ライアルの言葉に一番最初に反応したのは、カシワだった。
「お前、この中で、誰が死ねるか言ってみろよ」
にやりと笑いながら、ゴツンと頭を肘で突く。
「そうだな、お前らが死ぬはずないよな」
そう言いながら、ライアルは妖界王に歩み寄った。ふらりと厚手のマントが揺れる。
「何故、魔法学校に兵を送った。天界との協定では、妖界と天界の世界不干渉が定められているはずだ」
その声、その雰囲気に圧倒されたのは、ライアルの一番近くにいたカシワだけではなかった。それだけ、ライアルの雰囲気は普段と違った。
「天界が数年前から軍備を増強している」
妖界王はにやりと口元を歪めた。
「天界はそんなこと……」
「リリー」
口を挟んだリリーの名を、諭すように、諌めるように、ライアルが呼ぶ。それは、厳しい言い方ではなかった。そして、リリーが驚いたようにライアルを見たときには、既に、ライアルは、妖界王を見据えていた。
「もし、天界の準備が全て整った後に四界戦争が勃発すれば……何か言いたいのかは分かるかな」
妖界王の言葉に、ライアルが目を細めた。
「魔法学校は、世界で一番堅固だ。天界は、世界への軍派遣を見逃すことは無いだろう。立派な口実になる」
被害を最小限にして、天界に口実を与えることができる。そり筋の通った考え方を、ライアルは頭の中で瞬時に処理する。そして、ゆっくりと息を吐き、その草原色の目で、玉座の男を見上げる。
「それだけの理由ならば、もう撤退させても良いはずだ」
余裕の微笑を浮かべる一世界の王に、ライアルははっきりと言った。そして、間髪入れずに続ける。それは、妖界王の表情が僅かに変わるのと同時だった。
「それともう一つ。海の国で妖界軍が暴れ回っていたが、どういうことだ」
ライアルの目は、隙が無い目だった。口元には、僅かに笑みが広がっている。それは、決して勝ち誇ったような笑みではなかったが、むしろ、それだからこそ、強烈なものだった。
「もし、妖界の世界侵略を原因として、四界戦争が起こったとすれば、魔界は黙ってはいない」
ライアルは、そう言い放った。妖界の平和。それも必要だ。しかし、ライアルの頭にあるのは、魔界の平和だ。妖界の被害を最小限に留めるのではなく、魔界の被害を最小限に留めることである。ライアルは、それを意識していたわけではなかった。しかし、ライアルは魔界人だ。既に、ライアルには、魔法学校の代表として話している感覚は無かった。
「小国の領主だとしても、大国火の国の領主、クロウと繋がりがあれば、それは可能だということか」
今までに無い笑みを、妖界王は浮かべた。
首都を有する大国火の国。その領主クロウと、雷の国の領主ライアルに、親交があるということは有名だ。火の国と雷の国の同盟。それは、確固たる物だった。そうでなかったとしても、魔界一の領主クロウが、四界大戦を避けようとするライアルに、否定的な立場をとるとは考えにくい。
ライアルは、そこまで考えていたのである。
「四楼使節団は、魔法学校、魔界からの軍の撤退を要請する。そして、四界戦争勃発を防ぐため、話し合いの席を用意する。異論はないはずだ」
ライアルは、静かな草原色の目を、妖界王に当てた。
チェックメイト。ゲーム好きの妖界王は、小さくそう呟いた。妖界王の行動が、たまたま隙だらけだったとはいえ、それは完璧だった。
「全てを受け入れよう。舐めていたよ。四楼の弟、妖狼王レンの息子をね」
妖界王は笑う。
予想外だったのだ。今まで、四楼キナの武器としてしか見ていなかった小さな少年は、姉とは全く違う戦い方をする。まず、考え方が根本的に違う。四楼キナの影響を全く受けていないわけではないだろう。しかし、四楼の手に負えなくなる存在になりつつあることは、確実だ。
「しかし、約束しろ。四界戦争を起こさない、と」
「勿論だ」
妖界王の言い方も、随分と迫力があった。しかし、ライアルは即答して、にやりと笑った。その姿に、妖界王はさらに笑みを深めた。
「そうだ。お前に、良い物を与えよう」
目を細めるライアルに、妖界王は言う。
「自分だけのためだけに偽らないのならば、偽り続けることは、お前にとって、決して悪いことではない。偽り続けろ。お前の母が、お前に残した数少ないものの一つだ」
「ふふっ、届けたのは、私よ」
間髪入れずに、アンが言った。
「そういうことだったのか」
納得したように手を打ったライアルに、反応したのは周囲の人間だった。
「どういうことよ」
リリーは、軽そうなライアルの様子を見て、詰め寄ろうとする。しかし、その前にフレアが口を開いた。
「三年ぐらい一緒にいれば気付くと思うよ。君ほどの馬鹿ではなければ」
「要するに、私がどうしようもない馬鹿ってことじゃない」
リリーの矛先は、すぐにフレアに向く。リリーの反応の素直さは、ここまで来ると、笑いを通り越して呆れになる。フレアにしては、かなり分かりやすい誘導だったのだから、尚更だ。
妖界王は、その様子を見て笑った。
「上を向け。至高を目指せ。お前の思った方向へ突き進め。お前は、まだ操り人形にはなっていない。しかし、気をつけろ。もう、お前の真の敵はお前のすぐ近くまで迫っている」
ライアルは目を細めた。
「ライアル、どういうこと?」
単純だが、切りかえの早いリリーに対し、ライアルは首を傾げ、アンの方を見た。しかし、アンも分かっていないようだった。ライアルたちと違って、思い当たることはあるようだったが。
「アン、お前も気をつけろ。お前の存在が、お前が守りたい者を、縛ることになるだろう」
「私は縛られてはいないわ」
アンはきっぱりとそう言った。
「お前はまだ気付いていない。もう糸は張り巡らされている。あと一本、足りないだけだ。私はゆっくりと見物させていただこう」
アンは不快そうに目を細めた。仕切り直すかのように、すぐに妖界王が続けた。
「とりあえず、色々と話したいこともあるだろう。アンの部屋でゆっくり話せば良い」
妖界王が、不意打ちを食らわせるなどということは考えにくかった。
そのため、全員、アンの部屋に入ることになった。皆真っ直ぐと向かったが、白い髪の少年だけが、誰かを探すかのように、視線を走らせていた。