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シナギ城は草原の中に建っている。シナギは、雨こそ少ないものの、肥沃な土地。真っ赤に染まった空の下に、永遠と広がる草原を見れば、シナギの人がこの土地を守ろうとした理由も、分からないわけでもない。
「これはただの飾り刀ではなくてさ……振ってみなよ」
私は、衣の中に隠しておいた刀を、ラストに向かって投げた。美しい飾りが刻まれた刀を、ラストは素直に一振りした。その姿は、整ってはいた。普通の刀を、何度か振ったことがあるのだろう。おそらく、どのような感覚がするかということぐらいは分かっているはずだ。
しかし、それは普通の刀ではない。空気の切れる音が響き、美しい飾りが輝く。
「それはね、空を斬る刀だよ。踊り刀」
予想外の音と感覚に、驚いているラストに説明をする。
踊り刀と呼ばれる物だ。今は、ほとんどないが、シナギは昔から、踊り刀を使った剣舞がよく行われていたらしい。師匠は、武器を使った芸術が好きで、よく話して聞かせてくれた。私の誕生日には、毎日の食事に困るぐらいお金がないのに関わらず、踊り刀を借りてきてくれて、使わせてくれた。
私は、今でも覚えている。踊り刀は、美しく空気を斬ることに特化している。心地良い音と重みは忘れられない。
「しかも、これは軍公のものみたいだね。さっき、ジャックがくれたんだけど」
武器を管理しているのが軍公。軍公がラストのことを考えて、ジャックに持たせたのだろう。
軍公という、武芸に関して頂点に立つ人間が、武器を直接管理しているのは、歴史的には稀に見るものだ。それだけ、シナギ人にとって、武器というものはとても重要なものなのだ。彼らの芸術には、武器が欠かせない。
「あんたは、人を傷つけるのが嫌いなんだよね。良いことだと思うよ。だけどさ、シナギ人の信じるシナギ人は、武器を操ることを楽しんでいる」
踊り刀を鞘に戻したラストは、豪奢な飾りの刻まれた鞘を見ていた。
「あんたの半分を流れる血は否定できないだろう。あんたは、半分シナギ人だから。私には分からない感覚だけどね」
シナギ人は、自分に流れるシナギ人の血を否定したがらない。それは、後天的なものであると思う。そして、ラストはシナギ人として育てられた。
自分の血に拘る理由としては、十分過ぎるものである。
「あんたはには強みがある。それに打ち込むのも良いさ。あんたには、時間を惜しむだけの能力がある。だけど、子どものうちは、色々なことをやっておくべきだよ」
自分がシナギ人だと思っているから、ラストは苦悩している。しかし、分かり難いだろう。無条件で一緒にいていくれる人から認められても、納得はできないだろう。
基盤がしっかりと定まっている子どもは、それに打ち込めば良い。しかし、それが定まっていない子どもは、様々な体験をした方が良い。ラストは、武芸を嫌っているわけではない。
剣で人は守れない。それを見せ付けられるような出来事に、ラストが遭っているとは思えない。それでも、この歳で気付いているのだ。賢い子だ、と私は思う。
「朝の武芸大会、面白いですよ」
ラストは、唐突に言い出した。
「この前、ティーラに邪魔されてさ……ティーラの前髪切って怒られたんだけどね」
私が笑いながら言うと、ラストは肩を竦めて、呆れたように笑った。
「やめる気はないでしょう?」
「勿論」
私は笑顔で即答した。
悔しくてやっている。でも、楽しい。あいつは目的なく刀を使うことができる。何かのために強くなろうとしているのではなくて、楽しむために強くなろうとしている。その過程を楽しんでいる。
刀をぶつけ合うのなら、楽しんでいる奴とぶつけた方が絶対に楽しい。そのことを、昔のシナギの人間は分かっていたのかもしれない。
軍公に呼び出され、次の遠征のことだろうな、と思いながら、俺は足を運んだ。
「ジャック、だったけ? ありがとう」
窓から差し込む夕日を浴びながら、軍公は、俺と一緒に入ってきた黒い犬を撫でた。遺跡でエース・アラストルが拾ってきた犬らしい。エース・アラストルには懐いていないと言われているが、軍公には大人しく撫ぜられていた。
次の派遣はエイザ辺りか、などと思っていると、軍公は顔を上げ、俺の方を見た。
「シャラム、次の遠征なんだけど、アルカプタを奪還するよ。現地の住民には話をしてある」
「アルカプタ? それは、ある程度の犠牲は……」
俺は思わず聞き返してしまった。
アルカプタは、シナギで二番目に人口が多い。すぐ近くに、金山もある。
「あそこは抑えておく必要がある」
軍公は、行儀悪く机に肘を突きながら、カンカン、と広げてある地図をペンで叩き、突っ立っている俺を見上げる。
「第二部隊と……僕も、今回はそれなりの兵を持つよ。そこに、エース・アラストルを投入する」
アルカプタ奪還に、軍公がついていかないなどという選択肢はない。それは構わなかった。
「連れて行くのか?」
「ここで使わずに何処で使う? 乱戦は、彼女の得意分野じゃないか」
軍公は、鳶色の瞳を細め、元々崩していた体勢をさらに崩し、腕を机に横たわらせ、その上に頭を乗せた。
「そういうわけで、サラの精神をどうにかしておいてね」
そして、軍公は、さらりと言った。
「あいつは大丈夫だ」
サラは強い。公私の区別がしっかりとできるシナギの女だ。今までに不安定な時期もあったが、第二部隊員として、激戦の中を生き延びてきた。
遠征の多い第二部隊で生き残るのは難しい。
「ラストのために、どちらかを残しておきたかったんだが……」
サラを残しておくに超したことはないが、この際エース・アラストルでも構わない、と俺は思っていた。サラは兎も角、ラストは不安定だ。誰かが隣にいるべきだろう。
「連れて行けば良いよ。町では仕事もあるだろう」
軍公は、そう言って、窓の外の草原を見やった。
町からも兵士を出すので、その分、町では人手不足になる。ラストは剣を握ることはないが、草原を走り回って過ごしていたので、それなりに体力がある。
「そろそろ、使い捨てる時期が来たかな、と思ってね」
再び黒い犬を撫ぜ、軍公は窓の外に目をやる。
シナギ人は、柔らかな鳶色の髪と瞳を持つ。鳶色は、優しい色だ。
昔、どこかの旅人が、そう言ったらしい。その旅人が賞した物と同じはずの目の前の鳶色は、日が沈みかけている所為か、酷く暗く、僅かに歪んだ口元に相応しいものだった。
戦争は人が死ぬ。どれだけ必要とされていようと、どれだけ愛されていようとも、どれだけ強かったとしても、人は死ぬ。軍公は、誰よりもそれを理解している。俺は知っている。草原で泣いていたあの少年は、それを悟って、こう言っているのだ。
俺は、軍公が冷酷だとは思わない。たった一人の異国の剣士のために、愛され愛すべき民の期待と命を裏切る方が、ずっと冷酷だ。
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