僕は、ラストを呼び出した。話を誰にも聞かれないように、アルカプタの空き家を借りた。
 母の死を聞かされたラストは、全くと言っても良いほど、動じていなかった。
「母は死んだのですね?」
 そう聞き返し、僕が頷くと、そうですか、とだけ答える。
「エース・アラストルが、彼女を連れて帰ってきたよ」
 エース・アラストルは怪我を負っていた。何が起こったのかは想像できるが、敢えて何も言わない。
「エースさんはどこにいるのですか」
「森の中に走って行った。今から事情を聞きに行く」
 誰もエース・アラストルの後を追わなかったらしい。血を滴らせながら、息を上げて走ってきた姿を見て驚いたらしい。何しろ、彼女は獣のような目をしていた。今、自分が生きることしか考えていないようだった。
 そのような人間に近付くのは危険だということを、皆知っている。
「どこにいるかは分かるのですか?」
「血の跡があるからね」
 そう言うと、ラストはふわりと微笑んだ。
「エースさんも死んでいるかもしれないのですね」
 たった十歳の少年は、まるでいつもと変わらないような微笑みを浮かべている。その笑顔から、僕は信用はされていても、信頼はされていないことを悟る。
 可愛くない子どもだと思う。しかし、聡明で怜悧な子どもだ。同じ大人しい性格でも、幼い頃の僕とは大違いだ。
「ここで待っていなさい」
 着いて来るなという意味ではない。何も言わずとも、微妙な立場に立たされたエース・アラストルを気遣って、着いて来ないだろう。僕が懸念しているのはそのようなことではなかった。
 行き場をなくした彼が消えてしまうことだった。


 サラの死は、シャラムやラスト、そしてエース・アラストルにとっては重要な意味を持っていたのかもしれない。しかし、戦闘に参加した兵の四割が命を落としたこの戦い、一人の兵の死で、皆が動くはずがない。一兵士の死は、多くの者にとっては、大きな意味を持たないのだ。  もし、彼女が冷静だったのならば、それも理解できただろう。しかし、彼女は冷静では無かった。異様なほどに危機感を持っていた。理由は簡単だった。エース・アラストルは、昔、同じようなことを経験していたのだ。
 ラストは、ずっと待っていた。その姿に安心しながら、ラストに笑いかける。
「エース・アラストルは君のことを心配していた」
 間違ってはいないが、勘違いされるだろうことを言う。
「僕の行き場所ですか?」
 ラストの笑顔はとても穏やかなものだったが、それは自嘲なのだろう。僕はラストのその言葉に、頷きもしなかったし否定もしなかった。
「私の養子になりなさい」
 本来なら、シャラムの養子になるべきだけれども、ラストは彼に気を遣うだろう。それならば、僕の養子になればいい。僕は二十歳だ。養子をとることのできる年齢に達している。
「軍公様の養子ですか?」
「嫌かな?」
 僕は、間髪いれずにそう尋ねる。
「僕なんかで良いのですか?」
 ラストは、遠慮気味に訊いているわけではなく、純粋に驚いているようだった。

 もし、サラに罪があるとしたら、ラストをこんなに賢く愚かな子に育ててしまったことだろう。


 僕の養父は、優しい人だった。
「陛下、こんなに才能のない子どもを、何故養子に迎えるのですか?」
 僕が四歳のときに僕たち兄弟は親を失った。母は僕を産んですぐに病で死んでいたのだが、父は刀をぶつけ合っているときに誤って斬られて死んだ。僕たち三兄弟は、養子として引き取られることになった。しかし、引き取り手はなかなか見つからなかった。
 そんな時に、名乗り出てくださったのが当時の国王陛下だった。僕たちの養父は陛下だった。
 僕の姉兄は優秀で、養父が養子に迎えることを、皆が納得するような人たちだった。しかし、僕は違った。剣は同い年の中で一番下手で、何歳になっても字が読めず、さらには口論も弱かった。怖がりで出来の悪い子供だった。誰もが養子に取りたがらないような子どもだった。
 僕は、自分がそういう子どもであるということが分かっていたから、とても不安だった。
「シナギの子どもは宝だ。無条件に宝だ。そして、どんな宝も磨けば輝くものだ」
 養父は、僕を引き寄せると、僕が王の養子に相応しくないという事実を述べる者にそう返した。
「セーレ、着いて来なさい。お前の姉兄も待っている」
 養父は、僕が養子になることに対して、何も要求しなかった。
 しかし、そもそもシナギでは、子どもは無条件に宝だった。たとえどんな子どもでも、大切にされた。


「シナギの子どもは宝だ。無条件に、大切にするものだ」
 ラストには言おうと思わないが、本当は賢いラストが欲しかった。人の感情が読める聡明なところはとても魅力的だった。しかし、理由はつけない。それは、ラストに対して、賢くなければいけない、というプレッシャーにもなるだろう。
 それでも、僕はラストに要求をする。
「ところで、君は戦場には赴くことはないかな?」
 そう尋ねると、ラストは表情を堅くした。
「刀を血で染めることはしません」
 それを強制されると思い込んでいるのだろう。ラストの断固とした物言いがおかしくなったので笑う。ラストは、僕の様子を怪訝そうに見ていた。
「それならば、私と陛下しか知らない事実を教えてあげよう」
 僕たちは、シナギとエフィスの民から、この事実を守り続けている。


 私は、丁寧に壁の下方に刻まれた文字を、柔らかい紙に書き写していった。漂う古い香り。砂埃が痒くて目を擦る。
 エフィスとシナギの言語は同じだ。しかし、肌の色や髪の色は全く違う。人種的には全く別である。しかし、使用されている言語が同じなのだ。
 エフィスは海に面している。  私は、エフィス人と呼ばれる者たちは、海からやって来た人々の子孫だと考えている。それならば、何故エフィスとシナギの言葉が同じなのか。
 現在と過去は繋がっている。それを突き止めれば、何故、エフィスには共和制が生まれたのかということが、少し理解できるかもしれない。
 そして、シナギには多くの遺跡がある。不自然なほどに多い。それは、シナギの地で文明が栄えていた証拠だ。しかし、今のエフィスの位置には、シナギの遺跡はない。ということは、今のエフィスの地に、シナギとは別の文化が発達していたと考えた方が良いだろう。
 調べ始めて一ヶ月。どうでも良いことばかりか書かれているので、成果は全く出ていないが、着々と前には進んでいた。


 僕は、全てを語り終えた。国王と軍公のみが知っている事実を、最初から最後まで話した。
「何故、この事実が……」
 ラストは黙って聞いていたが、本当に驚いているようだった。当然だろう。
「私はいつ死ぬか分からない。それは陛下も同じだ。だから、ラストはは生き延びて欲しい」
 何をしてでも、ラストには生き延びて欲しい。この事実が失われたことで、何の問題にもならないし、むしろ失った方が楽だ。しかし、この事実を完全に失わせることはできない。だから、この事実を知って管理する人間が必要なのだ。
「種明かしをしてあげよう。軍公の仕事は軍を率いることではないし、軍公が優位に立つのは、戦争が始まってから、というわけではない」
 軍公は軍と芸術を司る、というのは間違いだ。レイヤもシャラムも知らないだろう。この事実を知ることのできる人間はごく僅かである。私の意図と私の仕事を話すのを、ラストは目を丸くして聞いていた。
 ラストのこの好奇心と敏感さは、軍公向きだと思いながら、一つ忠告をする。
「エース・アラストルには言ってはいけないよ」
「何故ですか?」
 こんな秘密をエフィス人に話すべきではないことは、少し考えれば分かるはずだ。しかし、思慮深いラストはすぐにそう聞き返した。エース・アラストルのことで注意力が散漫になるのかと思うと腹立たしい。しかし、それでも、注意力が散漫になるほどの相手がいることは、僕としてはとても嬉しい。
「彼女は自分の力で見つけるべきだろう」
 見つけられるとは思わないけど、見つけられたのならば、彼女は正面をきって僕に尋ねてくるだろう。
「馬鹿なことを尋ねてすみません。そうですね、誰にも言ってはいけませんね」
 ラストは下を向きそう言った。僕が、その言葉に何も返さずにいると、ラストはふいっと顔を上げた。
「僕があなたの息子としてできる数少ないことですから、精一杯守らせていただきます」
 僕が十歳の頃、陛下が死んだ頃、浮かべることなどできなかったような表情で、ラストはしっかりとそう言った。
 この年齢で、秘密を守らせることは、本当に酷なことだとは思う。それでも、僕はラストを信頼したいと思う。

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