暗闇の小さな世界。頭上には漆黒のベールが揺れている。ライアルとジェンにはアズサがついている。アズサの機知と、ライアルの戦闘能力、ジェンの知識があれば、乗り切れるだろう、とアンは考えた。
「流転する声なき者よ、真の闇となり、虚空の彼方にその力を轟さん、出でよ、セイレーン」
金色のリングを地面に叩きつける。金色のリングは地面に落ちる前に消えた。それと同時に現れたのは、金髪の青年。特徴的なのは、緑色の肌。
「久しぶり。アルテミア・セイレーン」
アンはいつもの笑みを浮かべず、無表情で言った。魂精霊の青年、アルテミアは敬意を示すかのように会釈をしたが、口を開くことはない。
「二人分入る余裕があって良かった」
さらりとアンがそう言っても、アルテミアは何も言わない。ただ、上を見るだけである。
「私はハーフゴースト。出られない原因はあの闇の封印」
アンはアルテミアが何も言わずとも、話を進めていく。
「かなりの力をかけているみたい」
アンがそう言うと、アルテミアは、目を見開いてアンを見た。そして、はっと何かに気がついたように、アンの左腕を見る。
「アズサは大丈夫。運と要領は良い。ライアルとジェンと一緒だし、何より、無茶はしない」
アズサは戦えない。そして、無理に戦おうともしない。だからこそ、アンはアズサを信頼している。貴重な精霊石を使ってまでも、魂精霊にするほど、アンはアズサに固執した。
アルテミアは、再び上に目を向けていた。アンは口を開く。
「水鏡を上手く利用すれば可能。鏡の花を作る。広範囲の魔法を、反射によって一点に集中させて、封印に穴を開ける。急がないと、フレアが将軍に殺される。あの子たちに死なれると、ライアルたちが困るでしょう。ライアルも死ぬかもしれないわ」
アルテミアは、目を細めた。水鏡は高度な水魔法だ。それで、鏡の花を作るなどということは、優秀な魔法使いでも難しい。
しかし、アルテミア・セイレーンは、アンの魂精霊である。戦えないアズサを一人で行かせてまでして、アルテミアを手元に残したのだ。アンは、アルテミアにとって、それが不可能ではないことを知っていた。
「いつでも始めて良い」
アンがそう言うと、アルテミアは頷いた。
薄い水鏡が一枚現れた。アンは指を差して、場所を指定する。アルテミアは、水鏡を動かす。そして、アンは、それの微調整を指示する。
そんな動作が、何度も何度も続いた。そして、壁が煌く水盤で全て覆われた時、アンは大きく息を吸った。全ての水鏡を通るようにしなければいけない。もし、計算を誤れば、自分の魔法が直撃することになるだろう。
アンは闇を静かに見つめた。闇と光は一体だ。アンは自分の魔力によって、直接光を生み出すことはできないが、周囲の闇を使って光を生み出すことはできる。
強い光が、水鏡を直撃する。その瞬間、光の線が穴の中を駆け巡り、大きな破壊音がした。成功だ。アンは飛び上がり、アルテミアも次いで、穴から飛び出す。
穴の外の世界は、薄暗い。そして、どよめき声がした。人間兵士に囲まれているのである。
「サクに受けた呪いがあるから、殺さないように」
アンは静かに、アルテミアに向かって言った。アルテミアは頷き、襲い掛かってくる人間を水流で押し戻した。アンも、それに加勢しながら、言葉を続ける。
「皮肉ね、サク。あなたのかけた呪いの所為で、あなたの子どもが死ぬかもしれないなんて」
アンは、ライアルを守ろうとする意志がある。サクが、アンにライアルを託したのだ。しかし、そのサクの呪いの所為で、アンは足止めを喰らっている。
「ふふっ、夜の君主に最も愛された男の呪いが、ここまで効くとは……」
夜の君主は、愛した男を認めなかった。その理由はここにある。
次々と押し出されていく、兵士たち。しかし、埒があかない。そんな中、溺れない限界量を調節していたアンは、ふと体の中の何かが切れた感覚がした。
ぐらりと何かが動き、全身が解き放たれたような開放感に包まれる。アンは大きく息を吸った。信じられなかったのだ。
空気が収束する。アルテミアが、びくりと肩を震わせた瞬間、アンはいつになく鋭い声で、アルテミアの名を呼んだ。
「アルテミア・セイレーン」
アルテミアが振り返った時には、大きな闇の渦が辺りを包んでいた。アンはそのままの声で続ける。
「今すぐ魔法学校に戻って、四楼の様子を見て来なさい」
目を細めるアルテミアに、アンは僅かに声を低くして言った。酷く静かだった。しかし、収束した空気は破裂する。
「呪いが解けた。最悪、四楼が死んでいる」
アンとサクを繋いでいた存在が生きていたとすれば、強力な呪いが解けるはずがない。静まり返った闇の果てから、アルテミアは姿を消した。
アンはそれを確認してから、全てが消滅した廊下を音無く走り出した。