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少女が、震えている。目の前には、刀を持った男と青年がいた。男は、血塗れで、青年は、平然とした様子で、血の滴る刀を握っていた。
「卑怯な真似を……」
血塗れの男の言葉と共に、吐き出されたのは、赤黒い血。
「お前が、それ程弟子に拘るなんてな……」
そう言いながら、青年は、少女に目を向けることは無い。ただ、目の前で苦しむ男だけを見ていた。
「知らなかったなぁ」
青年は、呆れたように笑った。
男は、何も言わずに、まるで、少女を守るかのように、立ち続けていた。青年を睨む眼光は、蒼白な顔色とは対照的に、強く鋭かった。
「生かしておいてやろう。お前が守った命、どうなるか楽しみだ」
踵を返した青年が、遠ざかっていくと、血塗れの男は崩れた。膝を突き、口から大量の血を吐いた。
少女は血溜りに走った。今にも死にそうな男に駆け寄る。綺麗だった体に、血が纏わりついた。
「師匠っ」
少女の呼びかけに、男は優しく微笑んだ。温かみのある茶色の瞳を細めて、ゆっくりと、泣きっ面の少女の銀色の頭に手を乗せた。
私は、堅い椅子の上で、ゆっくりと息を吐いた。シナギ文字の解読の途中で、眠ってしまったらしい。
昔の夢を見るなんで、私は相当疲れているりだろう。疲れるのが嫌なわけではないが、疲れ過ぎると、戦場では命取りになる。流石に、遺跡行きの後、数日寝台に上らなかったのは、かなり身に堪えたらしい。
私は、目の前に横たわる愛刀を見た。師匠が欲しがっていた刀。師匠は、立派な剣士だったが、貧乏だったため(更に馬鹿正直だった。救いようが無い)買えなかった。私は、あれから軍に入って、少しずつお金を溜めて、月牙を買った。それだけ、私は師匠が大好きだった。
私は、そんな師匠に命を貰った。私の命には、師匠の命がくっついている。命に重さは無いだろう。しかし、それはあくまでも、相対的に見て、という話だ。
私にとって、自分の命が、どの命よりも重いだろう。これからもずっと。
「ジャック、汚さないでよ」
足元にいた黒い犬が、尻尾を動かした。
遺跡にいた黒い大きな犬は、城までついて来てしまったのだ。セーレの、君の数倍功労者だよ、という発言には、刀を抜かせて貰ったが、共和国軍に打撃を与えたという点では、解放軍にとって、十分評価に値するのだろう。
馴れ馴れしくこちらから触ろうものには怒り、そのくせ後をついてくるところは何だか腹立たしいが、吠えたりはしないため、悪くは無い。
欠伸をしつつ、辞書のページを捲ると、すぐ後ろから、思わぬ声が流れてきた。
「大丈夫ですか? 魘されていましたよ」
私は、突然の声に驚き、すぐに振り返った。
そこには、私よりもずっと年下だろう少年が立っていた。褐色肌に、シナギ人にしては珍しい赤毛だ。
「大丈夫」
そう返事をすると、少年は私の方にやってきて、古代シナギ文字のメモを覗き込んだ。
「何故、海には出ないか。それは、人攫いが出るからである。言い伝えによれば……」
丁度約しているところだ。それをすらすらと読み上げていく。
「古代シナギ文字、読めるの?」
古代シナギ文字。シナギ人でも読める人はほとんどいない。
少年はにっこりと笑って頷いた。
「僕も歴史が好きなんで、勉強したんです」
それから数日が経った。この少年、ラスト・アエシュマは、毎日のように図書館に来て、私の手伝いをしたり、ジャックと遊んだりしていた。兵士ではないようだったため、おそらく、誰かの息子なのだろう。
大抵、この年の子どもというのは、同年代の子と遊びまわることが多いのだが、私は、それを一度も見たことが無かった。いつも、ラストはどこからともなくやってきた。
その日、私は図書館で刀の手入れをしていた。
「エースさんは、戦うんですか?」
ひっょこり顔を出したラストが、そう尋ねてきた。表情は僅かに暗い。
「私は剣士だからね」
さらりと答えてやると、小さな溜息が聞こえた。
「僕は正直、戦うことがあまり好きではないんですよ」
それは、大変だ、と素直に私は思った。深い意味は無い。そして、大変なのはラストであって、周囲ではない。
シナギ人は、男女分け隔たり無く戦うし、民族の一大事には、戦える年齢の者は総出で戦う。小さい頃から、両親から最低限の武器の使い方は習うし、手合わせを娯楽として楽しむ。
戦うことが好きではない人間。そんな人間は、シナギ人の中では異端な存在だ。
「良いんじゃない? ずっと歴史の研究をしていれば良いよ」
しかし、戦いたい奴が戦えは良い。生半端な覚悟で、戦場に行くのが一番良くない。命が惜しいのならば、戦場に行ってはいけない。
「古代シナギ文字読める人なんて、ほとんどいないんだからさ。ほら、自信持って。世の中、気合と根性あればどうにかなるけど、自信があったら文句無しだよ。あんたみたいな子は、剣振り回している時間すら惜しくなるかもしれないんだから。まぁ、最低限の武器の扱い方は覚えていて損は無いと思うけど」
ぽかんと口を開けていた少年は、すぐに笑顔になって、はい、と頷いた。
その素直な様子を見て、私は言った。
「最近犬によく会うねぇ……」
師団長とラスト。本当に素直で真っ直ぐだ。彼らは、まるで犬のようなのだ。勿論、良い意味で。
「ジャック、くすぐったい。微妙に動くのは禁止。じっとしているか出て行くかの二択だよっ」
しかし、目の前の巨大な黒犬は、誰が見ても猫である。そして、この城の主も。
私が足元でこそこそ動く黒犬を叱り飛ばすと、ラストがくすくすと笑っていた。
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