Cool Fire II

Prologue


 私はアズサ。つい最近まで、普通の女子中学生だった。語学が苦手なのと、科学が好きなところ以外、特に変わったことはなかった。長姉に、「ここまで語学ができない子はそういないよ。センター試験用に鉛筆転がしの腕を鍛えたまえ」という宣告を、中学生にして受けたのは、この際おいておく。とりあえず、私は普通の中学生だったということだ。
 しかし、妖界という異世界の王様の気まぐれで召喚されたのが運の尽き、メルヘンのメの字も無い妖界の城で、暮らすことになってしまった。
 妖界城。この城では、殺されたら、殺された奴が悪い、という感覚であるということや、食べ物に毒はあたりまえのような入っていることや、王の遊びに強制的に参加させられることなど、様々なことに耐えなくてはいけない。殺伐すぎて、陰謀などが渦巻いていないことだけが、唯一の救いだ。
 そんな私はの職業は妖界王女、アンさんの騎士。でも、それは書類上のことである。大体、いつもアンさんに守られているのは私だ。
 では、私は何をしているのか。
 それは、暇潰しに城の兵士を攻撃したり、怪しげな薬を兵士の食事に混入したりしようとしているアンさんを止めること、というとても重要且つ難しい仕事である。
 私は、妖界王の召喚の手違いで、世界から飛ばされてしまった。それまでは普通の学生だったのに。でも、妖界王は(デンジャラスだけど)親切だし、アンさんは(傍若無人だけど)多分良い人だから、凄く楽しい毎日を送っている。
 ある日、そんな私は、アンさんにあることを知らされた。
「アルテミアは知っていると思うけど、明日、私の立太子式がある。王位継承権第一位の者を、王太子と認定する式」
 アンさんに立太子式と言われて、立体に関係する式だと思った私の考えは、完全に読まれていたらしい。アンさんは、丁寧に説明を入れてくれた。
「ありがとうございます」
 また思っていることを読まれた、と思いながらも礼を言う。それから、私は疑問に思ったことを尋ねた。
「ところで、何故今頃? 戦争の真っ只中ですよね?」
 戦争の真っ只中の魔界で、このように朝食を食べている妖界重役というのもどうかと思うが、今更やる理由が私には分からなかった。
「一応終わった」
 アンさんはさらりと言った。
 すみません、アンさん。妖界軍将軍のアンさんの騎士であり、妖界軍副将軍のアルテミア君の友達である私ですが、戦争が終わったことすら知りませんでした。でも、知らされもしませんでした。
「勝ったということですよね」
 負けていたら、事後処理などで私が気付かないはずがない、と思うが、自信を持って言えない私である。
「当然。魔界への永久不干渉を約束させた。あの雰囲気では、持って五十年だと思うけど」
 アンさんは、心底どうでも良さそうだった。約束させたといっても、議会制である天界はすぐに意見が変わってしまう。だから、信用していないのだろう。
「それで、どういう段取りなんでしょうか?」
 段取りぐらい聞いていないと、私は入学式と卒業式と葬式にしか出たことがない(結婚式には出たことがないのだ)。
「知らない」
 私は思わず声を上げてしまった。
「陛下の時と同じでは?」
 そこまで言ってから、そういえば、アンさんは、勝負前日にチェスのやり方の紙を読んでいたな、と思い出したくもないことを思い出す。大体、立太子式を前日に知らせるという自体、私の感覚としては、受け入れられそうにないような気がしたが、何故か私は今の今まで違和感を感じなかった。
 私も、妖界城の住人になったんだなぁ、と思うと、それは喜ぶべきことのはずなのに、なんだか妙に悲しい気持ちになるのは何故だろう。
 そんな風に、色々と考えていた私だが、アンさんの一言が、私を現実に引き戻す。
「妖界王は、数千年前、妖界を統一した。私が、妖界初めての王太子」
 数千年前ということは、妖界王は数千年は生きているということなのだろうか。これも魔法の力なのだろうか。それはそれで恐ろしいが興味深い。
「一体何年生きているんですか?」
 アンさんは、分からない、とだけ言った。
 妖界王は人間ではないのだろう。私は勝手にそう思った。私の顔を見たアンさんは、一瞬目を細めたが、すぐに消えてしまった。


 私は、妖界城を完全に嘗めていた。それに気付いたのは、今から数分前のことだった。
 黒を貴重として騎士らしい服装を着て、帯刀して、ちょこちょことアンさんの後を着いていく。アンさんは、空の模様の入った生地に、茶色のペンキをぶっ掛けたような布を使った服を着ていた。
 奇妙なデザインに、何か意味があるのかと思ったが、アンさんは見るからに不機嫌そうだったので、私は黙ってついていった。触らぬ神に祟り無し、である。
 そう、つまり私はアンさんに触らなかった。これ以上、不機嫌にさせるのも良くない。しかし、私の微妙な気遣いは、扉を開けた瞬間、水の泡となってしまった。
 玉座の間に続く扉の向こうは、青空だった。強い風の吹く青空。アンさんのあとをついて歩かなければ、私は落下していたに違いない。
 斜め前に立つアンさんの表情は、これ以上は無いとはっきり言える程、歪んでいた。
「天空の反逆者たる王家よ。天空の名を持ちながら、天空に逆らう王家よ。天空の血を引きながら、天空に反逆せし王家よ。その至高の世界は、反逆王とその騎士によって築かれた。王太子とその騎士に、王家は求める。天空への反逆を……騎士の道連れを……」
 一瞬暗くなったと思えば、すぐに明るくなる。明るくなった先には、いつもと変わらぬ玉座があった。ただ、そこには数十名の人間がいて、会話をしていた。
「妖界王女アンを、妖界王太子として認める」
 玉座に座っていた妖界王がさらりと言った。こうして、立太子はあっさりと終わった。先ほどの空は何だったのだろう。
 アンさんは、私を中に入れると、ちょっと待っていて、とだけ言って王の方へ歩いていった。私は、特にすることも無かったので、立太子式に招待された人々を見た。
 人間とは思えないような髪や目の色を持つ人が話をしていた。話し掛けて面倒なことが起こるのも困るので、私は黙って壁際に立っていた。しかし、こちらに歩いてくる人物がいた。金色の髪に青い目を持った小柄な男の人。
 鮮やかな金色の髪は本当に綺麗で、顔立ちも酷く美しかった。妖界王やアンさんも本当に美人だが、この男の人の美しさは異常だった。美し過ぎる故の恐ろしさ。この人は、人間ではない、と私は直感的に悟った。
 妖界王やアンさんの美しさは、人間の物だが、この人の美しさは人間の物ではない。
「こんにちは、お嬢さん。御名前を御伺いしても宜しいでしょうか?」
 その人は、高くも低くもない心地良い高さの声で、そう尋ねてきた。
「私は、妖界王太子アン殿下の騎士、東の冷たき魔法使いアズサと申します」
 視線を合わせないようにしながら、丁寧に挨拶をする。すると、視点の合わない視界で、美しい顔が笑った。
「私は、反逆の王である妖界王の騎士、氷原の翼シンスと申します。東の魔法使い殿、妖界王家を支えていきましょう」
 私が何か返そうとした時、右の方から声がした。
「シンス、二百年ぶりだな。一体何をしていた?」
 陛下が、つかつかと歩いてきた。私は数歩引いて、二人の様子を窺った。
「どこに自分の否があるかを考えていたのですよ。二百年考えたのですが、どうも自分に否があるとは思えなくて」
 シンスさんは、綺麗な顔を歪ませるようにして笑う。その笑顔も綺麗なのだが、なんだか胡散臭い。妖界王の騎士ということで、覚悟はできていたので、どちらかというと、やはりという気持ちの方が強い。
 私の中で、妖界王とはそういう認識だ。
 さぁどうしようか、と思っていると、後ろから腕を強く引かれる。引かれるがままに後ろに下がり、振り返ると、アンさんがいた。
「あの二人は、二百年前に大喧嘩したから」
 あまり近づくな、ということですね、と私が言うと、アンさんはシンスさんを睨みつけていた。シンスさんの方は、妖界王に笑いかけている。何を喋っているかは知らないが、知りたくないのが本音だ。
「何か言われた?」
「妖界王家を支えていきましょう、と言われました」
 私はそう答えた。別に、悪いことを言われたわけではないので、この話は、そのまま過ぎていくと思っていた。しかし、意外にも、アンさんは食いついた。
「その前に、共に、とかいう言葉は入っていた?」
 奇妙な質問に、私は目を細める。
「入っていませんでした」
 そう答えた時、漸く、まさか、と思い、私はアンさんを見た。
「要注意人物ということですね」
 普通なら、共に支えていきましょう、と言うはずだ。それを、意識的に言わなかったとなると、私を排除しようとしているということになる。支えていくのはあくまでも自分の意志表明という言い分で、それをさり気なく挨拶に紛れ込ませ、警戒させないようにした、ということだろうか。
「アズサは馬鹿じゃないから良いね」
 何食わぬ顔で私の考えを読んだアンさんによると、私の考えは正しいらしい。もう、アンさんに考えを読まれることについては追及しないことにする。
「シンスさんって人間ではないですよね」
 私がそう言うと、アンさんは、淡々と言った。
「彼は氷の精霊であり、妖界王の魂精霊。妖界王と共に生きる者」
 話している途中で、アンさんの表情が僅かに変わる。私は、それに気付き、話題を変えた。魂精霊、というと言葉が引っ掛かったが、これについて、あまり深く追究するのも良くない、と直感的に思ったのだ。
「あと、陛下を反逆王と呼んでいたのですが、この王家の前に、別の王家があったのでしょうか」
 反逆というからには、それ以前に誰かに仕えているはずだ。
「またいつか話すかもしれないし、話さないかもしれない」
 アンさんは、それだけしか言わなかった。

 妖界王の騎士シンス。私は彼と深く関わっていくことになる。勿論、私は望んでいたわけではない。しかし、世の中、思い通りには行かない。私は、妖界王女の騎士ではなく、妖界の王太子殿下の騎士になった。その意味に気付くまで、それ程時間は掛からない。

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