玉座に座る男は、余裕の微笑を浮かべていた。赤味の差した長い髪は、低い位置でゆったりと結われている。浅黒い肌に整った顔立ち。漆黒のマントに銀の鎖。全てがその男に相応しいものだった。
「まぁ、話を聞かずに腕捲りをするのはやめたまえ」
男、妖界王は玉座へ続く絨毯の上に立つ、二人の少女に言った。
「当たり前よ。どれだけ四界大戦を起こしていると思ってるの」
リリーが叫ぶ。ぐわん、と甲高い声が玉座の間に響き渡る。妖界王は、口元をゆっくりと緩めた。
「私はこの玉座を長い間守り続けてきた。勝てないのは分かっているだろう」
それに、と妖界王は間髪入れずに続ける。
「どの四界大戦でも、先に仕掛けてくるのは天界だよ」
「そんなことは絶対ないわ」
リリーは声を荒らげている。しかし、妖界王は、相変わらず余裕の笑みを浮かべ、数段高くなった玉座から、カシワたちを見下ろしていた。カシワはどうして良いのか分からないが、とりあえず並々ならぬ状況ではあることは分かっていたため、リリーに助けを求めるような目で見ていた。
「認識を改めるべきだろう。私は、妖界内での自由を、妖界の外へ広げる気はない。私は妖界の自由が守られていれば満足だ」
妖界王の口調は酷く穏やかだった。リリーは、再び何かを叫んでいる。
妖界についての先入観のないカシワにとって、ここまで怒るリリーが不思議に思えて仕方がなかった。確かに、妖界王は敵だ。だが、カシワの妖界のイメージはアンである。
大国同士の戦争に、どちらが悪いかを容易に言い切れないことをカシワは知っている。妖界と天界の戦争も似ているのではないか、とカシワは冷静に考えていた。
「妖界王の、一番重要で、一番難しい仕事は何だと思うかね」
ヒステリックに叫び続けるリリーに、妖界王は尋ねた。知らないわ、リリーは切り捨てた。妖界王はカシワの顔を見た。
敵に意見を求められている。妖界王を、悪い人間に思えなかったが、カシワは混乱した。よくよく考えてみれば、妖界王は、大国の大統領よりも権力のある人間なのだ。そんな人に、意見を求められている。
「独りで、戦い続けることではないでしょうか」
カシワがそう言うと、妖界王は笑みを深めた。
「近いね。君の私に対する認識は、誉めるべきものがあるだろう。よく、私を神気取りだと言う者がいてね」
そう言った妖界王の目は、ぎらりと光った。カシワは、誉められて素直に喜んでよいのか迷っていたところで、それを見てしまったこともあり、びくりと体を震わせた。
「そういえば、正解がまだだったね。正解は、誰よりも強い存在となることだよ」
そんなカシワ、当然何かを叫び続けるリリーを他所に、妖界王はさらりと言う。
「妖界では、強き者に服従する。統べる者が、強くなければ、妖界は混乱してしまうだろう」
「既に混乱しているじゃない」
その言葉に、妖界王は笑みを深め、リリーに言った。
「これが妖界の秩序だよ」
ふざけてる、とリリーは吐き捨てるように言った。カシワは黙ってぼんやりと妖界王を見ていた。
「それでは、君は、法によって定められた社会で、全ての者が生きることができると思うのかね」
その言葉は重かった。リリーは黙り込む。カシワはリリーと妖界王をこうごに見た。キッと堅く口を結んだリリーと、相変わらず笑みを浮かべている妖界王。
「君たちは魔法原理学と言う学問を学校で習っているかな」
妖界王は尋ねた。カシワは、はい、と返事をして、リリーは暫くしてから小さく頷いた。それを確認してから、妖界王は再び口を開いた。
「魔法原理学の創始者、アズサはこの城で暮らしたことがある」
アズサ。カシワは魔法原理学の本を思い出した。作者など見たことがない。
「君たちぐらいの年か、それよりもずっと若かった。非力な少女だったよ。身体能力は際立って低く、さらに魔法も一切使えない」
妖界王は二人の表情を確認するように見た。カシワはリリーを見た。何かを一生懸命考えているようだった。妖界王は一息ついてから続けた。
「しかし、彼女は生き延びた。この城で、生活をしていけたんだよ」
「何故ですか」
カシワは何か相槌を打ったほうがよいと思ったのと、疑問に思ったので妖界王に尋ねてみた。静寂の中、声を発するのは、緊張することだったが、カシワはそれだけその理由が気になったのだ。
「知恵と勇気だよ」
妖界王は笑みを深めた。
カシワは思った。妖界で言う力は、生き延びるための力ならば何でも良いのだ。それが知恵だとしても。カシワの頭の中に、少女が映った。自分とそれほど変わらない年の少女。
「妖界で通用するのは、力であり、それは勇気と努力によって支えられている。進むべき道は厳しい。誰もが選べる道ではないが、選ぶ者はいるのだよ」
それは選ばなければ生きていけない者も指すのだろう、とカシワは思った。妖界に心酔するわけではないが、妖界は必要だろう。カシワは頷いた。
「アズサは険しい道を選んだよ。彼女は選んだ道を後悔しないだろう。彼女には妖界と共に、生きる覚悟がある」
リリーが顔を上げた。
「じゃあ、アンとサリーのことは?」
リリーの声は恐ろしいほど冷静だった。カシワは驚いて、リリーを見る。サリーが誰かがカシワには分からなかったが、アンの姉妹だろうことは見当がついた。
「王と名乗っている以上、年長者に王位を譲らなければ、天界が黙っていない」
何故かは分かるかな、と妖界王は微笑んだ。カシワは首を振る。
「人を遠ざけ、何かに深く関わろうとしないサリーと、その反対の性質を持つアン、どちらが妖界を統べる者に相応しいと思うかね」
その問いは既に答えの出ている問いだった。カシワは、アンですよね、と答える。妖界王は、リリーの答えを待つことなく、話を進めた。
「天界は、サリーに王になって欲しいんだよ。そちらの方が、随分と都合が良いからね」
そこで二つの選択肢が生まれる、と妖界王は言った。
「アンにサリーを殺させるか、妖界からサリーを遠ざけるか」
カシワの中で、漸く話が繋がった。妖界王は、サリーを妖界から遠ざけるために、命を狙うような真似をしたのだろう。リリーはそれについて怒っている。
「それで、サリーが死んだらどうするのよ」
リリーは鋭く聞き返した。妖界王は、ほう、と僅かに感嘆の声を上げた。
「サリーはその程度では死なないよ。妖界の姫だ」
その言葉には、僅かな迫力があった。リリーが驚いたように妖界王を見ている。妖界王は、サリーを信頼しているのだ。カシワは、それほど驚くことか、と思いながら、リリーを見た。
妖界王は、ゆっくりと息を吐いた。
「それにしても、こんなことになるとは、四楼キナの思い通りに物事は進んでいないということか」
ぐにゃり、と妖界王の口元は歪む。
「これは面白いことになったね」
強者の光の宿った目。歪んだ口元。それらは、恐ろしく優美であった。
そして、何かが砕け散るような音と共に、背後の扉が開いた。