その日はとりあえず、サファイアの家で一泊することになった。
リィドはまるで浮遊しているかのようだった。食事もパンに手をつけただけで(あまり食べないのはいつもだが)、すぐに割り当てられた部屋に行ってしまった。
ライアルは食後に暖かいお茶を飲んでいた。
リィドは何かを隠している。それは皆が分かっていた。ただ、それについて追及する気はなかった。リリーやカシワまでもが、そのことについては一切触れなかった。それについて、色々と言えるほど、皆、リィドのことを、知っていなかった。
「ファンレール発の船で、タイラールまで行ってから、タイラールからルイトル行きの船に乗って、ルイトルから、首都リクロフロスへ船で向かう」
ライアルは妖界の地図を広げ、そう説明した。ライアルは文字を読めないが、地図のどこがどの町なのかぐらいはすぐに分かる。
「また、船か」
カシワが、魔物襲撃を思い出したのか、苦笑いをしながらそう呟いた。
「ふふっ、徒歩よりは遥かに良い選択だと思うけど」
そんなに危険なところなのか、とカシワがアンに尋ねた。アンは薄らと笑っているだけである。
「妖界の治安は、四界一悪いと言われています」
困っているカシワに、ジェンはそう解説した。
「絶対、誰かの傍にいろよ」
ライアルは、お前は弱いからな、と冗談交じりに言う。本当は、本気だったが。
「だから、私は妖界が嫌いなのよ」
リリーが、ばさりと切り捨てるかのように言う。こういう時に、はっきりと物が言えるリリーが、ライアルは好きだったが、リリーと同じことを思っていたわけではなかった。
「私は好きだな」
ライアルはにやりと笑った。
「努力した分は、必ず報われるんだ。幸せだと思う」
妖界は、実力があれば、何でも手に入れることができる。平等と引き換えに得たのは、限りない自由である。強い者の世界だ。皆が生きることに執着し、生き生きとしている。ライアルは思った。
「あなたは、妖界人の感覚と、似たものを持っていますからね」
ジェンが穏やかに笑う。しかし、その笑顔に影があることに、ライアルはすぐに気がついた。これについては深入りしない。それは、暗黙の了解だ。
「育て親が妖界人だからな」
そうでしたね、とジェンは優しく微笑んだ。ライアルは笑顔で返す。ジェンとライアルの育ての親は、切っても切れない関係だ。全く、良い思い出ではないが。
カシワは、どんな奴だったんだ、と尋ねる。
「強かったよ、本当に。私はあいつから、魔法や棒術、知識を学んだ」
ライアルより強いのか、と尋ねるカシワに、勿論、と答える。素直に驚くカシワを見て、ライアルは懐かしさがこみ上げてきた。最近、昔のことをよく思い出す、とライアルは思った。
「アンはどう思ってるんだ?」
カシワは、アンにも尋ねる。
「四界の中では一番好きだわ。そうじゃないと困るでしょう?」
アンは、黒い瞳の色を全く変えずに言った。口元には、やはりいつもの笑みが得かんでいる。
一応お姫様だから当たり前だろう、とカシワは周りから言われた。リリーにまでも言われてしまったカシワは、酷く落ち込んでいた。