エース・アラストル。
 酒場に集う極少数の者たちだけしか知らなかったであろうその名は、城中の誰もが知るようになった。
 どれもこれも自分の所為ではあるが、一番迷惑が掛かっているのも自分である。自分の浅はかな行いに、後悔している、とシャラムに言うと、全くその通りだな、と返された。
 僕はそんなことを思いながら、自室の扉に手をかけた。開ける前に刀を確認してから、ゆっくりと扉を開ける。
「軍公、今日は負けないからね」
 刀を抜き、扉の前で仁王立ちしている銀髪の少女。朝から髪はしっかりとバケットで止められており、刀とワンピースという奇妙な取り合わせも、いつもと変わらない。目は爽やかな輝きではなく、ギラギラと燃えるように輝いている。
 そう、朝食前から闘志剥き出しの少女と、僕は剣を交えなければいけない。僕は黙って刀を抜いた。


価値無き者
利害は一致、性格は不一致



 城の階段に金属音が響く。階段を降りていた人々は、慌てて降りていく。
 俺は見物衆に混じって、下の階から階段を見ていた。激しい金属音と共に降りてくるのは、軍公セーレ・アザトスと、使用人エース・アラストル。これはもう、朝の見世物になっている。
 俺は溜息を吐いた。軍公の愚痴を聞くのはいつも俺なのだ。自業自得なのは誰が見ても明らかなのだが。あまりにも愚痴愚痴言っているため、もうほとんど聞き流している。
「エレシュキガル隊長、昨日より返しのスピードが早くなってますね」
 隣にいた第二部隊の隊員が微笑む。
 エフィス人だという事実は、ほとんどの者が知らないのだ。明るく向上心溢れる気質があってなのか、数少ない女だからか、彼女の評判は悪くない。
 負けず嫌いで、噂では城の裏の草原で素振りや走り込みをしているらしい。
 夜は夜で地下の図書館に篭っていたり、城に刻まれている文字を本を片手に熱心に読み取っていたり、酒場でギャンブルに精を出したり、一体いつ寝ているのだろうか、と思えるような生活をしている。それでも彼女は、努力を怠らないのだ。そういうところが好きだ、と皆、口を揃えて言う。
 ただ、軍公は言っていた。エース・アラストルはシナギが好きなエフィス人と言うわけではない。
「彼女は何処でも良かった」
 軍公は言っていた。
「エフィスに敵対している軍ならば何処でも良かったんだ」
「僕たちは利用されているんだよ」
 彼女にね、と軍公は口元を歪ませた。
 それは、俺たちがエース・アラストルを利用することを正当化させる。狡猾な女なのだ。エース・アラストルは。努力と向上心で、その狡猾さを隠しているだけなのだ。
 嫌な女だ。そんな女がこの軍にいると考えただけで、何かが騒ぐ。


 私は酒場のおじさんと朝食を取っていた。
 使用人は、使用人の食堂があるのだが、シナギ人に友人がいるわけでもないため、私はいつも酒場で食事を取る。
「何で勝てないんだろうね。今日は力負けだったよ。上手く流せてなかったのかな」
「イカサマできないからだろうな」
 カウンターの向こうでパンを頬張っていたおじさんは即答した。
「ギャンブルは酒場でやっているという時点で、どれだけ上手くイカサマできるかが勝負だよ。それに剣はイカサマできたとしても、私のプライドが許さない」
「お前さんは酒飲まないからな」
 酔ってる兵士相手にイカサマは簡単だろう、とおじさんは笑いもせずに言う。一応朝食代は余分に払っているのだから、怒っているわけではないのだろうが。
「歴史の研究には資金が必要なんだ」
 ゴン、と私はカウンターを叩く。そう、本は高いのだ。本を一冊書き写すのに必要な労力。それを考えれば当たり前の話であるが。
 ついでに、最近入手した本について語ろうと私は口を開きかけた。
「そういえば、第二師団が遠征に出るらしい」
 おじさんはわざとか、と思えるぐらいのところで、全く違う話を振ってきた。高確率でわざとだ。
「いつものことだよね」
 第二師団は城にいる方が少ないのだ。私は気分を落ち着かせるために、とりあえずお茶を飲む。しかし、すぐに私は口からマグカップを離す必要が出た。
「それが、今回は軍公も一緒らしい」
 軍公が遠征。
 シナギには現在王がいない。軍公はシナギ一の権力者。まだ、軍公が先陣に赴くには早すぎる。
 おじさんのその言葉のせいで、私は咳き込んでしまった。

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