Unnatural Worlds
第二部 龍の炎
第四章 澄み渡る星空
駆け抜けるのは首都リクロフロス




 ぼんやりとした夜明け。僅かな光の中、ライアルはリリーに文字通りに叩き起こされた。
「本当に大きいな。あれが、妖界城か?」
 ライアルは酷く喉は渇いていたし、頭はぼんやりしていたので、はしゃぐカシワとリリーを遠い目で見ていた。
『ライちゃん、生きてる?』
 スザクがそう言いながら、にょろりにょろりと冷たい体でインナーの上を動き回ってくれたおかげで、ライアルは漸く頭が覚醒してきた。
「アン、城にはどうやって入るんだ?」
 ライアルはすぐ隣にいたアンに尋ねる。
「リクロフロスの広場で、アイテールから飛び降りて、そこからはその場次第よ」
「状況把握ができていないということだな」
 無気味に笑いながら、即答するアンに、ライアルもすぐに応じた。
「ふふっ、どうしてもって言うなら、少し降りて様子見てくるけど、見つかった時に厳戒態勢に入られても困るでしょ」
「アンなら、見つかるようなこともなさそうだが、様子を見たところで何ともならないのが現状だな」
 余裕、といった表情で笑うアンに、ライアルは笑みを零す。事の重大さに気付いていないカシワとリリーは兎も角、ジェンとリィドはいつになく硬い表情である。
 リクロフロス。今までほとんど軍とは出会わなかったのだ。四界最大と言われる妖界軍が、ここに終結しているということは、容易に考えられる。ライアルは、アイテールの翼の隙間から、ずらりと並ぶ家々を見た。何も起こらないとは到底思えない。
「ふふっ、後は名策士殿にお任せするわ」
「何かあった時には考えるが、流石に降りてすぐに軍に追っかけられた時とかはどうしようもないからな」
 ライアルがにやりと笑ってそう言うと、アンは不気味な笑みを零し、ふらりと立ち上がってライアルから離れていった。ライアルは空を見た。空は重い灰色である。

 アイテールが降下していく。だんだんと町が近づいてくる。まだ夜明けの町に、人影はない。静かな町の屋根近くまで、アイテールが下りたところで、ライアルたちは屋根に飛び移った。
「アイテール、感謝してる。ありがとう」
 ライアルたちが見つからないように、と気遣ってか、アイテールは返事をしなかった。しかし、灰色の大空で大きく一回弧を描いた後、飛び去った。
「リィド、カシワが降りれるように、氷の階段を作ってくれ」
 ライアルはリィドに耳打ちする。リィドは深い溜息を吐いた。
「本当に人使いが荒いね」
 そう言いながら、リィドは氷の階段を構築する。その間に、猿の如く屋根から飛び降りるのは、ライアルとリリー、そして、すたりと飛び降りるのはアンである。不良行為と言う名の日頃の行いが、実を結んだのだ。
 カシワに階段を降りさせてから、リィドが降りる。ジェンは二人が降りたのを確認してから、飛び降りた。
 全員降りたのを確認してから、ライアルはふと後ろを振り返った。ライアルは額に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。ライアルたちから十数メートル離れたところにいずらりと並ぶのは、魔物と人間である。
「ふふっ、熱烈な大歓迎だわ」
 アンがそう言って、漸く事態に気がついたほかの仲間たち。ギロリと睨みつけてくる人間と魔物は、妖界軍以外考えられない。カシワが何かを叫んだ時、魔物と人間は一気に襲い掛かってきた。
 全員が条件反射的に走り出す。
「とりあえず、逃げろ。逸れるなよ」
 ライアルはそう言いながら走る。妖界軍は、それ程足は速くない。有名な話である。カシワも何とか着いてくれるだろう。ライアルは、カシワの隣に並ぶ。
「ふふっ、策士殿、何か良い策はないかしら」
 前から流れてくるアンの声。息が切れた様子もない。冗談が本当になったとは、こういうことを言うのだろう、とライアルは思い、そして考える。しかし、走りながら考えたところで、落ち着いても考え出せなかったことが考え出せるはずがない。
「おい、お前ら、とりあえず走れ。逸れるな。落ち着け」
「策も何もないわね」
「こればかりは、どうしようもないだろ」
 リリーの冷やかな声が流れてくる。アンと同じく、息が切れた様子はない。ライアルも、まだまだ余裕だった。
 カシワが、息絶え絶えに、何故息が切れないのか、と尋ねる。
「普段走ってるからな。学校中を」
「最近、益々先生が走る速さも速くなった気がするわ」
 ライアルはさらりと答えると、リリーの声もすぐに流れてきた。授業を真面目に受けない、薬品を食べ物に混ぜる、学校を改造する、備品を破壊するなどの、数々の不良行為には、罰が付き物である。捕まったら終わりだ。どれだけ速く走れるかが、全ての分け目なのだ。その所為か、元々運動神経の良いライアルとリリーは、長距離を走るのは、大の得意である。
「誰の所為ですか?」
 後ろから聞こえるジェンの声も、息が切れた様子はない。
「ふふっ、見えてきたわ」
 見えてきたのは、巨大な石造りの門。漆黒の門は、道の向こうにずっしりと鎮座している。家の間を駆け抜けるライアルたちは、屋根の間から少しずつ現れる巨大な漆黒の塔を見た。
 気付けばもう門は目の前。隣のカシワは顔を真っ赤にしている。
「リリー、力の限り水流を起こしてくれ」
 ライアルは、リリーにそう呼びかけた。リリーはすぐに何をするのかを尋ねる。
「門を越える」
「無茶ですよ。あの高さを水流で越えるなど……」
 ジェンがすぐに咎める。しかし、ライアルには譲る気はなかった。ここで戦うよりは、たとえ運次第だったとしても、遥かに良い選択だろう、とライアルは考えていた。
 リリーか一人前に出る。リリーが立ち止まり、ライアルたちが追いつく僅かの間に、空気が収束する。ジェンが魔法で補助を加えたのだ。ジェンはどうしようもないと悟った時は、素直に協力してくれることをライアルは知っている。
 ライアルは、息を吸え、と怒鳴った。激しい水音と共に、濁流が押し寄せる。ライアルはカシワの手首を掴んだ。滝のような水の中に呑まれる。気泡で真っ白の世界。強い力は、体を一気に上に押し上げ、前へ前へと運ぶ。
 一瞬ライアルの視界に漆黒が見えた。門である。しかし、水は勢いを失いかけている。ライアルはカシワの手首を掴んでいない方の手を、思いっきり伸ばし、硬い門にかけて、そのまま体をすぐに持ち上げる。水中とはいえ、二人分の体を一本の手で持ち上げるのは、困難である。息が苦しい。ライアルの頭がどんどんと重くなっていく。ライアルはカシワを抱え込むようにして、体を持ち上げそのまま倒れこむようにして門のに中へ入った。
 ライアルの足は、硬い何かについた。ライアルはカシワを引き寄せ、足に力を入れ、顔を上げた。城壁の中である。水面は、背伸びをして顔が漸く出るぐらいだ。ライアルはカシワを抱き上げ、顔を出させた。
「カシワ、生きてるか? とりあえず、口の中の水を吐け」
 カシワの顔は青白く、目は半開である。僅かに嗚咽をしているため、生きているのは確実だ。ライアルは背中を叩いた。意識があれば、確実に何とかなる。
 ライアルは周囲を見た。既に静かな水面には誰も見えない。ライアルの頭に、嫌な考えが過ぎった。水が気持ち悪いほどひんやりとしている。
「スザク、頼む」
 にょろりと服の隙間から、黒い影が伸びていく。スザクは、少し呼吸をしないぐらいでは、全然平気なのだ。
 ライアルはカシワを見た。カシワの虚ろだった目は、先程よりは生気を取り戻してきている。そして、ライアルは暗い灰色の水面を見た。中は全く見えない。静まり返った水は冷たい。
 しかし、その静寂はいきなり破られた。
「どうしてくれるのよ、死ぬかと思ったじゃない」
 勢い良く飛び出したのは、リリーの頭である。すぐにどんどんと水飛沫が上がる。
「心配したぞ」
 ライアルは肩の力が抜けた気がした。水は生ぬるい。
「ふふっ、リィドは本当に死にかけてるわね」
 アンは髪が濡れてはいるものの、余裕といった表情だが、ジェンに支えられているフードの少年は、顔色は窺えないものの、水の中で立っているのが精一杯のようだった。
「こんなことになったことがないから、当たり前だよ」
 ぼそりと呟かれた言葉に、生気はない。
「向こうまで流されてたんですよ。戻ってくる途中で、リィドが沈んで、皆で引き上げていたんです」
『すごく沈んでたよ。リリーお姉ちゃん頑張ってた』
 にょろりと黒い頭が顔を出す。ライアルはスザクを持ち上げ、首に巻きつけ、礼を言った。
「それにしても、僕たちは運だけは良いですね」
「運が良いに越したことはないだろ」
 呆れたように笑うジェンに、ライアルはにやりと笑って見せた。
 正面に聳える漆黒の塔は限りなく高い。

BACK TOP NEXT