あんたは、事を穏便に運ぶことはできないんだね、と昔、近所のおばちゃんに言われたことを、私は思い出していた。
 軍公に直接談判に行くと、そこには、シャラム・エレシュキガル第二部隊長がいた。軍公は、いつもの笑顔を浮かべ、私の話を黙って聞いていた。エレシュキガル隊長は、私を睨みつけていた。そして、私が話し終わった後、最初に口を開いたのは、エレシュキガル隊長だった。
「お前何様だよ」
 エレシュキガル隊長は、低い声でそう尋ねてくる。
「何故、あなたが口出しをするのですか? 私は軍公と話していたんですけど」
 私は、持っていた箒を突きつける。
「何だ。その箒は」
 エレシュキガル隊長は、鳶色の瞳をすっと細める。
「一応、私、使用人なんですよ。軍公の部屋に行くならば、と押し付けられました」
 大袈裟に両手を開き、使用人装束と塵取りと箒を見せてやる。
 軍公の部屋へ行く途中で会った、古株の使用人のおばちゃんに、箒と塵取りを押し付けられたのだ。普段仕事をしていない分、断るわけにもいかないので、承諾したわけだ。
「仕事、してたんだな」
「今、私もそれを思った」
 失礼極まりない。自然に驚く二人に、私は再び箒を突きつけた。
「私も働きます。ということで、遺跡に行かせて」
 私がそう言うと、軍公は、にやりと笑みを浮かべて尋ねた。
「行かせないと言ったら?」
「こっそりついて行く」
 私は即答した。ここで着いて行かずにいたら、歴史学者の品格も落ちる。
「そう言っている時点でこっそりじゃないだろ」
 エレシュキガル隊長が、ぼそりと言った気がした。
「何をしたいの?」
 軍公は尋ねた。待ってました、と私はにやりと笑う。
「研究。私は、エフィスとシナギの言語は同じだけど、肌の色や髪の色は全く違うところに着目した。人種的には全く別であるのに関わらず、使用されている言語が同じ。変でしょ。だから、私は考えたの。エフィスは海に面している。私は、エフィス人と呼ばれる者たちは、海からやって来た人々の子孫だと考えている。それならば、何故、エフィスとシナギの言葉が同じなのか。そして、シナギには多くの遺跡がある。不自然なほどに多い。それは、シナギの地で文明が栄えていた証拠だ。しかし、今のエフィスの位置には、シナギの遺跡はない。ということは、今のエフィスの地に、シナギとは別の文化が発達していたと考えた方が良い。シナギとエフィスの交易は昔からあったけど、いつから、どのようなことをやっていたのかが、分かっていない。だから、私はシナギの素晴らしい遺跡の数々を調べて……って、聞いてる?」
 いつの間にか、軍公は机に突っ伏していた。何て奴だ。折角話してやったのに、と思い、私は目を細めた。
 すると、エレシュキガル隊長は苦笑いした。
「軍公は、座学が苦手なんだ。兎に角苦手で、本を読めば数行で挫折。その所為でデスクワークはできない。むしろ、読み書きできるか疑わしい」
 こんな人間が率いる組織に、共和国は苦戦しているのだ。世の不思議の一つと言える、と私は思った。
「教養の欠片も無いね。馬鹿だ」
「こいつが馬鹿であることは認めるが、頭は弱く無いぞ、多分」
 多分、というのは意外と曲者である。
「つまり本能で生きているってことですね」
 ぽんと手を叩き、そう聞き返すと、エレシュキガル隊長は目を細めた。
「流石に、お前だけには言われたく無いだろう」
「私のどこが本能で生きているとお思いで? 私は理性的です」
 私は学者だ。非常に理性的である。
 しかし、エレシュキガル隊長は固まった。
「ということで、ついて行かせて頂きます。はい、沈黙は肯定ということで」
 そう言って、私は小机の方へ歩いていく。
「帰らないのか?」
 石のようになっていたのが戻ったのか、エレシュキガル隊長は尋ねる。
「私は、使用人です。掃除をします」
 任された仕事は責任を持ってやりきる。私は、箒を小机の下に突っ込んだ。


 嵐の如くエース・アラストルが去った後、漸く軍公は体を起こした。
「すっかり懐柔されているじゃないか」
 にやりと笑みを浮かべていると思ったら、開口一番、確信犯と確定せざるを得ないことを言う。
 つまり、軍公は、約十数分間、俺があのエース・アラストルの相手をしているのを、まったりと聞いていたわけである。
「違う。大体、向こうにその気が無いだろ」
「その気が無い方が、むしろ腹立たしいだろう」
 確かにそうだ。しかし、未だに俺はあいつがこの軍にいるのが、腹立たしくて仕方が無い。
 まず、人間的に嫌いな部類なのだ。エース・アラストルは、生きていた人を斬り殺すことに対して、罪悪感を全く感じていないように見える。
「奴は、人を殺すことに罪悪感は無いのか」
 俺は、軍公にそう尋ねた。
「無いと思うよ」
 軍公は、あっさりと答えた。
「あの明るい気質と、努力家な一面で隠されているだけ」
 軍公はさらさらと続ける。
「剣を振るうために剣を振るう」
 そこまで言ってから、漸く、彼特有の笑みを浮かべる。
「真の剣士とは冷酷なものだよ」
 全てを突き放すかのような不敵な笑みを浮かべてから、軍公は口を閉ざした。
「あれには、真の剣士の素質がある、と言いたいのか」
 軍公は、エース・アラストルを、剣士として評価しているということになる。俺は、冷静に聞き返した。
「シャラム・エレシュキガルは、シナギのために剣を手段として用いる。しかし、エース・アラストルは、剣を振るうために、剣を用いる。剣を手段として用いる者、剣だけを純粋に愛す者。どちらが、真の剣士に相応しいか。これで、分かった?」
 相変わらずの笑みのままで、軍公はさらりと話した。
 俺はゆっくりと息を吐く。
「ああ、分かった。だが、新たな疑問を持った」
 軍公の笑みがゆっくりと引いた。
「お前は、何のために剣を使う」
 軍公は、素直には答えなかった。
「僕は、シナギが独立を勝ち取り、世が真に平和になっても、刀を持ち続けるだろうね」
 それは、軍公が、誰よりもシナギを想っている、という前提で成り立っている。俺はそれをよく知っていた。それを考えると、十分過ぎる解答である。
「ところで、何で奴は、俺にだけ敬語なんだ?」
「年齢の問題じゃない? 多分、僕の方が年上だとは思うけど。お勉強は兎も角、頭悪そうだから」
 確かに、軍公と俺だったら、俺の方が年上だ。しかし、俺は違う考えをもっていた。
「俺は、人徳の問題だと思ったが」
 軍公は、にやりと笑った。怒っている。
「ティーラも呼び捨てだ」
「最初は敬語使っていた気がするぞ」
 俺の一言に、珍しく、軍公の方が黙り込んだ。

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