Unnatural Worlds
第二部 龍の炎
第四章 澄み渡る星空
繋がる過去と散らばる仲間




 ガタリ、とライアルは勢い良く扉を開けた。目の前には安心しきったような顔をしたリリーと、呆然としているカシワがいた。怪我はなさそうだったことに、ライアルは安心した。そして、目の前には妖界王。よく耐えた、とライアルは思った。
「来たね。迅雷、斬氷、ランゴク。そして、アズサかな」
 妖界王は、余裕の笑みを浮かべ、三人を見渡した。ライアルの背中に冷たい汗が流れた。しかし、リリーは、ライアルなど見てはいなかった。
「陛下、お久しぶりです」
 控えめに後ろの方に立っていたアズサは、丁寧に礼をする。
「丁度、君のことを話に出したところだ」
 アズサはアンの騎士であるため、間接的だが、妖界王に雇われた人間だ。それが指し示すこと、それは、妖界王の許可である。アズサは微笑むと、リリーとカシワの方を向いた。
「初めまして。リリーさんとカシワさんですね。私はアズサ。アンさんの騎士であり、魂精霊でもあります。称号は東の冷たき魔法使い。アンさんの命令もありますので、今回は魔法学校側の人間です」
 さらさらとアズサは言った。リリーとカシワは、アズサが何者かを理解したわけではなさそうだったが、とりあえずアン関係の者で敵ではないということは分かったらしい。
 ライアルは妖界王に向き直った。すると、妖界王は口元を歪める。
「分かっていると思うが、妖界王に物申す時は……」
「認めさせれば良いのだろう」
 ライアルは、間髪入れずに続け、仲間の顔を見た。唇を堅く結ぶジェン、薄らと不敵な笑みを浮かべるフレア、漸くその場の空気に気付き、それぞれ武器を構えるリリーとカシワ。アンはいない。勝てる見込みはない。しかし、アンを待つわけにはいかない。妖界王が暇にならないように、場が繋げられるとは思えない。
 空気が収束し、紫電が走った。轟音が唸り、巨大な氷が現れる。しかし、それはほんの一瞬だった。輝く氷に、影が差したと思えば、ライアルは強く何かに押される。突然のことで前のめりになって倒れ、すぐに顔を上げる。
 先程の魔法は全て収束していた。ただ、ライアルが立っていた場所のすぐ奥に、三日月型の黒い痕が残っている。そして、隣には安堵したような表情のジェンが立っている。もも、あのまま立っていたら、三日月型の痕まで残すような強力な闇魔法を、真正面から受けていたことになる。ライアルはひやりと冷たい汗が流れるのを感じた。あの威力の闇魔法を受けていたら、跡形もなく消え失せていただろう。そのような魔法を、妖界王は瞬時に使い、精密なコントロールで以って、ライアルたちの魔法を消しながら、攻撃を仕掛けてきたのだ。
 妖界王の放った魔法を受けようとしていた自分を、ジェンが助けてくれたのだ、とライアルは悟った。ライアルはジェンに礼を言い、立ち上がって妖界王に向き合う。妖界王は、相変わらずの笑みでライアルたち見ていた。勝てる見込みは皆無だ。アンがいれば、違ってきただろう。しかし、アンはいない。
 しかし、ライアルがそんなことを考えていられるのは、そこまでだった。
「しかし、両親を殺した人間を助けるとはね。知らなかったのかな」
 妖界王の言葉で、ライアルは頭の中が真っ白になった。正しいことを否定はできない。ジェンの両親を殺したのは、ライアルだ。他の何者でもない。
 ライアルは視線を感じながら、ゆっくりと息を吐いた。頭だけが割れそうに痛い。それは、フレアの魔法とは全く関係がない。
 ライアルは恐る恐るジェンを見た。ジェンは、ただ、真っ直ぐとライアルを見ていた。知っていたのか、と大きくもない声でライアルは尋ねる。
「夢にも思わなかった、と言えば、それは嘘になるでしょう」
 それは、決していつもの優しい声ではなかった。そうかと言って、怒りを含んだ声でもなかった。ただ、ひんやりと冷たい声だった。異様に静かな空間に、ジェンの声だけが響く。
「貴方が僕の両親を殺した時、貴方は十歳ぐらいだったでしょう。ですが、僕は十五だったんですよ」
 気付かないはずがないじゃないですか、とジェンは微笑む。しかし、その笑みには、影が差していた。
「初めて貴方と会った時、私だけを避けていましたね」
 ライアルは頷いた。ライアルはキナに連れられ、キナの一番弟子である、ジェンに会った。ライアルがジェンの両親を殺したことを知っていたのに関わらず、一番に会わせることもなかったのに、とよく思ったものだ。
 僅かな沈黙の後、リリーが口を開いた。
「ライアル、あんたは……」
 リリーは、がくりと力なく膝を折って、座り込んだ。顔を覆ったままで漏れてきた声は、涙声だった。
 魔法学校でも、リリーとライアルは特に仲が良かった。いつも食堂では近くに座ったし、教室の席も隣だった。リリーに連れられて買い物に出かけたことも、ライアルが魔界で、風景の綺麗なところを案内したこともある。リリーとライアルは、自他ともに認める親友だ。
「だから、魔界とか妖界は嫌いなのよ」
 だからこそ、その言葉は、ライアルの心を離すには十分すぎるものだった。ライアルは目を細め、何も言わずにジェンの方に向き直った。
「ライアル、一つ訊いて良いでしょうか」
 ジェンは先程と変わらない声で尋ねた。
「何故、僕の両親を殺したのですか?」
「話せば長くなる。端的に言うと、ジェンの両親が私の両親を殺した」
 ライアルは間髪入れずに言った。ライアルは答えを用意していた。それを言うのには、僅かな抵抗があったが、言葉を濁すわけにもいかない。今のライアルには、ジェンの気持ちを考える余裕はなかった。
 そして、ジェンはやはり僅かに動揺の色を見せた。しかし、それほど間を空けることなく尋ねる。
「要するに、復讐ということでしょうか?」
 ライアルは黙り込んだ。ライアルは幼い時、顔を知らない両親を殺した人間なんてどうでも良かった。両親がいる、ということは、魔界でも大部分だったが、ライアルはそれを知らなかった。そして、ライアルは両親がいなくても幸せだった。両親に会いたい、と思わなかったわけではない。しかし、ライアルの両親への思いは、それほど強くはなかった。
「最初はその気がなかった。顔さえも覚えていない両親のために、誰かを殺すなど考えもしなかった」
 ただ、と言って、ライアルは続ける。
「止めてくれる人はいなかった。だからこそ、これは私の責任だ」
 ライアルには、両親がいない。ライアルを見守る人はいた。しかし、ライアルには、叱ってくれたり、咎めてくれたりする者はいなかった。
「私はリリーのように真っ直ぐと生きられないし、姉さんのように賢く生きられない。私のすべきことは一つだ」
 ライアルはゆっくりと息を吐いた後、声を張り上げて言った。
「皆、ここから逃げてくれ。私一人だったら、いくらでも魔力を暴走させられる」
 ライアルは知っている。飛びぬけた魔力を持っていることを。その力は強い。しかし、コントロールは利かない。ただ、そこに仲間がいなければ、ライアルはいくらでも魔力を暴走できる。ただ、暴走後、体が魔力に耐えられず、疲労するため、殺される可能性は極めて高い。しかし、殺されない可能性もある。ライアルはその僅かな可能性に賭けてみようと思った。
「待ちなさい。あんたはね、変わろうって努力はしないの?」
 リリーがいきなり顔を上げた。泣き腫らしたのか、目は赤い。
「ここまで来たんだ。変われるはずがないだろう」
 ライアルに与えられたのは、力だ。ライアルの存在意義も、キナがいるとなれば、それは力である。ライアルにとって、その魔力と戦闘能力だけが、キナに勝てる唯一のものである。
「だからってすぐに諦めるの? そうね、あなたは魔界人だったわね」
 リリーは吐き捨てるように言った。ライアルは自分の中で何かが変わるのを感じた。
「魔界が何だって言うんだ。統一されていないからって、野蛮な世界だと言うのか? 魔界の遥かなる大地の道具を使っておいて、それでも魔界人を侮蔑するのか? 魔界はな、天界と妖界の狭間で、血を流し続けたんだ。どの四界大戦だって、戦場は魔界だった」
 ライアルは酷く無機質な声で言った。
 いつだって、政府が強い地域は、政府が弱い地域を野蛮だと決め付ける。魔界は戦乱が多い。それは、悪いことだと分かっている。ただ、何故魔界に戦乱が多いのか。元を辿れば、いつだって妖界と天界の干渉だ。
 四界大戦の度に魔界は焼かれ、復興し、そして再び四界大戦で焼かれる。天界と妖界の戦死者よりも、魔界人の死者の方が多いのは、有名な話だ。
 ライアルとリリーは睨みあっていた。
「お前ら、黙れ。そんなのは後で良いだろ。俺はおまえらの事情がよく分からんが、リリー、お前は魔界、妖界、と言いすぎだ。そして、ライアル、お前は悲劇のヒーローではないだろう。ジェン、いっぱいいっぱいなのは分かるが、お前教師だろ。それと、リィド、事情分かってるんだったら……」
 カシワが、離れていく仲間を結びつけようとして言ったということは、ライアルにも分かった。しかし、それはあまりにも、不安定な仲間には過激な言葉だった。
「あんたには分からないでしょ」
 実際に声を出したのはリリーだけだった。しかし、名前が挙がったほとんど全員が、カシワに何らかの感情を抱いたのは間違いない。
 カシワは何も知らない。未だに四界間には、強い確執がある。そして、四界大戦から六十年以上経った今もなお、それは影を落としている。ライアルは、いつだってこういう話題を避けてきた。それを理解していたからだ。しかし、ライアルに、天界や妖界に否があると強く思う気持ちは、変わらない。
 カシワは睨まれ、行き場のなさげに目を泳がせた。
 妖界王は微笑んでいるだけだった。しかし、誰も気がつかなかった。彼らの背後に、ナイフを光らせた金髪の男が立っていることに。
「ライアルさん、危ないっ」
 アズサの悲痛な声が響いた時には、もう全てが手遅れだった。素早く走ってきた将軍によって、ライアルの肩に勢い良くナイフが突き刺さった。じわり、と絨毯に血が広がる。
 ライアルは苦痛に顔を歪めたが、声は出さない。漏れそうになった声を押し込める。
「究極の罪人、此処に在り、ということでしょうか」
 倒れこんだライアルを、薄らと笑みを浮かべて見ているのは、ダイ・カース将軍だ。左肩の傷は、既に塞がっているようだった。
 ライアルは将軍の顔を見た。靄がかかったかのような視界に、将軍の笑みが映る。それを見たライアルは、沸々と感情が沸き上がってくるのを感じた。
「お前だけには言われたくない」
 ライアルは絞り出すかのように声を出した。
「フレアを、裏切ったお前には……」
 吐き捨てられた言葉に、将軍は反応した。再び振り下ろされた銀に、ライアルは成す術もなかった。

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