将軍を封じるのは不可能である。しかし、隙を突くことさえできなかった。ライアルは将軍のナイフを受けるのに精一杯だったし、ジェンによって増幅されたフレアの魔法さえもが相殺された。
『ライちゃん、どうする?』
そう尋ねてきたスザクに、ライアルは、まだだ、と短く答える。
襲い掛かってきた刃をふらりと交わし、気配無く近づき、下から潜るように突く。とうの昔に、忘れたはずの感覚だ。
「迅雷は轟く」
冷たい金属音が響き渡る。レードとぶつかったナイフではなく、余裕の笑みを浮かべる将軍の方を、ライアルは忌々しげに見た。
「魔界治安維持精鋭部隊守手。数年前に突然か姿を消した迅雷という守手」
ライアル、動いたナイフを止め、将軍から一歩離れて体制を整えた。
「性格悪いな」
ライアルは、苦々しげに、吐き捨てるように言った。否定する気は無い。何れ分かってしまうことだとは思っていた。リィドのことがあってからは、特にそうだった。トウキは、ライアルの母親に少なからず恩があるため、暴露することはないと分かっていたが、その事実を知るものをライアル自身が完璧に把握しているとは思えなかった。
後ろが気になるが、振り返っている暇はない。ナイフを必死に止める。ひやりとするようなナイフの動きに、ライアルは苛立った。
「剣が乱れてる」
風に流れて聞こえてきたような、静かな声。それは妙に落ち着いていて、溜息や苦笑と似合うような声だ。
冷たく張り詰めた空気の中で、ライアルは大きく息を吸った。
「気付いていたのか?」
「それを訊くために、態々来たんだよ」
最初はね、と付け加えられる言葉に、ライアルは黙り込む。気になるのはもう一人なのだ。しかし、フレアが何かを言ったのか、数回ナイフを止めたぐらいのところで、声は流れてきた。
「聞いて欲しいですか」
ライアルの中で、沸沸と何かが沸き起こった。それは、怒りとはかけ離れたものだった。しかし、酷く重かった。
ライアルは、ジェンの言葉に答えなかった。その代わり、素早いナイフを止め、足元に電流を走らせながら、将軍と間合いを取った。
「私は、人の命を犠牲にして生きてきた。今さら、後戻りはできない」
今まで殺してきた者は、夥しい数だ。治安維持と言う名目で、殺した者たち。常にライアルには選択権があった。フレアとの約束もライアルが取り付けたものだし、守手になることを決めたのもライアルだ。
将軍にライアルは勝つことができない。しかし、迅雷ならば違う。初めから殺す気でかかれば、勝てる。
ライアルはゆっくりと息を吐くと、素早く将軍に近いた。不意を突かれた将軍の左胸だけを見て、刃を突き刺す。レードが、ぐにゃりと柔らかいものに食い込んだ。体を捻った将軍の左肩だ。痛みに呻き声をあげる将軍を蹴って、レードを乱暴に抜く。レードに滴る生暖かい赤は、ライアルの手も濡らしていた。
「通せ、王に会いたい」
肩の傷口を抑える男の喉下に、ライアルは血塗れのレードを突きつけた。低く無機質な声は、静まり返った部屋で異様に響いた。
「どうぞご自由に。ですが、随分と正義の味方らしくない立ち振る舞いで」
漆黒に広がる赤の絨毯の中心にいた将軍は、嫌らしい笑みを浮かべた。
「正義の味方ではないから当たり前だろう。私は通して欲しいから通せと言っているんだ」
ライアルはそのままの声でそう言った。
ライアルは自分が正しいとは欠片も思っていない。人を殺したという時点で、ライアルはどんな言い訳も通用しない罪を犯している。ライアルは将軍や妖界王個人を責める権利はない。
しかし、自分の目的を阻止する者には武力を厭わない。それは間違った道だろう。しかし、ライアルはいつだって精一杯道を選んでいる。
「正義の味方は、姉さんに求めておけ」
燻る不快感をそのままに、ライアルはそう言い放った。いつも正しい道を選び取る姉。どれだけライアルがその力を欲していたかは、ライアル自身にも分からない。
ジェンもフレアも何も言わなかった。ただ、スザクだけが、心配そうにライアルの名を呼んでいた。