Cool Fire I

Bishop


 私はアズサ。職業は妖界王女、アンさんの騎士らしい。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
 では、私は何をしているのか。
 それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
 私は、妖界王の召喚の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
 しかし、今現在、そうとは言っていられない状況。私は全速力で走っている。剣を持った兵士に追いかけられているのだ。
 いつも助けてくれるアンさんが、仕事でいないからだろう。アンさんは、少なからず兵士に恨みを買っているので、その恨みが側近である私に襲い掛かってくる。本人に直接やれよ、と言いたいところだけど、アンさんはとてつもなく強い。そして、とてつもなく気まぐれである。アンさんの側近であり、追いかけられながらも、兵士に同情してしまう私が、アンさんの横暴さを物語っている。

 とりあえず、最上階まで辿り着けば、王様がいる。(助けてくれるかどうかも微妙な線だけど)でも、最上階まで辿り着けるかどうかは、微妙な線。
 頭が重くなってきた。兵士の体力は馬鹿みたいである。視界が歪んでも、手と足だけはもがくように動かす。
 もう流石に駄目かもしれない……と思っていると、行き成り隣の扉が開いた。また兵士か、と舌打ちして後ろを見るが、追ってくる気配がない。
 水の音がした。後ろを振り返ってみれば、透き通った淡い金色の髪が目に入る。長いその髪は、低く一つに結われ、穏やかに揺れた。
 状況を理解した私は、その人物に向かってお礼を言う。
「助けてくれて、ありがとうございました」
 その人物は振り返った。私は一瞬、その淡いグリーンの肌に驚く。背の高いその人物の蒼い瞳が、怪訝そうに私の方へ向けられた。
 歳は同じぐらいだろうと思われた。一瞬その肌の色には驚いたが、妖界城では嘴のある人や、角のある人、さらにはトカゲを大きくしたような生物とすれ違うことが多々あるので、少しぐらい肌の色が違おうと、さほど驚くことではない、と思った。(これは元々、ということもあるが、アンさんの薬の場合もある)
 その人物、少年は、すぐ隣にあった扉を開ける。そして、扉を支えたまま動かない。
「入っていいんですか?」
 迷った挙句、私が尋ねれば、少年は頷いた。
 どう考えても、確実に危険な場所より、少々怪しくても、安全そうな場所へ入れてくれる方が良い。
「お邪魔します」
 殺風景な部屋だった。小さなベッドと机、そして椅子がある。しかし、どれもとても綺麗である。
 私が部屋の中に入ると、少年は静かに扉を閉めた。
 少年は、壁際に寄せてあった椅子を二つ、机の近くに置く。そして、置いてあった黒いポットのようなものを手にとって、カップに注ぎ込んだ。
 私は、軽く会釈して椅子に座った。少年はカップをお盆に二つ載せて持ってきた。そして、テーブルの真ん中に、横に二つカップを並べる。
 少年は、私の方を見た。
「本当にありがとう」
 それは、少年なりの気遣いだったのだろう。
 この妖界城の食べ物の危険さは、よく理解している。私に選ばせることで、この飲み物の安全さを主張していたのだ。
 いただきます、と言ってカップを取る。少年は残りの一つを自分の方へ置いた。
「名前は?」
 私が尋ねれば、少年は怪訝そうに私を見た。そして、口に手を当たる。
「ごめん、喋れないんだね」
 そう言うと、少年は頷き、消えた。辺りを見回しても、少年はいない。瞬間移動だろうか。
 そのとき、扉が開いた。
「アズサ、探した」
 アンさんだ。無表情だが、非常に怒っている様子だ。正直に言おう。私は怖くて堪らない。
「アルテミア・セイレーンか……」
 アンさんは、少年の座っていた椅子をじろりと見た。すると、少年の姿が現れた。どうやら、瞬間移動ではなく、姿を消していただけらしい。
「夕食」
 アンさんは、少年、アルテミア君を無視して、さっさと部屋を出て行った。
「ごちそうさまでした」
 私は急いでアンさんについていった。

「あの子は、アンさんが喋れなくしたんですか?」
 アンさんに連れて行ってもらったレストランで、私が訊けば、アンさんは僅かに顔を顰めた。
「そんな面倒くさいことはしない」
 いつも、兵士の食料に変な薬品を混ぜ、兵士の部屋を荒らして回る、あなたが言いますか、と思ったが、私も命は惜しいので黙っていた。
「アズサ、今、変なこと考えた」
「そんなことありません」
 アンさん、なんで分かるんですか。
「アルテミア・セイレーンは、私がどうにかできるほど、単純な作りをしていない」
 私は、兵士達は単純な作りなのでしょうか、と問いたくなる。
「セイレーンって、あのセイレーンですか?」
 セイレーンって、水辺に住む女性、というぐらいは知っている。肌の色も淡いグリーンだった。
「男のセイレーンなど存在しない。あいつは人間だ」
 私は益々分からなくなった。そりが顔に出たのか分からないが、アンさんは溜息を吐いた。
「あれは男のセイレーンを作る実験で、セイレーンの血を流し込まれた。セイレーンの血は、当然ながら反発して、声を失った」
 アンさんは、非常に単純明快に説明してくれた。
「言っておくけど、私がやったわけじゃない。元々不可能だと分かってることはしないから」
 アンさんが、そのことについて嫌悪感を感じていることは良く分かった。
 私も、人を実験に使うならば、それなりの準備と利益、本人、そして周りの人間の承諾が必要であると思っている。しかし、アンさんはアルテミア君に、全く同情していないことも分かった。流石アンさんである。
 正直、私も冷めた方なので、何も言わずにパンを頬張った。
「使えないこともない。何しろ、優秀な水魔法の使い手だ。妖界王が欲しがっただけの実力はある」
 私は驚いた。アンさんが力に関して人を褒めるなんて、滅多にないことである。
「アズサ、さっき変なこと考えた」
「そんなことないです」
 アンさんは何故私の考えていることが分かるのだろうか。そこまで顔に出る方ではないのだが……
 私が考えていると、アンさんは喋りだした。
「魔法で勝負したら、私とそれなりに渡り合えた。そんな者は滅多にいない」
 アンさんの言うことに、私は納得した。アルテミア君は、アンさんに恨みがないのだ。それは言うまでもなく、実力があるからである。
「でも、今日は大変だったんですよ。部屋から出ると、すぐに兵士に追いかけられたんですから。アルテミア君が助けてくれなかったら、私は今ごろあの世ですよ。本当にどうかしてましたよ、あの兵士の体力……」
 私が言うと、アンさんは静かにスプーンを置いた。
「アズサ、私は、妖界の兵士から、アルテミアの部屋まで逃げ切れたあなたの体力がどうかしてると思うけど」

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