十一年前のある日、魔界に歴史的事件が起きた。実質、魔界政府を動かしていた民族、セイハイ族が滅びた。否、滅ぼされた。
誰一人として、犯人を探そうとはしなかった。皆、分かっていたのだ。時の防衛大臣、エルツァが守手を使って滅ぼした。セイハイが、その特別な力を使って、魔界政府を支配していたことに、反感を持つ者は少なくなかった。魔界防衛大臣は、数少ないセイハイではない官僚であり、強い正義感を持った人間であることは、広く知られていた。
それから、セイハイ族は、悪いことをすれば、必ず滅びる、という教えに使われるようになった。しかし、生きていたセイハイを知る者は、さらなる畏敬の念を抱くようになった。滅びた者が持っていた特別な力。それは、伝説のように、語られるようにもなっていた。
表向きは、それだけだった。しかし、実際はそれほど単純なものではなかった。幾つもの要素が、重なり合っていた。
まず、当時の守手の隊長は、セイハイの次期族長と、家庭を築き上げていた。次期族長としての、全ての権限を破棄していたセイハイの次期族長と、守手の隊長であった女は、火の国の片隅で、ひっそりと暮らしていた。
その二人が、ライアルの父、サクと、母、フヨウである。
当時の守手の隊長であったフヨウは、罪人(シン)の異名を持つ、強い守手だった。エルツァにとって、彼女は邪魔な存在だった。そこで、エルツァは、彼女を騙し、サクだけは助ける、と嘘を言い、彼女を牢へ入れた。否、嘘を言わせ、牢へ入れさせた。
エルツァに言われ、それに従ったのが、二人の若い守手だった。それが、ジェンの両親、ヒューとカリナである。
それだけならば、セイハイは滅び、フヨウが悲しむだけだったかもしれない。しかし、サクとフヨウの間には、二人の子どもがおり、さらに、長子キナを、広く魔法を学ばせるために、ヒューとカリナに預けていたのだ。
サクとフヨウ、ヒューとカリナは、仲が良く、お互いを信頼していた。しかし、ヒューとカリナは、フヨウを騙し、他のセイハイ諸共サクを殺した。そして、最終的に、フヨウまでもが死んでしまった。
残されたのは、二人の子どもだった。長子キナは、ヒューとカリナの元で学び続け、天才少女と評されるまでになった。
しかし、キナと十も離れているライアルは、その事件の時、サクと共に家にいた。
家には火が放たれ、サクは瀕死になっていた。ヒューは、幼いライアルに同情したのだろうか。それとも、愛弟子であるキナの弟だったからだろうか。ライアルの命を助け、代わりに育てよう、と言った。
しかし、サクは断った。ライアルを渡さなかった。セイハイの力を受け継いだキナと違い、龍の力を色濃く受け継いでいたライアルを、人間に渡すのは危険だと考えたのだ。
ヒューは去り、炎の中に残されたサクとライアルのところへやって来たのは、アンだった。サクとアンの関係は、フヨウの仲立ちのおかげで、それ程悪くは無かった。サクは、アンにライアルを頼んだのだ。
ライアルに、チャンスを与えて欲しい、と。
アンは、ライアルをある男に、ライアルを託した。その男が、妖狼王レン。魔法、武術、統率力など、要求される全てを完璧に揃え、妖界の狼の王に君臨した、若き妖狼。ただ、信頼していた仲間に裏切られ、陥れられ、途方に暮れ、死のうとしていた。そこに、アンが現れたのだ。
捨てる命ならば、ライアルに、その命を差し出せ、とアンは言った。レンは承諾した。妖狼は、人間の姿にもなれる。そこから、レンとライアルの旅が始まった。
アンとライアルは、互いに補い合うように話した。
「その旅の途中で、私は魔法や棒術、四界の歴史や、魔界の情勢、薬草の名前や、政治知識を学んだ。そして、四歳ぐらいの時に、レンはリィド、本名はフレアである少年を拾った」
ライアルはそう言った。最後の方は、心なしか、声が明るかった。
「だから、船で色々やっていたわけだな」
カシワが、フレアを見て、納得、と手を打つ。
「気付かなかったの?」
「気付いたけど、記憶を消された」
ライアルはそう言って、涼しい顔をしているフレアを睨みつけた。
「レンは、一人手の掛かる子どもがいるのだから、二人でも大して変わらないだろう、と思っていた。でも、事実は違った」
ライアルは、大袈裟に溜息を吐いた。
「大人一人に子ども二人だ。妬くし、喧嘩するし、騒ぐし、物は破壊する。意外と大変だったわけだ」
「あら、妬くことあるの?」
空色の瞳を輝かせたリリーが、すぐに食いつく。
「主にライアルが、だけど」
さらりとリィドが言ったが、皆が反応をするより前に、ライアルが言った。
「お前もクロウさんについては、凄かったよな」
「ライアルの泣き虫に比べたら、大したことは無い」
ライアルが泣き虫だったかどうかは置いておいて、ライアルたちは妬くことについて話していたのである。分かりやすい話の逸らし方に気付かないほど、皆鈍くは無い。
子どもの頃の話だ、とぶつぶつ言っているライアルを軽くあしらって、リリーはフレアに尋ねる。
「クロウさんってどんな人なの?」
しかし、フレアは、さあね、などと曖昧に返す。そこで、ライアルがすかさず口を開いた。
「若くて美人で強い。ヴァンパイアクイーンのお姉さん。火の国の領主をやっている」
その言葉に、ニヤニヤと笑いながらフレアを見たのは、リリーだけではない。因みに、フレアは笑みを浮かべていたが、魔法発動寸前といったところだ。
「途中から旅の仲間に加わったんだ。他にも、スザクに会った」
ライアルがそう言うと、小さな少年がぴょん、と跳ねてライアルの隣にやって来た。
「そうなの。スザクね、ライちゃんと会ってから、頑張って人間の言葉覚えたの。ライちゃんも頑張ってスザクたちの言葉を覚えたんだよ」
「半分は龍だから、蛇とか蜥蜴が出す声が聞き分けられるんだ」
ライアルが補足説明をする。すると、喋らずにいられない、とでも言うように、目を輝かせていたスザクが口を開いた。
「フーちゃんね、すごく意地悪。ライちゃん、明るいから、クロウお姉ちゃんに好かれてた。それが、気に食わなかったみたいなの」
フレアの笑みが更に深まった。白い掌の近くの空気が、パリパリと音を立てて凍っている。これには流石のライアルも、からかう気が失せたらしく、何も言わずただそれに釘付けだ。しかし、当のスザクは気付いていないようで、楽しそうに続ける。
「でも、レンお兄ちゃん、フーちゃんのことを気に掛けていたの。だから、ライちゃん、レンお兄ちゃんをフーちゃんに取られたって思ってね……」
「次行くぞ。次」
ライアルは、にやけている皆を無視して、さっさと続きの話を始めた。
フレアやクロウと別れた後、ライアルとレン、そしてスザクは三人で旅を続けた。そして、ある日、戦っているライアルを見た男が、ライアルを守手に誘った。ライアルは、守手になった。
それからが、ライアルの暗黒時代だった。表情は無くなり、無邪気で明るい性格も消え、目つきは鋭くなった。そして、ライアルが守手に入って半年後、強力な魔法と妖狼王仕込みの身のこなしで、ライアルは、守手の隊長になった。
ライアルは、人を殺めると同時に、人々の憎しみや悲しみを見た。復讐心に燃える人を見た。それを見続けていた未だに幼いライアルは、それを吸収していった。
守手隊長となれば、過去の資料を調べることができる。ライアルはそれを調べ、両親の死に関わる三人の人間、エルツァ、ヒュー、カリナを見つけ出した。
ライアルは、エルツァを魔法で殺めた。そして、ヒューとカリナの家に忍び込み、家に火を放ち、魔法で襲い掛かった。
しかし、その家にいたのは、二人だけではなかった。その頃、既に四楼として活躍していたキナは外出していたのだが、二人の幼い息子、ジェンがいたのだ。
ライアルはジェンだけを生かして、その場を去った。そして、その後、守手から逃げるように去り、レンと何かから逃げるかのように旅を始めた。
一方ジェンは、帰宅したキナに保護され、四楼キナの弟子として、二人で暮らすようになった。キナはまず弟を疑った。エルツァとヒューとカリナの三人が死んだのだから、当たり前だ。キナは師を奪われた恨みを胸に、ライアルを探した。
それから一年後、キナは、ライアルを見つけた。そして、手駒として使い始めた。精神的にかなり危険な状態だったライアルは、ジェンを前にして、更に追い詰められた。
ライアルはジェンを避けていたが、ジェンはキナの弟として滑り込んできた目つきの悪い子どもが、一人っ子の自分には弟に思えて仕方が無かった。隙があれば、ライアルに構い、ライアルの世話をしたがった。それがまた、ライアルを精神的に疲弊させ、更にキナの恨みを買ったのは言うまでもない。
しかし、ライアルは耐えていた。ライアルの傍には、レンとスザクがいた。レンもスザクも、ライアルの間違いを正すことは決してしなかった。しかし、ライアルには唯一の心の支えだった。
ライアルの言葉に、ジェンが補足説明を加える形で、話は続いていた。
「その状態は長くは続かなかった」
ライアルはさらりと続けた。
「私は精神的にまいっていた。ジェンと魔法の練習をしていた時に、その所為なのか、私の魔法が暴発して、ジェンが死にそうになった。だが、ジェンをレンが守って死んだ」
ライアルは大きな溜息を吐いた。それが、自分へのものであることは、誰が見ても明らかだった。
「姉さんは呆れていた。姉さんは更に冷たくなった」
「ですが、その後、ライアルは一緒にボードゲームをしてくれたり、一緒に魔法で遊んでくれたりするようになったんです」
間髪入れずにジェンが微笑みながら、そう言った。
「だから、あんたはジェンに甘くて、キナはあんたに冷たいのね」
リリーが何度も頷く。
「甘くないっ」
ライアルは低くそう言ったが、それがまた笑いを誘う結果になった。どんなにライアルが否定しても、結局ジェンに懐柔された、という事実の持つ意味が濃くなるだけなのだ。
笑いが収まったところを、カシワが尋ねた。
「なぁ、どうして守手になったんだ?」
ライアルは少し考えた後、言った。
「私は、兎に角強くなりたかったんだ」
間髪入れずに、フレアが言う。
「逆に言えば、ただ、それだけだったんだよね。お母さんに勝てるようになる、とかなんとか言って、僕に勝負を挑んでくるんだけど、全敗」
黙れ、というようにライアルがフレアを睨みつけるが、当のフレアは、涼しい顔をしていた。それを見て、周囲の人間は当時の二人の姿を悟る。
元気で無邪気だけど、少し弱虫なライアルと、可愛くない子どもだが、実は寂しがり屋のフレア。突然笑い出す仲間を、二人が睨みつけたのは言うまでも無い。
「そういえば、約束って何ですか」
ジェンがふと思い出したかのように尋ねた。ライアルは黙り込む。フレアも黙り込む。嫌な沈黙が流れた。
「それが深く関わっているのかな、と思いまして」
困ったように、ジェンが笑う。
「関わっていないことも無いんだが」
漸く、ライアルが口を開いた。すると、何かが噴出したかのように、スザクが喋りだす。
「それはね、フーちゃんが悪いの。死にたい、って言うから、ライちゃんが怒って泣いてね。精一杯生きよう、って約束したの」
ライアルがスザクを怒鳴りつける。フレアは、氷の刃を持っている。しかし、その背景には、笑いの嵐が吹き荒れていた。
「あんたたち、可愛いじゃないの」
クリスは、声を高くして笑う。
「あれが、私の人生で、最も浪漫のある台詞になると思う。しかし、その浪漫の向こうは、血塗れだった。笑えない」
もう諦めたのか、怒鳴られて目を潤ませるスザクに負けてしまったのか、それとも両方なのか、その理由は不確かだが、とりあえず、ライアルは開き直っていた。
「夢が無いわね」
リリーがあからさまに溜息を吐く。
「こんな人生歩いてきて、何の夢を見ろというんだ」
ライアルは目を細めた。
「この聞くのも憂鬱になってくる人生を引返すような、明るい人生を歩むとか」
カシワがにやりと笑う。
「ふふっ、まずは不良行為を極めないと」
すかさず口を挟んだのは、ライアルの不良仲間のアンである。ジェンは、困っているんですよ、と笑った。
その日は妖界城に泊まることになった。部屋の数は有り余るほどあるので、皆、数人に別れて寝ることになった。バタバタと、女性陣が出て行くどさくさに紛れて、ジェンがライアルの隣を通りかかった。
「ライアル、帰ったらお墓参りに行きましょう」
何かまだ思うことがあるのか、無表情で突っ立っていたライアルは、目を丸くしてジェンを見た。
「僕は疲れました。あなたも疲れたでしょう。もう、やめにしましょう」
ジェンは微笑んだ。