Unnatural Worlds

勇気の色

025

 石造りの床が広がっている。幾多もの塔が連なる魔法学校。しかし、その魔法学校に、ライアルはいない。否、この世界には、ライアルはいない。
「サク、私を誰だと思っている?」
 無駄の無い動きで自分よりも背の高い少年を軽々と床に押し付ける。酷く美しい声が、冷たい意志の床に響く。
「私は妖界王太子。この四界で最も美しく、生命力に満ち溢れた世界を統べることになる。その祖、妖界王は、夜の哀歌の力を持ち、古の王家の血を引く異端者。そして私の母は、精霊の王。私は混血だけど、生殖能力を持つ。私は、混血の王家の誇る王太子。混血こそが、強き者」
 美貌の妖界王太子は、少年の手を足でにじり踏む。
 魔物を統べ、恐れや迷いなど、彼女の中には存在しない。ただ、強さを求め、生き残ろうと前に進み続けるが故に輝く生命。まさにその妖界の美しさを具現化したような王女。
 だから、嘲笑も、彼女を気高く見せる飾りになってしまう。
 彼女は完璧だった。
「その混血を排斥する魔界人、ましては道具として生まれた一族の中の選りすぐりの道具であるあなたは、この私を前に、まさか自分を"人"だと思っているの?」
 秘密を囁くようなわざとらしい声と共に、少年の腹部に「軽く」蹴りを入れる。咽始めた少年を見て、嘲笑う。
 意思がないのが一番とされる道具の中の道具。王太子のように、強く美しく自由に生きることを望まれず、ただ意思なく生きることを求められる。それを嘲笑うことは正当だろうか。
「哀れな道具ね。自分の血も、自分自身も誇れずに……救いようはないけど、道具は"救えない"わね。精々、壊れないように足掻けば良い」
 足で踏み続けられた所為で、酷く汚くなった手。力なく、意思の有に横たわっていたそれが、ゆっくりと動き出す。
 冷たい白い腕を、「汚い手」が掴んだ。美しい嘲笑を浮かべたまま、「汚い手」の主を見る王太子。しかし、少年は、何も言わず、彼女の方も見ずに、ただ、「道具」は「完全な王太子」の腕を掴む。
 「道具」の取るに足りない力で、「完全な王太子」が簡単に振り払えることなど分かっているのに関わらず、顔を上げることもできない少年は、ただ腕を強く掴んでいた。

 数年後、一人の女が、美しい、と微笑んだその鮮やかな青の双眸は、一体何を見ていたのだろうか。


 麗らかな春の日差しの差し込む中庭。そこには巨木がある。その太い枝に、雀のように並んでいる者が三人。当然のことながら、実際は雀などという可愛らしい物ではない。
「アン、例の物は完璧だろうな」
 魔界雷の国の領主ライアルは、隣にいる妖界王太子アンに向かって、真剣な面持ちで問う。魔界の一国の領主は、妖界王太子に一体何を依頼したのか。
「勿論」
 妖界王太子は、紅色の髪を払い、不気味な笑みを浮かべた。二人は顔を見合わせ、静かに笑う。
 しかし、そこにリリーの冷静な声が突き刺さる。
「来たわよ」
 リリーの声を聞いたライアルは真顔でアンを見てから、やってきた者を確認した。
「ライアル、アン、リリー、そこにいるのは分かっています。大人しく降りてきなさい。今日は木を切ってでも落としますからね」
 チョークの粉で頭を真っ白にしたジェン。髪からは水が滴っている。それを他人事のように眺めているアンが、ジェンの足どめのトラップを仕掛けた。妖界王太子の仕掛けたトラップに挫けず追いかけてくるジェン。死なない程度のトラップって大変なのよ、とアンは不気味に笑っているが、トラップが世界人でいう小学生レベルであることの言い訳にはならない。
「本当に木を切った例があったかしら」
 アンは、相変わらず笑みを浮かべたまま尋ねる。
「ないな。絶対に口だけだ」
 ライアルは即答した。ライアルたち三人は、ジェンを完全になめている。
 しかし、ライアルの余裕も長くは続かなかった。
『ライちゃーん、助けてー。スザク、パークスに食べられちゃう』
 パークスがスザクを食べるなどということはあり得ないと分かっているのだが、ライアルはスザクの悲鳴に似た叫びを聞いて、ぐらりと揺らぎ、それが冷静な思考と混じり、混乱する。
 混乱の果てにライアルは呟く。
「人質を取るとは姑息な……」
 普段ならば、こんな台詞を吐く正義のヒーローがいるか、などと言うのだが、ライアルは混乱していた。友人が友人に食われるということを想像するだけで、ライアルは目眩がしていた。
「何であんた乗っているのよ」
 リリーに、しっかりとなさいよ、と頭を軽く叩かれて、ライアルは木から落ちた。当然のことながら、リリーの"軽く"であって、一般人の"軽く"ではない。
 混乱していたライアルは、豪快な音を立てて、地面に叩きつけられる。六階から落ちても、しっかりと着地できる身体能力を持つライアル。
「あの、ライアル、大丈夫ですか?」
 しかし、今回に限っては、先ほどまで、怒っていたジェンさえにも、そう言わせるほどの着地っぷりだった。
「どこにいると思っていたら……ライアル、着いて来い。護衛だ」
 ライアルは、魔界の代理指導者であり、四界一の権力者である女を、臣の顔で見上げた。
「どなたと会うのですか?」
「妖界王だ。気を引き締めておけ」
 ライアルはすぐに立ち、ライアルを顧みることなく歩いていくキナの後を追った。アンやリリー、ジェンやスザクを振り返ることもなく、速足で姉の後に続く。
「良くないことですね」
 ライアルは、ゆっくりと息を吐くようにして言った。
「当然だ」
 キナは即答した。その後、沈黙が続く。元々仲の良くない姉弟仲。業務連絡ぐらいしか、喋ることなどない。ライアルも話題を探すことなく、ただ黙ってキナの後に着いていくつもりだった。
「ライアル、私はトウキに、次の魔界指導者をジェンにするように伝えておく」
 いきなりのキナの言葉に、ライアルは眼を見開き、前を歩く姉を見た。
「しかし、次の魔界指導者はお前だ。ジェンを魔界指導者にはしない」
 その言葉に、ライアルは驚きながらも、キナの心を思い、表には出さない。ジェンは賢いが、魔界指導者には向いていない。権力欲も無く、冷酷になりきれぬ彼に、魔界指導者が務まるはずもない。
「分かりました」
 ライアルはできる限り、感情を排除してから、そう答えた。

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