Cool Fire I
Let's play chess!
私はアズサ。職業は妖界王女、アンさんの騎士らしい。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
では、私は何をしているのか。
それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
私は、妖界王の召喚の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
そんな私はいつものような夕食(つまり外食)時、アンさんから衝撃的な話を聞かされた。
「アズサ、明日、私と妖界王がチェスをする」
ここまでは普通だった。大富豪の時みたいに付き合わされるだけだろうと思っていた。通りでアンさんの機嫌が悪いわけだ、とだけしか考えていなかったのだ。
「それで、アズサとアルテミア・セイレーンを駒として使う」
「駒……ですか?」
アンさんは頷いた。
アルテミア君は、早速明後日の方向へ顔が向いている。大富豪のことでも思い出したのだろうか。
「リアルチェスゲーム。因みにアルテミア・セイレーンは黒のビショップ。アズサは黒のナイト。黒のキングは私で、白のキングが妖界王。そして、レイリア妃が白のクイーン。サリーが白のルーク。後は、普通に兵士を使うらしい」
「サリーさん、巻き込まれちゃったんですか」
私は驚き、そう尋ねた。
「サリーとも会ってた」
アンさんは大して興味なさげにそう呟く。
「その前に、アンさん、かなり不利ですよ。後手で……それに、ナイトってポーンの次に点数低いじゃないですか。それに、ビショップもルークやクイーンより、点数低いですよ」
点数の低い駒は、犠牲にされやすいのだ。
「覚悟しておいて、って言った。殺されないかもしれない」
そうですね、アンさん。でも、殺されないかもしれないって言うことは、高確率で私は死ぬんですか。
「アンさん、このお店のパンは美味しいですね」
私は、アルテミア君とともに、明後日の方向を向いた。
「アズサ、それは何?」
翌朝、私が座り込んで作業をしていると、アンさんは覗き込んできた。
「旗ですよ」
そう言って私は、白地の布を木の棒に吊るした。
紐で固定し軽く振ると、スプレーで布に書かれた赤い字が空に踊る。
I'll never FIGHT
「I can't fight.じゃないの?」
「自分でよく分かってますよ」
でも、普段はアンさんがいるから安心です、と付け加えれば、アンさんは黙り込む。
「どちらにしろ、意味ない。サリーとレイリア妃と妖界王以外は、文字を読むほど脳が発達してない」
「気休めです」
そんなのやっていけるはずないじゃないですか。
「あぁ、空が青いですね、アンさん」
「妖界城には、窓がない」
アンさんは、私を現実に引き摺り戻す。悪気はないらしい。
「でも、アンさん、チェスできたんですね」
私が尋ねれば、アンさんは一枚の小さな紙切れを出した。
「今さっき、妖界王にルールの紙を貰った」
恐怖のチェスゲームは、もう間近に迫りつつある。
朝食後、アンさんに渡された服は、何とも言い難いものだった。黒のローブの様なものに、ベレー帽に似た形の帽子。
「姿まで駒にならないといけないんですか?」
「アズサはまだ良い方。サリーはルークだから、変な帽子だった」
そうですね、アンさん。ルークは確かに変です。大体、あれ、人じゃないですよね。
「でも、誰がここまで……」
「レイリア妃と妖界王が、嬉々として、極めてどうでもいいことに、頭を使っている」
要するに、レイリアさんと妖界王が、もの凄く張り切ってるということですよね。
「アンさんはクラウンですね」
「動きにくい服に、重い帽子……ルークよりはいいけど」
アンさんは真顔で呟く。
そこまで、ルークが嫌ですか。それを着るサリーさんが可哀そうですよ。
私はそう思ったが、アンさんには全くと言っていいほど、悪気がないのだ。
「アンさんって素直ですよね」
にっこり笑って言えば、アンさんは顔を顰める。
「どこが?」
全て、と答えれば、アンさんは私を見下すような目で見る。
「アズサ、ストレスで頭おかしくなった?」
ストレスなんて単語、妖界にあったんだ、などということを思う暇もなく、私は再び現実に引き戻された。
私はついに、アンさんに連れられて、玉座の間に入った。
ちょっとレイリアさんか、妖界王が熱でも出してくれないかな、と思ったが、風邪を引いて寝込む妖界王も見たくないな、とも思い、すぐにそれを引っ込めた。
玉座の間には、白と黒の四角いタイルが敷き詰められ、同じく招集され、駒の衣装を着た兵士たちや、アルテミア君、サリーさんがいた。
当然の如く、レイリアさんと妖界王は、満面の笑みで所定の位置についていた。
「遅いぞ」
アンさんは、妖界王を無視して、所定の場所につく。
私も自分の場所へ小走りで行った。隣はアルテミア君である。
「これに乗るんですか?」
妖界王に、私はそう尋ねた。
私の位置、G8には大きな馬の彫像が陣取っている。背丈は私の倍近くある。
「勿論」
登れません、と言う間もなく、私の体はふわりと持ち上がる。
魔法である。
私は、つい嬉しくなって顔がにやけたのを、レイリアさんに見られた。
「高いですね」
チェス盤が見渡せる。妖界王より、高くていいのか、と思いながらも、私は楽しくて堪らない。ナイトで良かった、と私は思った。
しかし、サリーさんの溜息を見て、私は一気に現実に引き戻された。
「私、全然Coolじゃないですね」
「別に、始まったことじゃない」
現実逃避をする為に、アンさんににっこり笑ってそう言うと、即、アンさんに切り捨てられる。
「では、ゲームを始めようではないか」
レイリア妃の前のポーンが二つ進んだ。
「セレス、前に二つ」
アンさんは、クイーンの前にある、ポーンを二つ進める。
まさに典型的な始まりである。
二つのポーンが出揃ったら、次はナイトの出番である。
「アズサ、f6」
「アンさん、どう動けば……」
そう、こんな高い置物の馬の上である。どう動けと言うのか。
「一つ前にいって、斜め右」
アンさん、違いますから。私、これでも棋譜読めますよ。
「それは分かってます。どうしたら、この馬が……」
私は全部言い切れなかった。いきなり馬が飛び上がったのだ。
とりあえず、本能的にしっかりと馬に掴まる。この高さから振り落とされて、硬いチェス盤にぶつかるなんて、最悪である。大体、ゲームが始まってまだ数手である。
ガン、と音を立てて馬は着地する。
「アンさん、びっくりしましたよ」
前言撤回。ナイトは嫌だ。
私がそう言っている間に、妖界王は駒を進めたらしい。アンさんは、アルテミア君に指示を出す。アルテミア君は、大人しくてくてくと歩いていく。羨ましい限りである。
人が倒れる音がした。私はすぐそちらを見る。
レイリアさんの前で、兵士が倒れている。兵士はすーっと浮き上がり、盤の外に運び出された。
私は、冷たい汗が額を流れるのを感じた。
「おい、レイリア。私は、お前に動くように指示してない」
しかし、その妖界王の一言で、私は思わず呟いてしまった。
「キングの命令無視……」
「そろそろ暇になってきた」
まだ、始まって十分も経ってないですよ、レイリアさん。
そんなこともありながら、ゲームは進んだ。
私はなるべく周りを見ないようにしながら(見晴らしは素晴らしいのだが)ゲームが進むのを待った。途中五回ぐらいレイリアさんが勝手に動いた。
「アズサ、b4」
私は、しっかりと馬の背に掴まる。だから、気付かなかった。b4のマスに、ビショップ役の兵士がいたことに。
ぐにゃりと何か柔かい物にあたり、そして、すとんと地面につく感覚がした。
「アンさん、兵士がいるなら言ってくださいよ」
伸びた兵士が運ばれるのを見て、私はアンさんに訴える。
「見えるでしょ」
確かに見えますけどね。誰が、兵士を突き飛ばすレイリアさんを見たいと思うんですか?
「アズサッ」
アンさんの声が響いた。大きく馬が傾く。私は馬から手を離した。馬が倒れる音と共に、私の体は盤に叩きつけられる。
「悪手ね」
ふわりと浮遊感がして、私は絨毯の上に下ろされる。痛む体を起こして前を見れば、アンさんが私を取ったルーク、サリーさんをポーンで取っていた。
サリーさんも馬を押すだけだったのだろう。私は、怪我がなかった。
「まさか、こうくるとは思わなかっただろう」
にやりと笑う妖界王。私には、何がしたかったのか、理解不能だった。
「はい、まさかナイト一騎のために、ルークを捨てるとは思いませんでした」
隣にやってきたサリーさんは、何事もなかったかのようで(流石アンさんの姉である)、私の隣に腰を下ろした。
「昇格」
アンさんの声。見ると、ポーンが盤の一番端まで到達していた。しかし、隣にはレイリアさんがいる。
「アン、クイーンを彼女にするのならば、私はクイーンを今回は見逃そう」
その目は明らかに私に向けられていた。(サリーさんと思い込もうとしたが、それはかなり無理のあるものだった)
どうやら、なんとかして私を盤上に戻したいらしい。確かにこちらとしては、おいしい状況ではある。(あくまでも、こちらとして、である。私としては、最悪の状況だ)
しかし、先程のは明らかにレイリアさんの独断である。私は妖界王の方を見た。
「実に満足そうな笑顔ですね」
「お褒めの言葉をありがとう」
誉めてない、と口に出しては言えない。
本当に何でもありのチェスである。
「アズサ」
アンさんは私を呼んだ。
そして、私は再び戦場に戻される。
「アルテミア、左上に四つ……」
自分が動かないと取られる、と思っていたこともあり、その言葉で私はひやりとした。
しかし、チェックがかかっていた。レイリアさんが私を取ることはできない。
そして、現在妖界王は動けない状況だ。何しろ、私はクイーンで、勢力範囲が広い。
「チェックメイトです」
私の言葉は、静まり返った盤上で響いた。軽い音と共に、チェス盤がなくなる。
「流石だ、アン。あそこで、アズサを動かしていれば、私がチェックメイトだった」
妖界王は笑う。アンさんは相変わらずの仏頂面だ。
「アンさん、ありがとうございます」
私がそう言うと、アンさんは、帰る、とだけ言って、部屋から出ようとした。しかし、それを止めるものがあった。
「アン、これをやろう」
巾着のようなものが飛ぶ。レイリアさんである。アンさんは僅かに後ろを向くと、見事にそれを受け取った。
私が小走りで扉の前まで行くと、アンさんは部屋から出て行った。
「アズサ」
翌朝、アンさんはアルテミア君と共に、私を呼びに来た。
「レイリアさんは帰ったんですか?」
「暫く城に居座るらしい」
アンさんは溜息を吐く。アンさん、レイリアさん、妖界城の王妃ですよ。
私は、そんなことを思いながらも、笑顔でアンさんとアルテミア君と朝食を食べに行く。
私はアズサ。職業は妖界王女、アンさんの騎士らしい。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
そう、私はアンさんやアルテミア君、妖界王に助けられながら生きている。
チェスゲームは怖かったし、兵士に追いかけられるのも嫌だけど、私はいつも楽しい。
「アンさん、私は妖界城、好きですよ」
そう言えば、アンさんは、そう、とだけ言い、アルテミア君は、私を見て微笑んだ。
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