瞳をもつ、まさにセイハイと言った美貌の女は、重い頭に表情を歪め、寒気震えていながらも、其の主に相応しいと誰もが口を揃えて言うような"人間"だった。
【懐かしいですね】
 頭に響く優しい声に、そうなのか、とだけ答える。丁度その時だった。
「姉さん、大丈夫ですか? 何故、このようなところに」
 キナが探していたライアルが、慌てた様子で走ってくる。心底自分を心配しているような声に苛立ったキナは、冷たく言い放つ。
「ライアル、セイハイ城を破壊するな。いつ、私があれを破壊しても良いと言った?」
「申し訳御座いません。ところで、このセイハイ城は……」
 素直に謝るのだが、キナの意図を尋ねるその姿に、先程の弟子の言葉が重なる。
「黙れ」
 キナはジェンにしつこく尋ねられ、挙句の果てに、思いっきり不快そうな声を出されて、この件ではかなり苛立っていた。勿論、ライアルはそのようなことは知らないので、このことについては全く罪は無い。


 ライアルは、キナの機嫌を損ねたのが分かったため、話を逸らそうと、今まであったことを片っ端から喋った。
「その男の名は、マラボウストークというらしいのですが……」
 自分にとっては無関係とは言えない人物の名前を、さらりと出す。それによって、過去を喋ることは避けたかったため、まるで知らないかのように言う。実際、ほとんど何も知らないわけではあるのだが、全く知らないわけではない。しかも、ライアルの持っているどの情報も、"四楼"にとっては役に立たない。
 そのため、名前だけ告げてすぐに話を切り替えようとしたのだが、キナノ表情の変化に気づく。
「マラボウストークを御存知なんですか?」
 自分と関係しながら、知らない人物。彼に対する興味に負けたライアルは、そう尋ねた。しかし、キナは、お前の知るところではない、とだけ言って切り捨てる。予想通りと言ったら予想通りの反応に、自分の至らなさと僅かな落胆を感じながら、ライアルは話を変える。
「空の国と火の国と海の国に、証拠品証明を願い出ます。四国の証明では足りませんので、火の国と交渉致します。火の国の同盟国、森の国や湖の国の領主と私は、仲が悪いわけではございません」
 四楼であり魔界代理統治者に毒薬を投与した、という事実は、相当の痛手にできる。しかし、証拠が必要だ。その証拠を証明するために、キナから少し離れた者たちで、証拠を提示するのが望ましい。雷の国とその同盟国から、火の国の同盟国にまで広げれば、説得力は増す。
 魔界代理統治者キナの退陣を望む領主はいない。それは、霧の国の領主が、キナの食事に致死量の毒を混ぜなかった理由の一つでもある。
「それは全て任せる。金はこちらで用意する」
 はい、と一言で答えたライアルは、頭を下げた後、話を続ける。
「あと、氷の国は大国ですが、霧の国は小国。今回の襲撃で、疲弊も激しく、領主の死亡も確認されております」
「後釜に据えるのに良い者はいないのか?」
「領主の姪レツが優秀だと耳にしております。我が国が加わればレツの立場も危うくなりますので、魔界代理統治者の名において、フェルーラを行い、レツを正式な理由を以て、領主として選出するのはいかがでしょうか」
 今回の霧の国の侵略で、軍を壊滅させ、領主を死に追いやったと言われるだろう雷の国の領主が、霧の国の内政に干渉すれば、混乱が生じる。ライアルが支援することにより、有能なレツを潰してしまうのも避けたいことである。
 雷の国としては、隣国が無能な領主であるよりも、有能な領主である方が良い。無能な領主になって、彼が民衆の怒りを買い、前領主を殺した雷の国に、民衆の怒りの矛先が向けられても困る。隣国の有能な領主は恐ろしくもあるが、火の国と同盟を結び、領主が四楼の実弟である雷の国に、本当に有能な領主が戦いを挑むことはない。
「ライアル、ジェンについて、最近思うことはあるか?」
 キナは、思い出したかのように、と言うには少しばかり真剣に尋ねる。
「何故、私に尋ねるのですか? ジェンのことは、姉さんがだれよりも知っているはず」
 ライアルは微笑み、私は事後処理に当たります、代わりの無い御体ですのでどうか無理をなさらずに、とだけ言って、その場を立ち去った。しかし、ライアルも薄々気づいていた。
 ライアル、キナ、ジェン。三人の関係は、ジェンの動きにより、刻々と変わっている。ジェンの動きは変だった。いつもは師の言うことに忠実で、誰よりも師を案じている青年は、自身を信頼しない師に対して不信感を募らせている。
「ジェンに、大切なことを言っていないのは、私なんだがな」
 ライアルは、真っ暗な空に向かって、自嘲する。スザクは沈黙を押し通す。
 夜明けの物語には、欠かせないライアルの存在。生まれた時から、夜明けの物語から逃れられなかったライアルは、夜明けの物語の存在すら知らない。

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