私は、丁寧に壁の下方に刻まれた文字を、柔らかい紙に書き写していった。漂う古い香り。砂埃が痒くて目を擦る。
 エフィスとシナギの言語は同じだ。しかし、肌の色や髪の色は全く違う。人種的には全く別である。しかし、使用されている言語が同じなのだ。
 エフィスは海に面している。  私は、エフィス人と呼ばれる者たちは、海からやって来た人々の子孫だと考えている。それならば、何故エフィスとシナギの言葉が同じなのか。
 現在と過去は繋がっている。それを突き止めれば、何故、エフィスには共和制が生まれたのかということが、少し理解できるかもしれない。
 そして、シナギには多くの遺跡がある。不自然なほどに多い。それは、シナギの地で文明が栄えていた証拠だ。しかし、今のエフィスの位置には、シナギの遺跡はない。ということは、今のエフィスの地に、シナギとは別の文化が発達していたと考えた方が良いだろう。
 調べ始めて一ヶ月。どうでも良いことばかりか書かれているので、成果は全く出ていないが、着々と前には進んでいた。


価値無き者
遺跡と犬



「エース、ご苦労ね」
 突然降って来るのは明るい女性の声。
「ありがとう、ティーラ」
 そして、また、一ヶ月の間に、私はティーラと仲良くなっていた。軍といっても、正式な階級制度が無いため、上下の関係が、ほとんどないと言っても過言ではない。軍の中で、女性は少ないので、ティーラと食事や会話を楽しむようになるまで、それほど時間は掛からなかった。
 ティーラは、少々周囲が見えないところはあるが、普通の女性だった。因みに、ティーラと共に軍公のところへ行くと、軍公は、心底嫌そうな顔をするので、私は、中々楽しく毎日を送っている。
「エースは歴史家だったわね」
「厳密に言うと、歴史家ではないんだよね。私は歴史学者であって、歴史家じゃない」
 フッと笑みを浮かべ、続ける。
「昔はね、歴史家がいたんだよ」
 古汚い床を撫ぜ、ティーラを見上げる。
「今、歴史の研究を助けてくれる考古学者の数が、足りてないんだよね。だから、歴史研究の基礎が無い状態。だから、歴史学者は歴史家にはなれない。歴史家はね、歴史を生み出すんだよ。研究するんじゃない。歴史を生み出すことに専念している」
 私は更に説明を付け足す。
「この世界で、たくさんの人が生きてきたよね。その中で、歴史家は歴史を紡ぎだす。取捨選択によってね」
「どういうこと?」
 きょとんと首を傾げるティーラに、私は更に詳しく説明を入れる。
「たとえば、今日、ティーラが昨日、お酒を飲んだ、っていうのは歴史にはならない。だけど、二百年ぐらい前、シナギ国王が武人の政治を禁じた、っていうのは、歴史。歴史家が、これは歴史だ、って言ったものが歴史になる」
 そこまで言って、漸くティーラは意味が分かったようだった。すぐに尋ねてきた。
「じゃあ、歴史って歴史家の私情塗れじゃないの?」
 ティーラの着眼点は良かった。私はにやりと笑う。
「そうだよ。歴史は、歴史家の私情塗れ。歴史家は、考古学者の作った資料や、他の歴史学者が書いた書物から、歴史を生み出す。だから、私たちが歴史の書物を読む時は、まず、この人がどんな時代の中、どんな立場にいたのかを、よく調べてから読む必要があるんだよ」
「エース、あなた、凄いわね」
 その言葉に、私は笑みを一層深めた。
「好きだからね」
 好きなものだから頑張れる。祖国を捨てるぐらい、私は歴史が大好きだ。
「そういえば、セーレが、新しい遺跡が見つかったらしいから、視察に行くらしいよ。ちょっと声を掛けてみたら?」
 新しい遺跡。見てみる価値はあるだろう。ティーラの言葉に、私はにやりと笑った。

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