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アルカプタに駐屯しているエフィスの様子を探って来い、と私は言われた。私は、こういうことは専門ではないが、自分がどんな役目を任され、どんなことをするべきなのかは分かっていた。私は囮だった。
普通、攻める直前に、密偵など送らない。それも、あるだけの機密文書を取って来い、などと言うはずがない。私は、シナギは作戦段階である、ということを知らしめ、そして、混乱させるために配置された。当然、口に出して言われたわけではない。
私は命が惜しい。それでも、断るわけにはいかなかった。
髪も体も血でびっしょりと濡れて、酷く重い。囮は圧倒的不利な状況で戦わなければいけない。当然、私は怪我もしてきた。致命的なものではなかったけれども、ひりひり痛む手足は、気持ちを焦らせた。
戦場では、世界に色がなくなっていくような感覚がする。色覚を意識していないからだろう。全ての神経を己の生のために傾かせる。肉を掻っ切って、噴出する血を浴びて、人の死体を踏みつけ、異臭の中を駆け回る。私は走り続けた。
何故、戦場で人を殺し続けるのか。その理由は、単に復讐だけではない気がする。私は恐れているのかもしれない。
平凡な一市民として、この異様な空間を他人事にして生きる人間になることを、私は恐れているのかもしれない。
私はシャラムに詰め寄った。
「シャラム、どういうことですか?」
シャラムは、心底困ったような顔をしていた。
「そういう作戦だ。諦めろ、サラ」
エフィスの血がいけないのなら、私の息子はどうなるんだ、と尋ねたかった。しかし、これ以上シャラムに八つ当たりをして困らせてはいけない、と思い、何も言わずにシャラムを見た。
その時だった。
「これは、私の判断であり、これは彼女の望みでもある」
軍公は静かな声で喋る。
戦争中、シナギでは軍公の権力は上がる。自然に上がるものではない。上がると定められている。
「私は血には拘らない」
軍公の言葉に何も返さず、私は走り出した。私が行ってどうにかなるとは思わない。軍公が言ったことは正しいだろう。彼女は望んでこの仕事を引き受けた。それでも、私は反発する。確かに彼女は望んで仕事を引き受けたのだろうが、死を望んでいるわけではない。そして、彼女を助けることは、私がラストのためにやれる数少ないことに思えた。
もう、限界に近いな、と私は思い始めていた。しかし、諦めた時点で終わりだ。諦めてはいけない。切り傷は確かに痛いし、体も重いし、視界も歪んできた。
それでも、昔、私は石を投げられた時よりは、幾分か良かった。あの時も痛かった。頭が割れるかと思ったし、その後も痛くて痛くて仕方がなかった。大きな傷口になって、止血が大変だった。死にはしない。
それでも、痛くて痛くて仕方がなかった。だから、あの時に比べたら、大したことはない。
耐えて刀を振っていたが、隙が出来たのだろう。足を引っ掛けて、血だらけの死体の中に顔を突っ込んでしまった。すぐに体勢が立て直せるはずがない。体を踏みつけられ、腕を抑えられた。何とか立ち上がろうとするが、踏みつけられてはそれもできない。
そのとき、私の名前を呼ぶ声を聞こえ、上から押さえつけていた力が無くなった。それと同時に生温かい血を降ってきた。その赤い世界の向こうに見えたのは、深く背中を刺されながらも、周囲の者たちを力強く薙ぎ払っているサラだった。
サラ、と叫びながら、目の前にある物体を斬り続ける。ぼんやりしていた視界が、いきなり明瞭になったのが、自分でも腹立たしかった。突然素早く薙ぎ払うことができたからだろうか。僅かな空白の時間の中、白い手首を掴み、背中にその体を背負い、林の中に入り込む。自分でも驚くほどの速さで走っていた。もう、意識はほとんどない。
「エース、お願い。ラストとシ……」
最後に続く言葉が、シナギなのか、シャラム・エレシュキガル隊長なのかは、判断し難い。
僅かに残った意識で、背後に広がる戦場を見た。遠くに人の影が見えた。刃が光っている。戦場がこんなに歪んで見えたのは久しぶりだ。
剣では人を守れない。人はその命で人を守る。そんなこと、とうの昔から分かっていた。人間に向かって石を投げれば大けがをする。人間の眼の前で刀を振り回せば人間が死ぬ。そんなこと、とうの昔から分かっていた。
意識は朦朧としていた。でも、意識は失わなかった。本当は手放したかった。頭は痛いし体も重い。じっとしていても体には激痛が走り抜ける。生きているのが不思議であると自分で思っていた。しかし、手放すことはできなかった。
一体どれだけ走っただろう。夕方に出発したはずなのに関わらず、本拠地に着いた時には、空がまどろんでいた。本拠地には多くの兵士がいた。もう、戦いは終わったのだろう。勝ったのかどうかは分からない。
私は、軍公と隊長の前まで全力で走った。目を丸くする軍公と隊長に何も言わず、サラを隊長に押し付ける。隊長が何かを言ったようだが、聞こえなかった。私はそのままの足で駆け出した。音が聞こえない。それぐらい、私は疲労していた。
私はここにいてはいけないのだ。ここにいては殺される。弁明する時間はない。体は限界だ。私は森の中を駆け抜けた。体は限界を超えているはずなのに、不気味なほど軽かった。朝ぼやけの森の中を走りながら、私は意識を失った。
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