Unnatural Worlds

勇気の色

028

 長い時を生きる妖界王は常時暇であると言っても過言ではない。周囲を巻き込み、彼是あることも多いのだが、巻き込まれる周囲がいなければ、本当にすることがなくなる。そのため、客を招くことがある。その日呼んだのは、穏やかな笑みを浮かべた女だった。
 女は、遥かなる大地特有の作法で丁寧に挨拶をすると、草原色の双眸を妖界王に向けた。
「反逆王よ、貴殿ならば、分かるだろう」
 妖界王と呼びかけるか、反逆王と呼びかけるか、という違いは、非常に大きい。この女は、反逆王と呼びかけた。"妖界"初の王家の初代王は、一体何に反逆したのか。それは、真実を知る者しか分からない。
「この世には、決して触れてはならぬものがある。当たり前を破壊する魔法を、私は否定しよう」
 緋色の髪、草原色の瞳。空色などどこにもないのに、纏うコートは空色。そのせいだろうか、空色が酷く浮き立って見える。
「お前は、魔法を捨てた……と」
 その言葉に、女はゆっくりと頷く。
「最も危険なものは、時と命の魔法だ」
 女にしては低い声は、玉座に響き渡る。古の聖人の如く、女の声はよく通る声だった。
「美しい妖界、貴殿の愛する妖界を崩したくなければ、時と命には触れるな」
 夜の君主。彼女の強さは、大切な人を守り抜いた美しい女剣士には遠く及ばないような程度の物だった。古の時代、夢を追い続けた剣士のような、強い精神を持っているわけでもなかった。
 それでも彼女は夜の君主だった。彼女は命尽きるまで、種をばら撒きながら、戦い続けた。
 彼女は、自身の実力を遥かに上回る王にも、屈することがなかった。


 翌日、妖界王から玉座の間直通の魔法羽根を貰ったライアルは、ジェンと共に妖界城に向かった。直通の魔法羽根があるため、一瞬で玉座の間に着く。
「雷鳴の領主に、四楼の藍か……仲が良いではないか。お気に入りの藍玉を実弟に奪われた四楼の機嫌は如何かな?」
 ライアルは、姉やアンが妖界王を毛嫌いする理由が、よく分かった。余裕たっぷりの笑みを浮かべ、単刀直入にものを言う。さらには、一番触れてほしくないところをついてくる。その上、にやにやと笑顔を浮かべ、楽しくて仕方のないような表情を浮かべているのだから、救いようもない。おまけにジェンは、陛下は御世辞がお上手ですね、と笑っている始末である。ライアルは、早速帰りたくなった。
「学校の業務に追われております」
 ライアルは、当たり障りのないことを言うと、リンゴジュースを王の前に置いた。ライアルは、それでは失礼します、とだけ言って、早々に立ち去ろうとした。自分ひとりならば、王に尋ねたいことを尋ねるのだが、ジェンを連れているのだから、なるべく早く帰りたいのが、ライアルの本音だった。しかし、王はそれを許さなかった。
「態々ここに来たのに、何も話さないとは勿体ない。何か話せ」
 ライアルは、ゆっくりと息を吐くと、丁寧に礼を述べてから、尋ねた。
「陛下は、魔法学校虐殺事件を御存知でしょうか」
 魔法学校虐殺事件。昔とは言えず、また、最近とも言えないような時期に起こった事件。アンとサク・セイハイが交差したと思われる唯一の場所である。
「あぁ、あれか。知っている。しかし、指示を出したのは私ではない。犯人が自ら選んだわけではない」
 にやりと笑う妖界王きは、ライアルの考えを当然のように理解しているようだった。指示を出したのりは誰か、とライアルが尋ねる前に、間髪入れずに続ける。
「しかし、一つだけ言っておこう。指示を出した男の意志は果たされていない」
「具体的には教えて下さらないのですね」
 遠まわしに言っているということは、言う気がないということだ。ライアルは、妖界の玉座に数千年に渡って君臨している王と勝負しようという気はない。そんなライアルの態度を見て、妖界王は満足げに笑った。
「青眼を持たぬ者よ、お前は男であることによってとある権利を有している。その点で、姉よりも優れている。しかし、お前は青眼を持たぬという一点においても、姉を凌ぎ、また姉に劣るのだよ。お前は真実に辿り着けるのか、私は楽しみにしているぞ。私は楽しいことが大好きだからな」
 ライアルは妖界王を見た。楽しいことが大好きだ、と妖界王は上機嫌に笑っている。親友であるアンに申し訳ないな、と感じながらも、親子って似るものだな、とライアルは思っていた。
「セイハイではない私は、全てにおいて、姉よりも劣っております」
「私だけが質問をさせて頂くのも申し訳御座いません。陛下、何かお望みがあるのなら、何でもお聞きいたします」
 ゆらりと妖界王が動き、ライアルの腕を掴んだ。その予想外の動きに、小さな声を上げたのはジェンだけだった。妖界王の動きをその目で捉え、妖界王と自分の力の差が分かっているライアルは、驚くことはなかった。
「迅雷よ、何故殺した」
 ジェンには決して聞こえないような声で、妖界王は問う。ライアルは、いきなりの問いに驚きながらも、今までの話の流れで、何を尋ねられているかを悟った。ゆっくりと息を吐き、唇を動かさずに、声になるかならないかの声で答える。
「手に入れられぬ幸福を見た愚かな子どもは、それを奪いたいと思ったのです」
 魔界に名を轟かせる武人領主は、静かに瞼を伏せ、恐ろしいほど穏やかな声で答える。
「恨んでいたわけではないのかね?」
「私が恨んでいる者があるとすれば、それは愚かな自分です」
 十四歳とは思えないほど、淡々とした声で答える。
「後悔しているのかね」
 ライアルは、食い込む王の手の上に、静かに自身の手をかける。
「しないはずがないでしょう。ところで、陛下は、何故、私にそのようなことを御尋ねになるのですか?」
 力を込めて王の手を振り切り、"草原色の双眸"で、王の瞳を真っ直ぐと見る。その草原色の双眸に、似ているようで似ていない草原色の双眸を思い出した妖界王は、声を上げ、手を叩いて笑う。
「何れ分かるだろう。楽しみにしているぞ、雷鳴の領主よ」
 王の平凡な色の双眸は、爛々と輝いていた。

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