無事にライアルたちは船を下り、タイラールに上陸した。町並みは、ファンレールとあまり変わらない。しかし、妖界のこの風景に慣れている者ばかりではないため、何の感想もなく通り過ぎるなど不可能なことであった。
「妖界は、完璧実力主義の世界の割には、貧富の差とか無いよな」
カシワのその言葉に、真っ先に反応したのは、アンだった。
「ふふっ、完全実力主義だからないのよ。弱い者は生きていけないじゃない」
「馬鹿、少しは考えろよ」
口を開こうとしたリリーより先に、ライアルが間髪入れずに指摘する。すると、カシワは不満そうに僅かに口を尖らせた。
必要なものを調達し、船のチケットを手配したライアルたちは、すぐに船に乗り込もうとした。タイラールからの船も、やはり巨大だ。搭乗が始まるまで、ライアルは波止場のベンチに腰掛けていた。
『ルイトルまでは一日もかからないよね。スザクも頑張るよー』
「お前は何を頑張るんだ」
ライアルは、袖口からひょっこり顔を出すスザクの頭を撫でる。すると、行き成りスザクの首が引っ込んだ。ライアルは振り返る。
「頼むから、気配出して歩いてきてくれ」
ライアルがそう言うと、ライアルのすぐ後ろにいたリィドは、癖だからね、と言いながら、ライアルの隣に腰掛けた。暗殺者特有の癖。そう思ったライアルは、僅かに顔を顰める。
「おい、そういえば、奴らはどうした」
カシワやリリーたち、他のメンバーは、それ程遠くないカフェで、お茶を飲んで時間を潰しているはずである。ライアルがそう尋ねれば、リィドは海を見たまま、さらりと答えた。
「王女サマがいるから問題ないよ」
そしてすぐにリィドは、そういえば、と言って、自分の鞄を漁り始めた。ライアルは目を細めてリィドを見る。
リィドが取り出したのは、小さなハンドブックのようなものだった。勿論、ライアルは表紙の文字さえも読めないので、何なんだ、とリィドに尋ねた。すると、リィドはにやりと笑って、さっとページを開けライアルに見せた。
紙面に載せられていたのは、大きな何枚かの絵である。下には文字があるが、ライアルにはその絵だけで、全てを理解した。
「雷、僕たちもこれで晴れてお尋ね者だよ」
絵は、ライアルたち、イルーラ・バトルに参加した仲間全員のものだった。下に書いてある文字が、数字であることぐらい、ライアルは分かる。手配書。ライアルたちは賞金首になったのだ。
「全員載ってるじゃないか」
ライアルは苦々しげに呟いた。妖界には、多くの賞金稼ぎがいる。そういう者たちの中には、軍の幹部として十分にやっていける戦闘能力を持ちながら、敢えてそれを選ばなかったような強い者もいる。
指定されたのが、ライアルやリィド、アンのような、一人だけで十分戦っていけるような者だけならば良かった。全員であれば、魔法能力が低く、女性であり、刃物も持っていないリリーやカシワが真っ先に狙われるのは、目に見えている。
ジェンの戦闘能力は低くはないが、そんなときには自分の身を守るので精一杯だろう。よって、そうなった時に、戦力になるのはライアル、リィド、アンの三人である。三人だけで、妖界軍だけではなく、賞金首からも二人を守れるかどうかは、聊か怪しい。
「大丈夫。これだけ懸賞金が高ければ、狙う者もあんまりいないよ」
ライアルが真剣に考えているのを知っているのに関わらず、リィドは爽やかに笑う。
「高くても狙ってくる奴が危ないんだよ」
ライアルはあまりのリィドに、声を荒らげる。しかし、リィドはライアルを無視して、絵の下に並ぶ字を追い始める。ライアルは何かを言おうとしたが、リィドがすぐに真面目に喋りだしたので、口を噤んだ。
「雷、君は殺されないらしいね。生きていないと価値がないみたいだ。王女サマと……先生」
リィドはライアルを見た。ライアルは、リィドが今、自分と同じ疑問にぶち当たったのが分かった。
「ジェンも、生きたままだけなのか」
「雷の場合、四楼への外交カードには使えるから、生きたままって言うのが分かるけど、先生は、特に思い当たることがないね」
ライアルは溜息を吐く。
「私の場合も微妙だが……ジェンは四楼の弟子ではあるが、四楼がそれぐらいでは動じないことは、妖界王も知っているはずだ」
四楼キナは、指導者欠かすことのできない冷酷さも持ち合わせている。妖界王も、四楼キナとの接触は、何度もあったはずである。それに気付かないはずはない。
不意に、リィドが小さく、あっ、と声を出した。
「先生は、ランゴクだったよね。ランゴクは、数年前に滅びたはず」
すぐにライアルはリィドの言っていることの意味を理解する。
「空の民の血か」
古から存在した空の民と呼ばれる民族。ジェンのランゴク族も、空の民である。空の民には、際立って強い力はない。しかし、特殊な魔法を多く使えるのだ。
「空の民は、遥かなる大地に古より存在した龍よりも、ずっと昔からいたらしい」
空の民の血が何に使われるかは分からない。しかし、ジェンが最後のランゴク族だから、という理由は、充分有力ではある。リィドは、そのことについてそれ以上何も言わなかった。
リィドはすっと立ち上がる。
「でも、良かったね。攻められた時は、君と王女と先生を前線に出せば良いみたいだ」
「刃物を持っているのは、私とジェンとアンだけだ。どちらにしろ同じだろう」
そう言って笑いながら、ライアルは海を見た。黒い海は限りなく深かった。