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私の師匠が死んだのは、六年前のことだった。
師匠は私を庇って死んだ。私は、師匠の葬儀には出席できなかったが、その数日後、墓に花を持って行った。師匠は白色が好きだったから、白い花をたくさん探してきた。花のことはあまり知らなかったけど、一生懸命探した。
花を持って墓に向かうと、そこにはたくさんの大人たちがいた。私を待ち構えていたのかもしれない。
「お前のせいで死んだんだ。お前が殺したんだろう」
顔は覚えていないが、低い男の声だったような気がする。私は驚いて逃げようと思ったが、それではいけないと思って、墓の前まで進んだ。
「来るな。異人が」
自分でも理由は分からなかったが、何故かじわっと目頭が熱くなったような気がした。私は気にせず、師匠の墓の前まで行こうとした。
しかし、それは叶わなかった。
「二度と近付かないで」
女性の金切り声が響いた。それと同時に石がぶつかってきた。私は座りこまざるを得なかった。
石は顔にもぶつかった。痛かった。たらりと流れ落ちる赤い血も気持ち悪くて仕方がなかった。
でも、私は泣かなかった。ずっと笑っていた。痛かったが、こんなにたくさんの人に愛されている師匠に守って貰ったことが、とても幸せなことだと思った。私も師匠を失って悲しかったけど、私には泣いている時間はないと思った。何よりも、師匠は私の笑顔が好きだった。
私は頭を守るようにして体に埋めると、じっと耐えた。
何故、私は二度も命を守られたのだろうか。私にそれ程の価値はあるのかどうかは分からない。
私の死は、身を挺して私を守った二人の死よりも、悲しむ人間が遥かに少ない。師匠はジリ貧だったが、多くの人に尊敬され、頼りにされていた。サラには恋人も息子もいた。少なくとも、他人に望まれているという点では、二人の命は私よりも遥かに価値がある。
人を守るには、剣を使うのではなく、その命で以って守らないといけない。二人は、それを知っていただろう。それなのに関わらず、二人は私を守ってくれた。
だから、私は立ち止まっている暇はない。肩の力を抜いたらいいのに、と言ってくれる人がいるが、肩の力など抜けるはずがない。私は二人の分まで、確りと生きなければいけない。
「何があった?」
目が覚めたら、すぐにそんな声が耳に響いた。首を動かしてみると、軍公が木の根元に腰かけていた。軍公以外の人間は見当たらない。何であんたが一人でいるんだよ、などと言いたいことは色々あったが、いまはそれどころではない。
私の体は限界に近い。今は、生きることだけを考えなくてはいけない。
「私が捕まったところをサラが助けてくれた。身を挺して守ってくれた」
軍公は笑みを浮かべることはなく、そうだからと言って他の表情を浮かべることもなかった。淡々としていて、どこまでも冷静な指導者である。
「サラは死んでいた」
その言葉も、人間味のない物だった。
「死んだ瞬間を見たからね」
私がそう答えると、軍公は足を崩し、鼻で笑った。
「シャラムは荒れていたから、正しい判断だっただろうね。問題は、全くとり乱すことのなかったラストだ」
軍公は元の無表情に戻る。
ラストは取り乱さなかった、と軍公は言っていた。取り乱せば、他人が気を遣うことをラストは分かっているのだろう。他人に迷惑をかけないように、と考えているのだ。つまり、ラストはシナギ解放軍の人々を他人だと思っている。
軍公がそこまで考えているとは思えない。しかし、危機感はあったのだろう。
「へぇー、あんたは子どもを心配することができたんだ」
そして、何より、この男が他人の心配をしていることが驚きだった。
「シナギの子どもはシナギの宝だからね」
軍公は歌うように言った
シナギは子どもを共有の財産だと考えるため、孤児がいない。それは、シナギの歴史を少しでも勉強した者の中では常識である。しかし、それがまだ生きていることは、実際にシナギにいなければ分からない。
「彼が一人になることはない」
ラストはアルカプタで手伝いをしていたから、アルカプタに住む夫婦の養子になるのだろう。シナギでは、孤児はすぐに引き取られる。ラストがアルカプタに残ると、一人で研究をしなくてはいけない。それは寂しくなる、と思いながら、大きく溜息を吐くとみしみしと体が痛んだ。その痛さに僅かに表情を歪めると、軍公が肘をついて笑った。
「随分辛そうだね」
体中傷だらけで辛いはずがない。その笑顔が腹立たしかったが、私は否定しなかった。
「貧血で頭が痛いね。それに、体のあちこちもだいぶ斬られているから、体も痛いよ」
つまり私は限界だ、ということを示す。今回の遠征の中で、軍公は私を殺す予定だっただろう。そんな軍公に向かって尋ねる。
「それで、あんたは私を始末しに来たの?」
軍公は、そこで初めて笑みを浮かべた。頷きもせず、否定もせずに、ただ横たわっている私の表情を窺っている。その様子は腹が立つが、今は冷静にならないといけない。
「あんたの大事な民の命を無駄にしたくないんだろう」
サラに貰った命を守りきらないといけない。それは、サラのためでもあり、シナギのためでもある。でも、何よりも私のためだ。
「じゃあ、何故逃げた?」
「それは、隊長閣下やその他大勢に殺される可能性があったからだよ。ほら、今はこの体だろう」
こんな傷だらけの体で、師匠のときみたいに石を投げられたら堪らない。私がシナギの人に殺されたら、死んだサラに合わせる顔がない。私は何としても生きないといけない。
そんなことを考えていていると、軍公は私の刀を見やり、言った。
「君に剣を教えた人、今は故人だろう? 君は、師の手から離れるには剣が乱雑すぎるし、師がいないほど滅茶苦茶でもない」
私は何故だが腹立たしくて仕方がなかったが、黙っていた。怒鳴ったり叫んだりする力はない。剣士をやっていて言うのもなんだが、私も痛いのは嫌だ。
「同じことが起こったんだろ?」
軍公の目は決して見下したようなものではなかったけれども、真剣なものでもなかった。そうかと言って、好奇心があるわけでもなさそうだった。
「あんたは無駄に鋭いね。嫌われるよ」
この人、刀握っているよりも、他国の指導者と腹の探り合いしていた方が良いのではないのだろうか、と私は思った。勿論、褒めてなどいない。
「仕事だからね」
軍公はさらりと言った。そして、立ち上がると、私に背を向けて歩き始める。
「城の位置は分かるだろう、使用人」
振り返り、そう言って笑った。
私はにやりと笑う。師匠のときは石を投げられた。さぁ、今回はどうなることだろう。
軍公が帰ってきた。負傷兵を探しに行ってくる、とだけ言って、一人で出て行ったのは、つい先ほどのことだった。
「生きていたか?」
そう尋ねると、軍公は笑った。
「この程度のことを苦にして自殺するような他所者を、解放軍には入れない」
その言葉は、エース・アラストルがここに留まることを意味している。軍公が語ったサラの死の真相は、真相と呼べるほど複雑なものではなかった。
「分かってる。あいつが、目の前で敵に捕まりそうな女を、放ってはおけないことぐらい」
人間としての最低の品位に陥れられたこと。孕んだ子を産むと言って、周囲から疎外されてきた過去。辛い経験から、たとえ自らを傷つけたエフィス人であろうとも、女として、助けに行くだろう。
サラはそういう女だった。
「エース・アラストルが悪いわけでもない」
エース・アラストルが、直接サラを殺したわけでは無い。サラがそんな行動に出るなんて思ってもいなかっただろう。
「シャラム、憎悪は、利用するべき物であって、利用されるべき物ではないよ」
軍公はそう言って笑った。そうだ、この軍公は、エース・アラストルの居住を認めた時点で、憎悪と一線を画したことになっている。
「憎悪を利用するのは、お前の仕事であって、俺の仕事ではない」
自分を認められるだけの余裕は、今の俺にはない。全てを理解している軍公は、ただ空を見やり、ゆらりと笑う。
十年前、少年は泣き叫んでいた。
「お父様と軍公様とお姉ちゃんと……皆を返してよ。殺してやる。皆殺しにしてやる……」
敵わぬ相手に感情をそのままぶつけていた少年は、十年の時を経て、軍公になっていた。俺を含めたシナギの人々の心を支配する軍公に、自分の感情の処理が出来ない少年の姿は重ならない。
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