ラストが、エレシュキガル隊長との間の子どもではあるはずが無い。しかし、サラの身に何があったかなど、想像するのが難しいことではなかった。
 シナギ併合の際、激しい戦闘が長期間行われた。戦う者も戦わない者も傷ついた。多くの者が死んだ。十年程前のことだ。
 十年前、サラは十七歳だったはずだ。サラは長刀を持って戦っていただろう。戦争において、負けた者は、殺される。弱い者は殺される。しかし、女性は違う。
「ラスト、どうしたの?」
 私はテーブルに肘をつき、額を支えた。サラは、ラストに微笑んでいた。しかし、ラストの表情は堅かった。
 ラストはそのままの表情で、持っていた物を突き出す。
「要らない」
 それは、剣だった。子どもでも使えそうな大きさの剣だ。
「だから、返す」
 ラストは顔を上げず、綺麗な革で包まれた剣をただ突き出していた。
「ラスト」
 エレシュキガル隊長が、咎めるように言った。
「何かあったな? 何があったかぐらいは、話しなさい」
 本当の家族みたいだ、と私は思った。ラストを受け入れるエレシュキガル隊長の器の大きさには感嘆せざるをえない。
 しかし、ラストの表情は歪んだだけだった。今まで我慢していた感情を噴出させたようだった。
「エフィス人の何が悪いんだっ」
 ラストはそう叫ぶと、駆け出した。カラン、と音を立てて、剣が床に落ちた。エレシュキガル隊長も、サラも、ラストを止めはしなかった。否、予想外の言葉に、呆然としていて、止めることができなかったのだ。
 時間が止まっているかのようだった。軍公は、真面目な顔をしていたし、ティーラは、呆然とした顔をしていた。
「それで、何が悪いの?」
 私は、軍公に尋ねた。理由は勿論、この空気をぶち壊すためである。勿論、思ってもないなんてことではないわけだから、良い機会でもあった。
「私はよく分からないけどね、とりあえず、君は確実に悪い」
 軍公の受け答えは早かった。軍公は、僅かに笑顔を浮かべながら、いつものように、腹が立つぐらいさらりと言った。
 空気を読んでくれたことは感謝するが、非常に腹が立つ言い方である。これでは、一言どころか、発言自体が余計である。
「私のどこが悪いわけ?」
 刀に手をかけてそう尋ねても、軍公殿は涼しい顔をしている。
 しかし、それ以上には発展しなかった。
「お前ら、ふざけるなっ」
 エレシュキガル隊長が一喝した。折角私が壊した空気が、さらに悪化した。


 それから、皆散り散りになった。そのあと、私は城の周りを走り、素振りをした。昼時になった頃、私は酒場に行った。朝、あんなことがあった後、食堂に行く気にはなれなかった。
 いつもは、昼間の酒場には、おじさん以外誰もいない。だから、今日はゆっくり食事を食べることができると思っていた。しかし、先客がいた。誰かは分からないが、とりあえず、真昼間から酒を呷っているところからして、碌な男ではないだろう。
 私に気付いたおじさんは、あからさまに嫌そうな顔をした。いつ、そんなに迷惑を掛けたか、などと思っていると、男が私に気付いた。
「銀髪?」
 鳶色の髪を全て覆い隠すように深く帽子を被った若いシナギ人は、私を見るなり挨拶云々よりも先にそう言った。
「が悪い?」
 私は口元だけで笑ってやった。すると、その男は声を出して笑い出した。何だか腹が立ったから、背中に括りつけてある刀に手を掛けると、すぐ横から声が飛んでくる。
「エース、喧嘩腰になるな。お前さんの実力で、どうかなる相手じゃない」
 酒場のおじさんが、諌めるように言ってきた。私はとりあえず、刀に掛けていた手を下ろした。すると、男も笑うのをやめる。しかし、当然のことながら、私が諦めたわけではない。
 ここは酒場である。
 にやりと口元に笑み浮かべ、おじさんに何か言おうと口を開いたのだが、それより先に、おじさんが言った。
「こいつはザルだ」
 私は舌打ちがしたくなったが、何だか癪なので平然を装った。
「そいつは、訳あってここにいるが、シナギ人じゃない」
 おじさんは、男に説明した。男は、ほう、と言ってから、豪快に酒を飲むと、にやりと白い歯を出して笑った。
「おっさん、そう簡単にシナギ人を判断しちゃいけないな」
 一体何を言っているのか、と思っていると、溜息を吐きながら、おじさんが席を勧めてきた。何故、溜息を吐いているのかは、私には分からなかったが、私は大人しくそれに従った。
「少なくとも、セーレ・アザトスよりは、ずっとシナギ人だ」
 男の言葉に、私は思わず目を細める。
 シナギ城の人間は、皆、軍公殿を敬愛している。私は、隣に座る男を横目で見た。見たことのない顔である。
 シナギ城の兵士たちの数は、それ程多くはない。こんな男がいれば、知らないはずがない。しかし、私はこの男を知らなかった。つまり、この男は、シナギ人ではあるようだが、この城の人間ではない。
「ロキ、お前さんは……」
 おじさんも表情を歪めていた。
「おっさんも思っているだろ。あいつはシナギ人なんかじゃない」
 持っていた酒を呷ると、男は笑った。その笑顔は軽いものだった。
「ただの腰抜けだ」
 しかし、続けられた言葉と共に、口元はぐにゃりと歪曲する。
 私は出されたサンドイッチに齧り付き、よく噛んでから飲み込むと、恍けた声で尋ねた。
「じゃあ、シナギ人の定義って何?」
 すると、男の鳶色の目が私の方へ向けられた。
「シナギ人は戦う者だ。少なくとも、目の前に倒すべき者のいる限り、戦い続けないといけない」
 それは幼子に諭すような声で、私を苛立たせた。しかし、私は我慢して、聞き返した。
「何があっても?」
「勿論」
 男は即答した。私は、へぇーと言うと、水を飲み込んでから言った。
「それ、ただの馬鹿じゃん」
 私はあの時、師匠を倒した敵に立ち向かうべきだったのか。そんなことはあるまい。師匠がくれた命を、無駄にはできない。
 ぶつかっていくことは大切だ。でも、逃げることも大切なのだ。本来の目的を見失ったらいけない。戦場に飲まれてはいけない。常に、敵を殺すこと以外の目的を持たなければ、あの異常な戦場という場所に、呑み込まれてしまう。
 私の言葉に、男は何も反応しなかった。しかし、おじさんが目を丸くして、男を見ていた。
 しかし、男はすぐに、細い鳶色の目を私に向けた。
「おい、俺の顔を見て、何者だと思うか?」
「真昼間から酒を呷っている碌でもない人間」
 私がそう答えると、何故かおじさんが咽始めた。何故、おじさんが咽る必要があるのだろう。そう思っていると、男は懐から貨幣を取り出し、テーブルに置いた。
「お前、またここで会おうぜ」
 男はにやりと笑って立ち上がった。私は、同じように笑って頷いた。話が合うかどうかは別として、興味が湧いたのだ。
 すると、おじさんが口を開いた。
「やめてくれ。俺の心臓が持たん」
 何故、おじさんの心臓が持たないのだろう。私は疑問に思ったが、腹が立つことに、男はその理由が分かっているらしく、笑っていた。


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