小さな黒い蛇が廊下を這っていた。階段を上がり続けること数分。趣味の悪い廊下を進み続ける。
蛇は廊下の真ん中あたりで突然止まる。真紅の光が仄かに漂い、ポン、という軽い音とともに、蛇は消える。しかし、その代わりに、漆黒の髪に、褐色の肌、そして、緋色の瞳の小さな少年が立っていた。
少年、スザクはパタパタと走り、僅かに開いていた近くの扉を開けた。
「フーちゃんっ」
薄暗い室内では、異様に白が冴える。白い髪に白い肌だけが浮かび上がり、そして顔の半分を覆い隠す黒い布の部分は沈んでいる。
「……馬鹿蛇?」
ベッドに座っていたリィドは凍て付くような瞳を、スザクに向けた。
「フーちゃん、皆心配してたよ」
スザクは、てけてけとリィドのほうに歩み寄る。リィドは表情一つ変えない。しかし、それも充分スザクの想定内だった。スザクは必死だった。
「フーちゃんは、性格悪くて、スザク大嫌いだけど、フーちゃんのこと、凄く心配なの。フーちゃんはいつも、頑張り過ぎ」
リィドは僅かに眉を顰め、五月蝿いから出て行ってくれる、とだけ言った。しかし、スザクは出て行かない。リィドの目の前で、必死に訴える。
「ライちゃんも頑張りやさんだけど、ライちゃんはフーちゃんよりもずーっと弱い子に見えるから、誰かが助けてくれるの。ジェンお兄ちゃんもそう。でもね、フーちゃんは強く見えるから誰も助けてくれない」
「強く見えるじゃなくて、僕は強い」
さらりとリィドは言った。スザクは、強いけど、と言い、言葉を濁した。
リィドは強い。それは、スザクもよく分かっていた。ただ、リィドが強く、普通の人よりもずっと物事に聡く、それ故人の気づかないようなことも、敏感に感じ取ってしまう。さらに、強いため誰も手を差し伸べようとしない。否、強いが故に、限界近くに達していても、なかなか分からないのだ。
スザクは、ライアルにも少なからずそう言う部分があるため、言葉で上手く整理できていなくとも、ずっと、何となくは分かっていたのだ。ライアルだけではない。スザクの周囲には、そういう人物が多い。
「ライちゃんのことだけじゃなくて、ジェンお兄ちゃんのことまで考えて……フーちゃんも自分のことでいっぱいいっぱいなのに」
どうしたら、そう見えるんだろうね、と言うリィドの表情の変化はほとんどない。ただ、未だにその姿は、薄暗闇でぼやけている。
強がっていたり、やせ我慢をしていたりするようには見えないのが、リィドの厄介なところなのである。スザクの頭に、自分で分からないのかな、という考えがよぎった。
ただ、どちらにしろ、スザクがすべきことは変わらない。スザクがリィドのことが心配なのは事実だ。ただ、リィドが酷く傷つけば、それに気付けなかったライアルは自分を責めるだろう。ライアルが今、リィドが仮面の将軍に言われたことの真の意味を理解するのは、物理的に不可能だ。スザクには、一種の責任感と、罪悪感があった。
しかし、スザクには語彙が少ない。リィドは賢く、スザクが少しでも何かを誤魔化せば、すぐに気づくだろう。スザクは最後の言葉を考える。
「ジェンお兄ちゃんは強い人だよ。ライちゃんやフーちゃんよりも、ずっとお兄さんだもん。ライちゃんは、支えてくれる人、いっぱいいるよ。フーちゃんは、自分のことだけを考えて。レンお兄ちゃんも、きっとそう思ってるから」
スザクは一気に言い切った。
レンという単語に、リィドは反応していた。すーっと息を吐く。
「数年の間で、少しは自分の面倒が見れるようになったのかな?」
リィドは薄らと笑った。薄暗闇で、未だに世界はぼやけていた。ただ、その笑みだけは、スザクにはくっきりと浮かんで見えていた。