私は、何故ここにいるのかを自問した。
「軽く自己紹介をしてくれる?」
 青年は、無表情のまま、そう尋ねてきた。
 地下から出た私は、とりあえず血塗れの体を洗い流そうと、自室に戻ろうとしたが、そうはいかなかった。青年は笑顔で着いて来るように、私に言った。私は抜刀、斬りかかれば、青年も抜刀。そして、数分間に渡る勝負の後、私は負けた。首元に刃を当てられ、無表情で、黙って着いて来なよ、と言われれば、着いていくしかないだろう。私だって命は惜しい。
 私は悔しかった。刀で負けるなど、ほとんどなかったのだ。帰ったら絶対に筋力強化と敗因分析をしよう、と私は心の中で堅く誓った。ヒディスの文書の解読の続きは諦めよう。
 青年は最上階まで私を連れて行った。真紅の絨毯に小奇麗な長机の置いてある。どの家具も、派手ではないものの、高級品だ。
 椅子を勧められ、柔らかい布を渡される。返り血を拭けということだろう。私はコートを脱いで、座った後、椅子の材質を調べた。コニシの木である。シナギでは、最高級の木材である。
 そして、向かい側の椅子に座った青年は、私に自己紹介をさせようとした。
「エース・アラストル」
 刀で負けたことが気に入らなかったので、名前だけを答えれば、青年は怪訝そうに私を見た。
「本当に軽い……君は、エフィス人?」
 青年は尋ねる。確かに、赤色の髪をしていない時点で、純粋なシナギ人には見えないだろう。しかし、エフィス人は赤色の髪だ。青年が疑問を感じるのは当然のこと。ただ、両親を知らない旅商人の娘の私には、自分の民族さえもわからない状態だ。知っていたら、答えてあげていたかもしれないが、これに至ってはしょうがない、ということにしておこう。
「戸籍上はエフィス人」
 かなり間を置いたのに関わらず、適当な答えを言った所為か、青年は僅かに顔を顰める。
「君は使用人? どうしてここに?」
 とりあえずこの青年が、地位が高いと言うことは、間違いない。もう、正直に答えたほうが良いだろう。このまま意地を張って、城を放り出されたら、元も子もない。
「それがねぇ、私は向こうでは兵士だったけど、それはあくまでも遺跡の調査のための資金集めであって、本職は歴史学院生。つまり歴史学者だね。度重なる共和国の遺跡の破壊……何より自分が研究していた遺跡を壊されたから、見捨てることにしたんだ。それで、とりあえずはエフィスの邪魔をしようと思って、ここに来たって感じ。使用人なのは、兵士だと身元がばれてしまいそうだったから。だって、投降、って言っても、説得力ないでしょ。まぁ、使用人らしい仕事一回もしたことないんだけど」
 投げやりに喋ると、青年は眉を顰めた。
「大学院生? 君が? エフィス人が、そこまで人材不足だったとは知らなかった」
 青年の表情と言葉は、今まで見た中で一番自然だった。失礼極まりない。
「もう既に回してるけど……その前に、あんたよりは頭良いからね」
 かちゃりと刀に手をかければ、青年は呆れたように笑う。この私に勝っておいて、そこまで戦うのが嫌か。
「はいはい……とりあえず、君は私怨だけで国を捨てたわけだね」
 私は肯定の意味をこめてにやりと笑う。理由を私怨なんて言葉に纏められても結構。それだったら、その私怨で、エフィス共和国を邪魔するだけ。
「あんな国の兵士やってたことが、恥ずかしいぐらい。それで、私の処遇はどうするの? 上に報告?」
 投げやりにそう尋ねれば、青年は薄らと笑う。すっと細くなった鳶色の瞳は、ギラリと光る。
「放り出すのは惜しいね。戦闘の能力は、幹部レベルだ。兵が不足している今、それは得策だとは言えない。それと、上に報告、って……まだ君は気付いていないらしいね……私がシナギ解放軍公だよ」
「ちょっと待って、こんなやつが軍公? 解放軍抜けようかな?」
 はっきり言って、こんな性格の悪そうで、人間的に問題がありそうな軍公の下で働くのは嫌である。立ち上がれば、人間業とは思えないほど、素早く近づいた青年に手首を掴まれる。ひんやりとした感覚は、すぐに脳に伝わる。
 青年の蛇眼のような瞳を睨み返し、拘束されていない左手で月牙を抜く。瞳の色は暖かい色のはずなのに、宿る光は異様に冷たい。しかし、口元には笑みが浮かんでいる。こいつは曲者だ、と私は確信した。
 使い勝手の悪い左手で月牙を振れば、右手の拘束は解かれる。すぐに刀を右に流す。右手首には、まだひんやりとした感覚が残っている。手が冷たい人は、温かい心を持っているとか言い出した奴を、私は今すぐ斬りたかった。
 しかし、そんなことを考えている場合ではない。次の瞬間、金属音が鳴り響いた。押し合いになったら、負けることは確実。私はすぐに右に流す。すぐに舞い戻ってきた黒い刃を月牙で受ける。
 そのとき、勢い良く扉が開いた。
「セーレッ、何してるの」
 現れた鳶色の髪の少女は、青年の下へ駆け寄る。小柄だが、身につけているコートは上等なものだろう。模様のように入っているのは、「三」と言う意味の古代シナギ文字。私は目を細め、少女を見た。
「使用人の女の子に刀を向けるなんて……お姉ちゃんは、そんなことをするなといつも言っていたでしょ」
 少女は高い声でそう叫んだ。青年は困ったように笑う。そんな風に笑えたんだ、と純粋に私は驚いた。
「言われた覚えはないから。ところで、彼女が使用人に扮した共和国兵だったらどうするの?」
 今のうちに逃げようかな、と私は思い、刀をせこせこと仕舞い始める。どちらにしろ、解放されたのは幸いだ。私は、こんな食えない軍公に目をつけられた軍に、居座る気はなかった。
「そんなはずないでしょ。セーレ、本気じゃないのがすぐ分かるから」
 少女は相変わらず叫んでいる。私は刀を紐で縛って、その場から永遠に立ち去ろうとする。
「ごめんね。セーレが乱暴して……セーレッ、可愛くて好みだからって、女の子に刀で迫ってはいけません」
 さり気なくその場から永久退場しようとする私に、少女は話をふってきた。悪気はないだろう。本当に申し訳なさそうに見られては、逃げることはできない。
 私は困ったように笑った。実際困っていたのだが。
「先に刀抜いたの向こうだよ」
「そんなこと関係ないっ」
 少女はヒステリックに叫ぶ。子どもらしい容貌に似合わない厚手のコートが揺れている。少女の注意が青年にいったところで、私は歩き出そうとした。しかし、それは叶わない。
「セーレに乱暴されなかった? こんなんだけど、根は悪い子じゃないのよ……って、血塗れじゃない。セーレ、どういうこと?」
「返り血だよ。兎に角君も黙ってないで何か言ってよ」
 何故、後もう少しで脱出ができるという時に、話を振るのだろうか。二人に悪気はないのだろうが、とりあえず、私は着替えたかった。
「これは返り血ですので、ご心配なさらずに。リスティー隊長」
 ティーラ・リスティー。シナギ解放軍第三部隊長である。
「君は、軍公の顔と名前を知らなかったくせに、第三部隊長の名前は知ってるんだね」
 もし、ここで軍公殿が物凄く悲しそうにこれを言ったら、(まずはその事実を受け入れるのが困難だが)私は、(確立としてはかなり低いが)慰めるぐらいはしたかもしれない。しかし、軍公は口元に僅かな笑みを浮かべながら、さらりと言った。
 無視してよいということだ。私は勝手に自己完結した。
「リスティー隊長は酒場でも非常に評判が良く、是非お会いしたいと前々から存じておりました故……」
「明らかに口調変わってるよね」
 恭しく敬礼をし、すらすらとそう言うと、すかさず軍主が口を挟んでくる。しかし、私は基本的に都合の悪いことは無視だ。
「嬉しいわ。あなたの名前は?」
「エース・アラストル。一介の使用人でございます」
 リスティー隊長も軍公を無視してくれたので、私は安心した。こういう女性を敵に回すのはよくない。
「彼女は有能な剣士だから、補助として積極的に働いて貰おうと思ってる。一緒に仕事もできるかもしれないね」
 軍公がめげずに口を挟んできた。すると、リスティー隊長の顔色が変わる。
「とっても嬉しいけど、大丈夫なのかしら」
「私はそれ程強くは……」
 面倒事に巻き込まれるのは御免だ。こんな軍公の下で働く気はない。願わくは、解放されたらすぐにこの城を出て行くことである。
 しかし、私の淡い望みは掻き消される。
「私相手に数分持った」
「凄いじゃない。セーレ相手に数分も持つなんか……」
 リスティー隊長の目の色が変わった。期待の篭った目を向けてくる。いゃ、期待の篭った目は嫌いじゃないんだけど、ここで向けられても困るということだ。
「負けましたけどね」
 私は低い声でぼそりと言った。気に入らない。剣で負けたのだ。今思い出しても、何かを叫びたいような衝動に駆られる。私は悔しかった。
「納得いかない様子だね」
「一生の俯角」
 そう答えると、軍公はにやりと笑った。私は限りなく不愉快だった。覚えておけよ。

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