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ランス・セレシアン第一師団長。エフィス共和国軍の師団長であり、私の上官に当たる。勿論、直接の上官ではないが、共和国軍にいた時に、少しばかり接触があったのだ。因みに、お互い良い印象だとは言えない。
「忘れるはずが無いだろう。何故、そこにいる」
セレシアン師団長は、顔を真っ赤にして怒鳴った。熱血漢。この若い男にはその言葉がよく似合う。
「幻想のために戦う気はさらさらないんで」
所詮、エフィス人とシナギ人の境も、そもそもエフィスと言う概念を生み出したのも、所詮人間。国家は幻想に過ぎない。そんな取るに足りないもののために、戦えるはずがない。
私が、さらりとそう言うと、セレシアン師団長は抜刀した。
人は見かけによらず、という言葉があるが、セレシアン隊長には当てはまらない。見た目からして暑苦しいのだが、中身はさらに暑苦しい。
「降参するならば、命は助けてやろう」
「笑わせてくれる。命が惜しくて剣士やっていられるはずがない」
勢いだけの言葉に、私は鼻で笑った。
私は、徴兵された兵士とは違う。命を捨てる気はない。だけど、命を懸けることができるぐらい価値がある物には、私は命を懸ける。
「知り合いか?」
エレシュキガル隊長は、低い声で尋ねた。相当、この男が気に入らないようである。私にそう問い掛けている間も、ギロリとした鋭い目をセレシアン師団長に向けていた。
「元上官。強いから、気をつけたほうが良いと思いますよ」
セレシアン師団長は、兵士から出世したのだ。ゴロゴロと存在する、仕官学校出の紙面上の戦略担当ではない。彼を一師団長と言う地位に上り詰めさせたのは、その性格と忠誠心、それと何より、剣の腕だった。
「流石に分が悪いな。後ろからは敵兵だ」
エレシュキガル隊長は、わざとらしく声を落とした。これが意味することは一つ。私は頷き、背後を確認する。扉は開いたままだ。
「エース、待て」
体をぐるりと反転させ、一気に駆け出す。エレシュキガル隊長と、廊下を走り抜ける。もう、兵士はすぐそこまで来ている。正面には師団長、背後には敵軍とは、あまりにも危険だ。
裏口は確認済みだ。あとは、走るだけである。
廊下をただ走る。走り続けていると、廊下に人影が見えた。私も隊長も剣に手をかける。しかし、その必要はなかった。
「あんたたち、そんなところにいたら危ないよ」
小さな子どもを抱きかかえ、不安そうに右往左往する母親に、私はそう言った。母親は私たちに気付いたらしく、目を丸くした。怯えて、足が竦んでいるらしい。
「私たちに着いてきて。裏口から出ましょう」
母親の前に立ち、手を差し伸べる。エフィス人特有の黄金色の髪を揺らし、母親は首を振る。状況が把握できていないのだろう。ここは、今から戦場となるのだ。丸腰の母子がいるべき場所ではない。
しかし、肌の色の所為だろうか。母親は、私の方が怖いらしい。シナギ人と同じ肌の色を恨めしく思いながら、私は強い口調で言う。
「すぐにエフィス軍とシナギ軍の戦いがこの建物の中で行われます。ここは危険です」
そこまで言って、漸く危険が伝わったらしい。母親の片手を引き、走り出す。裏口はすぐそこだ。角を曲がり、事前に調べておいた裏口に辿り着く。
小さな鉄の扉の前には、エレシュキガル隊長が立っていた。怪訝そうな表情を浮かべ、私を睨みつける。
何か文句があるのか、とでも言う風に、私は隊長を睨み返した。何も悪いことはやっていないはずだ。
しかし、文句があるのだったら、何なのかは分かっている。でも、私は悪いことをした気がしない。
「お前、エフィス人を助けてどうする」
やはり、である。
私はゆらりと身を翻すようにして移動し、お世辞にも和やかとは言えない表情をしている大男に怯える母親を通すために、鉄の扉を開けた。そして、無理矢理、二人を押し出し、それから、すぐ横に立っている隊長に向き直る。
「何か文句でもあるんですか? 助けられる人は助ける。当たり前でしょ。大体、あんな小さな少女とその母親が、作戦に支障を与えるとでも?」
エレシュキガル隊長も、国籍や人種に拘る。私にしてみれば、何故そこまで拘るのかは分からない。
「あれだけ、私怨のためだけに、人を殺しておいてそれを言うか」
エレシュキガル隊長は吐き捨てるようにして言った。
私怨。確かに私怨だ。私の戦う理由は、「崇高な」理由ではない。でも、私は努力をした。剣と学問の道で、卑怯な真似をしたことは無い。武力を持たない人々に、剣を向けたことは無い。身に付けた学問で、悪事を働いたことも無い。
私は自分に自信を持っている。だからこそ、私は頭が熱くなるのを感じた。
「助けられる人は助ける。助けることのできる剣を持たない女子どもや老人を見殺しにするなんか、共和国のやり方以下だ。剣士の風上どころか、人間の風上にも置けないね」
私は声を荒らげた。私は間違っていない。
「お前に剣士を語られる筋合いはない」
「私は、剣士の誇りと信念だけは、失った覚えは無いけど?」
エレシュキガル隊長は、顔を歪めた。
私は剣士の道を外れたことは無い。これだけは、譲れない。
しかし、私たちにそれ以上の時間は無かった。背後の扉がバタンと開き、ずらりと並んだ敵兵が見える。迫り来る敵兵に、顔を見合わせる。
「どうするんだ?」
「ここで死ぬ気はありませんね」
エレシュキガル隊長は、突然口元を歪めた。私もにやりと笑う。
「当たり前だ。あれだな。これこそ、利害は一致、他は全て不一致ってやつか」
「一致させる気も無いから良いじゃないですか。利害さえ一致してれば」
「この場は、切り抜けられると?」
私は不敵な笑みを浮かべながら頷き、剣を構えた。
私もエレシュキガル隊長も、逃げなくてはいけない。目的も、考え方も、全てが違ったとしても、二人で逃亡することにより、生き残る確率は格段と上がる。私は月牙を突き出した。
私たちが無事に脱出するまで、それほど時間は掛からなかった。
町の奪還には成功したらしい。当然、こちらにも死者は出た。死んだ者は、その町の住人たちの手によって、埋葬する。勿論、軍も手伝った。
草原に穴を掘る。シナギでは、死者は死んだ場所で弔う。実際の埋葬までの儀式は、町の住民がやってくれるらしい。そのため、軍は墓を掘る仕事をすることになった。
あれから、エース・アラストルとは喋っていない。
すぐ近くの兵士たちの集団の中で、黙々と穴を掘っている。文句も何も言わない。誰よりも、とはいかないが、女の体だ。酷く疲労はしているはずだ。
ふらりと軍公が現れたため、俺はあったことの全てを、軍公に話した。軍公は黙って話を聞いていた。全て話し終わってから、軍公はにやりと笑った。
「足手まといにはならなかったよね」
「ああ、剣の筋はまだまだだが、戦闘の感覚は抜群だ。あれは、一度二度、前線で戦闘に参加したぐらいでは身につかない」
剣の手合わせと、戦場は、天地の差がある。相手は自分を殺そうとしている。異常な緊迫感の中、あそこまで果敢に戦える者は少ない。
「しかし、剣士の道と人の道とは……彼女も、強ち間違ってはいないね」
俺は不快感を隠さなかった。いつものことだが、セーレの考えは読めない。
「シャラム、僕は、エフィス人が死んでも構わないと言っただけであって、皆殺しにしろとは言っていない」
俺は居心地が悪くなった。薄々勘付いていたのだろう。しかし、直接言われると、嫌な気分は体中を充満する。
「シャラムが何を考えているのかは分からないけど、支えるものの無い木は、どんなに強くても、しったりとした支えのある木には勝てないんだ」
そう言ってから、軍公はぐにゃりと口元を歪めた。俺を励ましているのだろうか。それは無い。軍公は、エース・アラストルを評価して終わることは無い。
「どこまであれが持つか、見物だね」
軍公は、それだけ言って、土の中に入れていたスコップで、土を掬い上げる。土は、無残に飛び散った。
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